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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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南河内の社寺 |
大阪で最も早く文化が開けたのが石川と大和川の合流付近の南河内。旧石器時代から縄文、弥生時代を経て古墳時代にいたる遺跡が多い。中国や朝鮮半島からの渡来人が多く住み、高い文化や技術を広めた。この地方には巨大な前方後円墳をはじめ多くの古墳が集中しており、わが国の古代文化の発祥地とされている。こうした古代社会の中で土地の人びとたちと深いかかわりを持った社寺を訪ねた。 |
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本尊は秘仏で毎月18日の御開帳の日に、厨子の扉が開けられその姿を拝観することができる。千の眼で人びとを導き、千の手で迷える衆生を救うとされる葛井寺の十一面千手千眼観音像は、平安時代から西国三十三カ所第5番札所として信仰を集め、今も観音巡礼の参詣者が毎日絶えない。 |
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(写真は 紫雲石の燈籠) |
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葛井寺と藤井寺の両呼称の二つの「ふじ」の文字を合わせると「葛藤」。葛(かずら)や藤のつるがもつれからむことから「もつれ」「いざこざ」「もんちゃく」「争い」などの意味を持つ。葛井寺境内にある藤のつるは、もつれながらも藤棚にすがって上へ横へと枝を伸ばしその視野を広げており、人間の生き方を教えているようでもある。 |
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(写真は ヴィクリディタ サマデ) |
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金銅弥勒菩薩半跏思惟像(国・重文)が野中寺を有名にしている。わずか30.6cmの弥勒菩薩像だが、台座のまわりに造像銘が刻まれている。それによると天智天皇5年(666)斉明天皇が病になり、大勢の人が病気平癒を祈願して造立したとある。 |
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(写真は 石人像) |
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明治維新の神仏分離令が出るまでは、境内に真言宗の神宮寺があった。この寺にかつて行基が居住していたと言われ「行基菩薩安住之地」と刻まれた石碑が立っている。神社のすぐそばの大和川には「行基大橋」と呼ばれる橋が架かっている。これも神宮寺に住んでいた行基が架橋に関係したことによるのだろう。行基は百済系渡来人・高志(こし)氏の出身であり、阿麻美許曽神社にあった神宮寺を安住の地としたこともうなずける。 |
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(写真は 本殿) |
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300年前の江戸時代中期の宝永2年(1705)に描かれた「布忍八景」の絵馬が拝殿に掲げられている。この絵馬は中国の瀟湘(しょうしょう)八景にならい、28名が願主となって神社周辺の素晴らしい景色を絵師に描かせた。絵馬には詩文の上達を願い願主らの漢詩、和歌、俳句や先人の国学者の下河辺長流、契沖、俳人の小西来山の作品も書き連ねられている。絵馬に描かれた布忍八景の景色は、今はしのぶことすらできない。 |
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(写真は 番付絵馬) |
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