月〜金曜日 21時48分〜21時54分


和歌山市・海辺の景勝地 

 和歌山市南西の和歌浦は万葉集にも多くの歌が詠まれた景勝の地。片男波海岸や玉津神社、和歌浦天満宮、東照宮がある和歌浦、その北西の観光旅館が建ち並ぶ新和歌浦、それに続く雑賀崎の奥和歌浦と断崖絶壁の海岸美と和歌浦湾に浮かぶ小島の景観がが今も多くの人たちを魅了している。


 
和歌浦  放送 9月10日(月)
不老橋 和歌浦は奈良時代に遊覧目的の行幸が行われるようになった。記録の上で最も古いのは神亀元年(724)、聖武天皇が玉津島に仮宮を営んだ時で、当時「弱浜(わかのはま)」と呼ばれていたこの地を、素晴らしい景色にちなんで「明光浦(あけのうら)」と改めたと言う。
 この行幸の供をした山部赤人は「和歌の浦 潮満ちくれば 潟をなみ 葦辺をさして 鶴(たず)鳴き渡る」と、この景勝の地を詠んだ。和歌浦湾に突き出た白砂の砂洲は、山部赤人の歌にちなんで片男波海岸と名づけられた。その後に天台座主も務め歌に優れた慈円、鎌倉時代初期の歌僧・寂蓮(藤原定長)、同じく鎌倉時代初期の歌僧・西行(佐藤義清)、源頼朝の次男で鎌倉幕府三代将軍の実朝ら当代の名だたる歌人が風光明媚な和歌浦を歌枕にして歌に詠んでいる。
(写真は 不老橋)

片男波公園 片男波公園には万葉植物を植えた遊歩道や万葉館がある。万葉館には和歌浦と万葉のかかわりをジオラマやコンピューターを使ってわかりやすく展示している。妹背山と呼ばれる小島へ、中国・杭州の西湖に模して作られたと言われる三段橋を渡ると水上に建つ観海閣がある。この観海閣からの眺めは素晴らしいもので、特に和歌浦の海と夕日、空に輝く月の眺めは一味違う風情がある。
 円弧の美しさを見せる不老橋は、嘉永3年(1850)紀州藩10代藩主・徳川治宝(はるとみ)が、和歌浦の東照宮御旅所修築の時、中国宋代の伝統的工法で架橋したもので、和歌浦の代表的な名所、文化財のひとつになっている。
(写真は 片男波公園)


 
玉津島神社  放送 9月11日(火)
玉津島神社 和歌浦の中心とも言える玉津島は今は小山だが、古くは島があたかも玉のように海に点在し、風光明媚で神のおわす所として崇められていた。「玉津島 見れども飽かず いかにして 包み持ち行かむ 見ぬ人のため」と詠んだ歌は、この付近の景色の良さを絶賛している。
(写真は 玉津島神社)

奠供山 玉津島神社の祭神は稚日女尊(わかひるめのみこと)、神功皇后、衣通姫(そとおりひめ)の三女神。そのひとり衣通姫は着衣を通しても輝くばかりの美女で、和歌の名手であったことから、この神社は「和歌の神」として朝廷、文人、墨客らの尊崇を受けていた。
光孝天皇の夢枕に現れた衣通姫が「立ちかへり またも此世に 跡とめむ 名もおもしろき 和歌の浦波」と歌を詠んで姿を消したと伝えられている。
天皇は大いに感じ入り、仁和3年(887)にこの玉津島神社に衣通姫を祭ったという。
 背後の奠供山(てんぐやま)は和歌浦一帯が見渡せる所で、聖武天皇もここから眺望をめでた。奠供とは神事に用いる祭器のことで、聖武天皇が奠供山で春秋2回、祭器に供物を盛り神々に供えたと伝えられている。
(写真は 奠供山)


 
雑賀崎  放送 9月12日(水)
番所の鼻 和歌浦から西へ断崖の続く海沿いを進むと新和歌浦から奥和歌浦の雑賀崎へと続く。
雑賀崎の西端の地名が「番所(ばんどこ)の鼻」。鼻とは突き出た先のことで、ここはまさに海に突き出た鼻と言った地形。番所の鼻には番所庭園があり、小ぶりな松と芝生が海の青に映える水彩画のような庭園で、紀淡海峡に浮かぶ女島、男島、双子島を眼下に、360度近い展望が開け海と島の絶景が眺められる景勝の地。江戸時代末期には外国から来る黒船を警戒する見張り番所が置かれていた。
(写真は 番所の鼻)

番所庭園 雑賀崎にあった雑賀城は雑賀孫市が率いた雑賀党の拠点で、石山本願寺の軍事、兵糧の重要基地の役割を果たした。織田信長10万の軍勢と戦い、これをわずが3千の兵で撃退した雑賀衆は、雑賀崎の矢の宮神社で念仏を唱えるとともに踊り狂ったと言われ、これが現在の「和歌祭り」で踊られる雑賀踊りの始まりと言われている。だが、天正13年(1585)の羽柴秀吉の紀州攻めの大軍の前に雑賀の諸城はことごとく落城した。
 今は雑賀港の背後の階段状の斜面に家が建ち並ぶ素朴な漁村の風情が、奥和歌浦と呼ばれる雑賀崎の魅力のひとつとで、キラキラ輝く紀淡海峡の海や西の海へ沈む夕日の美しさを求めて訪れる人が多い。
(写真は 番所庭園)


 
和歌浦天満宮  放送 9月13日(木)
和歌浦天満宮楼門(重文) 和歌浦湾に臨む小高い天神山の中腹に鎮座しているのが和歌浦天満宮。延喜元年(901)、菅原道真が大宰府に流される途中、海上の風波を避けるため和歌浦に立ち寄り、その風光をめでた。その後、康保年間(964〜968)に道真に同行した橘直幹が太宰府からの帰途、和歌浦に船を停めて菅公を追慕し、この地に神殿を建て菅公の神霊を勧請したのが和歌浦天満宮の開創とされている。
(写真は 和歌浦天満宮楼門(重文))

和歌浦天満宮本殿(重文) 天正13年(1585)の羽柴秀吉の紀州攻めの兵火で社殿は焼失したが、江戸時代に入り慶長11年(1606)当時の紀州藩主・浅野幸長が現在の社殿(国・重文)を再建した。
 徳川御三家のひとつとして徳川頼宣が紀州藩主になってからは、紀州徳川家の崇敬も受け、頼宣が家康を祭る東照宮の社地を求めた時、天満宮を和歌浦一帯の地主神とした。境内は古木がおおい茂り壮麗な社殿とマッチして古社らしい雰囲気をかもし出している。
(写真は 和歌浦天満宮本殿(重文))


 
雑賀孫市  放送 9月14日(金)
太田城水責の図 織豊時代から江戸時代初期の武将で、鉄砲集団としてその名が知られた雑賀党の党首が雑賀孫市である。紀伊国平井(現和歌山市平井)に生まれ、本名は鈴木孫三郎。紀伊国雑賀荘の本願寺門徒組織の指導者のひとりで根来衆をも率い、本願寺と組んで織田信長を苦しめ、その知将ぶりが全国に知られた。
(写真は 太田城水責の図)

蓮乗寺 天下統一をもくろむ織田信長が元亀元年(1570)、明け渡しに応じない石山本願寺に攻め込んだ。本願寺派の雑賀孫市は信長と対立、紀州へ攻め込んだ10万の信長軍をわずか3千人の兵士で迎え撃ち、奇抜な作戦と鉄砲で徹底的に抗戦、信長軍を撤退させその気骨ぶりを見せた。
 天正13年(1585)豊臣秀吉の大軍に攻められ、雑賀の諸城はことごとく落城し孫市は降伏した。関ヶ原の戦いで西軍に属したため改易された。その後徳川家康に3千石で登用されている。
 孫市が生まれた和歌山市平井の蓮乗寺には孫市の墓があり、孫市を敵の刃から救ってくれた“身代わり仏”が残っている。
(写真は 蓮乗寺)


◇あ    し◇
和歌浦・不老橋、
片男波公園、観海閣
JR和歌山駅、南海電鉄和歌山市駅からバス
 不老橋下車。
玉津島神社JR和歌山駅、南海電鉄和歌山市駅からバス
 玉津島神社前下車。 
雑賀崎JR和歌山駅、南海電鉄和歌山市駅からバス
 新和歌浦で乗り換え、雑賀崎下車。 
和歌浦天満宮JR和歌山駅、南海電鉄和歌山市駅からバス
 権現前下車。 
蓮乗寺南海電鉄紀ノ川駅からバス平井下車
 又は、紀ノ川駅から 徒歩20分。 
◇問い合わせ先◇
和歌山市観光振興室073−435−1234 
玉津島神社073−444−0472 
番所庭園073−444−6533 
和歌浦天満宮073−444−4769 
蓮乗寺073−451−0868 

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

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                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

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