月〜金曜日 18時54分〜19時00分


奈良・明日香村 

 明日香村は東西約6km、南北8kmの狭い地域に古代国家が成立した時、多くの天皇の宮が造営され、日本の政治、文化の中心地となった。藤原京時代を含め都が奈良の平城京へ遷都するまでを飛鳥時代と言う。仏教が伝来し、日本で始めて寺院が建立されたのもこの飛鳥だった。飛鳥の地は古代への夢を駆り立ててくれるが、まだ解明されていない謎の部分も多い所である。こんな飛鳥の里を訪ねて見た。


 
飛鳥の大寺  放送 9月15日(月)
 飛鳥寺は当時、天皇をもしのぐ勢いを誇っていた蘇我馬子が、推古天皇4年(596)に建立した日本最古の寺。朝鮮半島の百済や高句麗、新羅から日本に渡来してきた工人たちが、最新の技術を駆使して伽藍(がらん)を建立した。
 現在は狭い境内に本堂のみがこじんまりとたたずむ寺だが、創建当時は塔を中心に東西と北に金堂が建ち、これらの建物を回廊で囲み、さらにその外側に講堂を配すると言う、他に例を見ない独特の伽藍配置の壮大な寺院だった。昭和31年(1956)からの発掘調査で、寺域は東西210m、南北320mだったことがわかり、現在の境内の約20倍、法隆寺の3倍近い規模だった。

元興寺(飛鳥寺)

(写真は 元興寺(飛鳥寺))

安居院(飛鳥寺)

 この飛鳥寺は平城遷都に伴って奈良へ移され元興寺となり、飛鳥の寺は本(もと)元興寺と呼ばれた。平安時代と鎌倉時代の2度にわたる火災で伽藍が焼失、室町時代以降は荒廃していた。江戸時代に中金堂跡に再建された建物が現在の安居院(あんごいん)である。寺名も法興寺、元興寺、飛鳥寺と称され、現在は安居院と呼ばれている。
 飛鳥大仏と呼ばれる本尊の銅造釈迦如来像(国・重文)は、推古天皇14年(606)に仏師・鞍作止利が造立した高さ2.75mの丈六仏で日本最古の仏像。この日本最古の仏像も2度にわたる火災や安置する堂がなくなり、野ざらしにされるなどで傷みがひどかったのを、後の世に何度も修理された。

(写真は 安居院(飛鳥寺))

 今、安居院に安置されている飛鳥大仏は、顔や右手の一部、左耳あたりに造立した当時の原形を残している。修理跡の痛々しい姿と飛鳥仏独特の面長で慈悲深い表情が、参拝する人たちに同情と親しみを感じさせ、飛鳥大仏の前に立つと自然に合掌する。当時の姿をそのまま残しておれば国宝指定間違いない仏像だが、後世の修理が多いため重要文化財にとどめられた。
 大化の改新の中心人物となった中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足(藤原鎌足)が、蹴鞠を通じて知りあったのがこの飛鳥寺。安居院の西に蘇我氏打倒の大化の改新で殺された蘇我馬子の孫・入鹿の首塚・五輪塔があるが、飛鳥寺を建立し権勢を誇っていた馬子も、子孫がこのような運命をたどるとは思いもおよばなかったであろう。

飛鳥大仏

(写真は 飛鳥大仏)


 
飛鳥の工房(万葉文化館)  放送 9月16日(火)
 万葉集を中心とした古代文化の魅力を紹介するミュージアムとして、平成13年(2001)にオープンしたのが「奈良県立万葉文化館」。この万葉文化館は万葉文化の「調査研究」「情報収集」「展示」「図書・情報サービス」の機能を備えた施設で、万葉に関する総合文化拠点と言える。
 館内の展示はわが国を代表する日本画家が、万葉の秀歌を題材に描いた作品を集めて展示している日本画展示室のほか、ジオラマ、映像、音楽などの手法で万葉時代の文化、生活、人びとの暮らしぶりを分かりやすく紹介している。

飛鳥池工房遺跡

(写真は 飛鳥池工房遺跡)

富本銭鋳棹

 万葉文化会館の建設に当たって敷地の事前発掘調査がおこなわれ、飛鳥池工房遺跡とわが国最初の通貨・富本銭やその鋳型などが出土し、全国的な話題になった。一時はこの貴重な遺跡を完全保存するために、万葉文化館の建設中止を求める運動も起こるほどであった。
 飛鳥池工房遺跡は万葉文化館の中庭に炉跡などを復原して展示している。また出土品の富本銭などは地下1階特別展示室に展示され実物を見ることができるほか、人形を使った模型で富本銭などを作る作業の様子もわかる。

(写真は 富本銭鋳棹)

 日本で最初の通貨は和同開珎とされていた。富本銭は各地で出土していたが、数が少なかったため通貨ではなく、副葬品に使う「まじない銭」とか「厭勝銭(えんしょうせん)」ではないかとされていた。しかし、飛鳥池工房遺跡から大量の富本銭とその製造過程を示す工房が出土し、日本書紀の天武12年(683)に記されていた「今より以後、必ず銅銭を用いよ」の銅銭が、この富本銭である可能性が強まり、日本で最初の通貨ではないかとの説が強まった。このほか工房跡からは瑪瑙(めのう)や琥珀(こはく)などの宝玉も出土しており、これらも一緒に展示されている。

ガラス玉

(写真は ガラス玉)


 
橘寺  放送 9月17日(水)
 橘寺は聖徳太子(574〜622)の生誕地と言われている。当時、ここは欽明天皇の別宮・橘の宮があったところで、太子はこの地で欽明天皇の皇子で後の用明天皇となった橘豊日(たちばなのとよひ)皇子と橘豊日の異母妹・穴穂部間人(あなほべはしひと)皇女の間に生まれた。
 仏法を深く信仰していた太子が35歳の時、推古天皇のために勝鬘経(しょうまんぎょう)を講じた折、大きな蓮の花が庭に降り積もるなどの瑞祥があった。欽明天皇は太子にこの御殿を寺に改めるよう命じたのが橘寺の始まりで、正式の名称は仏頭山上宮皇院菩提寺と言い、聖徳太子創建7ヵ寺のひとつ。

橘寺

(写真は 橘寺)

五重塔心礎

 本尊は室町時代に造立された太子35歳の聖徳太子勝鬘経講讚像(国・重文)。
橘寺は平安時代の最盛期には、66の堂塔が連なる大伽藍の大寺院だった。日本書紀に「天武天皇9年(681)に尼房10房焼く」とあることから当時は尼寺だった。
奈良時代には聖武天皇の光明皇后が丈六の釈迦三尊、平安時代初期に淳和天皇が薬師三尊を寄進するなど、朝廷の崇敬も篤かった。
 隆盛だった橘寺も戦国時代の永正3年(1506)に多武峯寺との争いで、僧兵の焼き討ちにあい寺運は衰えた。今は江戸時代に再建された本堂(太子殿)、経堂、観音堂、山門などが残るのみとなっている。それでも本尊の聖徳太子勝鬘経講讚像や聖徳太子孝養像、如意輪観音像などの寺宝が数多い。

(写真は 五重塔心礎)

 今、創建当時をしのばせるものは、平安時代末の久安2年(1146)の落雷で焼失した五重塔の心礎。本坊前に塔跡の土壇があり、その中央に直径90cmの柱穴とその三方に半円形の添え柱穴がある珍しい形をした心礎である。
 境内には謎めいたものがある。本堂そばの二面石は、人間の善悪の二つの顔を表した高さ1mほどの石造物。土地の広さの基準にした畝割塚(せわりづか)と呼ぶ土壇などが境内にある。この土壇は太子が勝鬘経を講じたときに降り積もった蓮の花を埋めた場所と伝えられ蓮華塚と呼ばれ、大化の改新のときにこの広さを1畝(100平方m)の基準とした。

聖徳太子孝養像

(写真は 聖徳太子孝養像)


 
石の都  放送 9月18日(木)
 飛鳥やその周辺にはその製作過程や用途、目的が謎に包まれた不思議な石造物が多い。亀石、猿石、酒船石、二面石、鬼の雪隠(せっちん)、鬼の俎(まないた)、弥勒石、石人像、須弥山石、そして石舞台古墳、周辺では橿原市の岩船、高取城近くの猿石などが有名だ。最近、酒船石近くの酒船石遺跡から亀形や小判形石造物が出土し、石造物の謎に新たな1ページを加えた。
 これらの石造物だけを巡り歩き、石に秘められた表情に目を凝らし、その目的などを推理しながら飛鳥を散策するのもひとつの楽しみ方。石造物に立ち語りかけていると古代へのイマジネーションが次々にわいてくる。

石舞台

(写真は 石舞台)

亀石

 飛鳥のシンボルとも言えるのが石舞台古墳。蘇我馬子の墓と伝えられているが、それを裏付ける資料はない。30個あまりの巨岩を積み上げたそのスケールの大きさと、造形の妙には圧倒される。この古墳はすでに江戸時代には古墳を覆っていた封土がなくなり石室が露出していたと言う。石室は全長19mで天井は巨大な2個の石でおおわれており、南側の天井石は重さ77トンもある。
 石舞台の名の由来は、おぼろ月夜にキツネが女性に化けて踊ったからだとか、旅芸人が舞台代わりにこの石の上で芸を披露したからだなどの説がある。

(写真は 亀石)

 聖徳太子の生誕地として知られている橘寺には善悪ふたつの顔を表す二面石がある。その橘寺の西の畑の畔には、うずくまったような形をした花崗岩の亀石は愛らしさが感じられる。製作年代や目的などはわからないが、条理の境を示す漂石とか、亀の形に刻んだ碑の台石にする亀趺(きふ)ではないかなど諸説がある。
 伝飛鳥板蓋宮跡の北東の丘陵地にあるのが酒船石。長さ5.3m、幅2.3m、高さ1mの花崗岩で、表面に大小4個のくぼみとそれをつなぐ溝が刻まれている。用途は酒をしぼるためとか油をしぼるためとか、いろいろな説が唱えられているが定かでない。この丘陵北側のすそで亀形石造物、小判形石造物などが出土した。この酒船石遺跡はこれらの石造物を使った導水施設で、斉明天皇が祭祀を執り行った場所ではないかと見られている。

酒船石遺跡

(写真は 酒船石遺跡)


 
古代米  放送 9月19日(金)
 明日香村の中心から飛鳥川に沿って南へさかのぼると石舞台古墳。この付近で高取町方面から流れくる稲淵川と多武峯方面から流れくる細川が合流して飛鳥川になる。飛鳥川は万葉人たちが川のほとりを散策しながら詠んだ歌が、万葉集にも多く収められている四季の情緒が豊かな流れである。
 石舞台古墳を過ぎて道を右にとると祝戸地区の国営飛鳥歴史公園があり、ここに中大兄皇子(後の天智天皇)の住まいであったと言う飛鳥稲淵宮殿跡がある。公園内の飛鳥保存財団研修宿泊施設祝戸荘は10人以上の団体用研修宿泊施設で、安い料金で利用できる。予約制で古代食も予約すれば食膳に並ぶと言うユニークな施設である。

稲淵の棚田

(写真は 稲淵の棚田)

赤米

 この公園の南側は刈り入れを前にした稲穂が色づき始めた棚田の景色が美しい。
また、村民たちがアイデアを絞って制作した、ユニークなカカシが棚田の畦道に並び、秋には真っ赤なヒガンバナが咲きそろう。
 明日香村の中でもこの付近は四季の景色が美しい所。春はサクラ、レンゲ、タンポポ、ナノハナが咲き乱れ、夏はキリギリスやセミの鳴き声を聴きながら清流の涼感が味わえる。秋はヒガンバナ、ハギ、ススキ。冬は冬枯れの田んぼのあせ道に淡雪が積もり、冬景色の飛鳥を創り出しアマチュアカメラマンがこの景色をとらえようと訪れる。

(写真は 赤米)

 飛鳥時代の食卓は現代のような白米のご飯はなかった。古代米と言われる赤米、黒米のご飯やおこわなどだった。古代米は玄米のときには赤や黒、緑色をしている有色米。赤米は5分づきの精米で薄紅色、糠(ぬか)を全部取り除くと白米になる。野生種の稲はほとんどが赤米で、赤米は現代の米のルーツと言える。縄文時代に日本に伝わり、邪馬台国や大和朝廷への献上米は赤米だった。黒米は5分づきで紫色になるので、紫米とか紫黒米とも言われ、現代のもち米のようだ。おはぎの起源が黒米で、お祝いの米として珍重された。薬効もあり、楊貴妃が美容食として愛用したとか。また動脈硬化や抗がん性の効用があるとも言われている。
 この赤米、黒米を使った古代食が石舞台古墳のそばの「あすか夢市茶屋」で味わえる。古代食の御膳で飛鳥の宮人の気分にひたって見たり、「あすかんぽ」と呼ばれる赤米のちまきを飛鳥川のほとりでほおばって、万葉歌人の気分になるのも一興である。

あすかんぽ

(写真は あすかんぽ)


◇あ    し◇
飛鳥寺近鉄橿原線、南大阪線橿原神宮前駅からバスで
飛鳥大仏前下車。
奈良県立飛鳥万葉文化館近鉄橿原線、南大阪線橿原神宮前駅からバスで
万葉文化館西口下車。
近鉄大阪線、JR桜井線桜井駅からバスで
万葉文化館下車。
橘寺近鉄橿原線、南大阪線橿原神宮前駅からバスで
岡橋本下車徒歩3分。
石舞台古墳近鉄橿原線、南大阪線橿原神宮前駅からバスで
石舞台下車。
亀石近鉄橿原線、南大阪線橿原神宮前駅からバスで
野口下車徒歩5分。
酒船石近鉄橿原線、南大阪線橿原神宮前駅からバスで
岡天理教前下車徒歩3分。
あすか夢市茶屋近鉄橿原線、南大阪線橿原神宮前駅からバスで
石舞台下車。
◇問い合わせ先◇
明日香村役場企画課0744−54−2001 
明日香村観光開発公社0744−54−4577 
飛鳥総合案内所0744−54−3624 
飛鳥寺0744−54−2126 
奈良県立飛鳥万葉文化館0744−54−1850 
橘寺0744−54−2026 
あすか夢市茶屋0744−54−9450

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

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