月〜金曜日 18時54分〜19時00分


福井・若狭 

 若狭国は大陸や朝鮮半島との交易港として古代から歴史に登場する。中世からは北前船の寄港地となり、南蛮船や北前船が運ぶ物資や文化の受け入れ港として栄えた。
古社寺や古代の遺跡、古墳、文化財も多く「海のある奈良」とも言われている。今週は夏の海水浴客のにぎわいも終わった若狭を訪ねた。


 
気比神宮(敦賀市)  放送 9月22日(月)
 地元・敦賀市では「けいさん」と親しまれている越前一の宮の気比(けひ)神宮は、大宝2年(702)の建立と伝わる。
 気比神宮の朱の大鳥居(国・重文)は高さ10.9m、柱間7.45mあり、木造の鳥居としては厳島神社、春日大社の両社と並んで日本三大鳥居に数えられている。初めの鳥居は平安時代初期に建立されたが、南北朝時代に暴風で倒壊し、江戸時代初期の正保2年(1645)に再建されたのが現在の鳥居。佐渡島のムロ(ネズミサシ)の巨木で造られたとか、青森のビバ(アスナロ)の木から造られたとも言われている。

角鹿神社

(写真は 角鹿神社)

松尾芭蕉像

 気比神宮は平安時代中期に編さんされた延喜式神名帳にも記載されている古社で、祭神の伊奢沙別命(いささわけのみこと)は、気比大神と呼ばれ太古からこの地に鎮座していたと伝えられていた。後に仲哀天皇、神功皇后、日本武尊ら六神を合わせ祭り、人びとの崇敬を集め北陸道の総鎮守として信仰されてきた。
 境内には摂社など17社が祭られており、その中の摂社のひとつ、角鹿(つぬが)神社は敦賀(つるが)の地名発祥の神と言われている。

(写真は 松尾芭蕉像)

 奥の細道の旅を続けていた松尾芭蕉は、元禄2年(1689)この地を訪れている。ちょうど中秋の名月にあたる旧暦8月14日から16日まで敦賀に滞在した。この敦賀で名月を鑑賞し「ふるき名の 角鹿や恋し 秋の月」と詠んだほか、全部で8句もの月の句を残している。このほか敦賀周辺で多くの句を詠んでおり、敦賀市内には芭蕉の句碑が数多く建立されている。
 敦賀市街地の北西、敦賀湾に面した海岸に白砂青松の気比の松原がある。国の名勝地に指定され、アカマツ、クロマツなど約1万7000本の松原が続く景勝地。夏は海水浴客でにぎわい、普段は市民の散歩やジョギングコースなどの憩いの場となっている。

気比の松原

(写真は 気比の松原)


 
三方五湖(三方町・美浜町)  放送 9月23日(火)
 三方町と美浜町の両町にまたがる三方五湖は、それぞれの湖が水質と深さで水のいろが異なることから「五色の湖」とも言われている。万葉集にも「若狭なる 三方の海の 浜清み いゆきかえらひ 見れどあかぬかも」と、その美しさを讚える歌が残されている。
 三方五湖のうち久々子(くぐし)湖は、砂州によって海とさえぎられた潟湖(せきこ)で、他の4湖は三方断層の沈降部にできた湖。久々子湖、日向(ひるが)湖は美浜町、後の三方湖、水月湖、菅(すが)湖は三方町にある。景観が素晴らしい三方五湖は、海水湖、汽水湖、淡水湖とそれぞれ水質が違い、棲息する魚種も豊富で釣り人たちの人気が高い。

浦見川

(写真は 浦見川)

宇波西神社

 三方五湖はその素晴らしい景観と裏腹に、湖水の排水が悪く大雨が降ると水位が上がり、湖水が氾濫し湖岸の村や田畑に大きな被害を与えていた。
 寛文2年(1662)5月の琵琶湖西岸の大地震で、三方五湖の地盤が2.5mも隆起し、五湖の湖岸の11村で住宅や田畑が水没する大被害が出た。小浜藩主・酒井忠直は久々子湖と水月湖を結ぶ水路の開削を決断、この難工事に取りかからせた。2年の歳月とのべ22万5000人の労力を費やした難工事の結果、この二つの湖は浦見川と呼ぶ水路で結ばれた。水月、三方、菅の3湖の水は久々子湖を通じて海へ流れ、水没した村は元に戻り、湖畔に新しい水田も生まれた。後に水月湖と日向湖が嵯峨トンネルで結ばれ、三方五湖の水はすべてがつながった。

(写真は 宇波西神社)

 この浦見川開削の難工事に当たっていた郡奉行・行方久兵衛が、大岩盤に突き当り進退きわまった時、宇波西神社に毎夜、参籠して祈願した。その時「少し北を掘れ」との神のお告げによって、この難工事を突破することができたとの伝えがある。浦見川は長さ324m、幅8mで両側から断崖が迫り、岩壁にはサクラやフジの花が咲き乱れるころは、三方五湖の中で最高の景色となる。
 三方五湖の素晴らしい景色を楽しむには五湖巡りの遊覧船がある。久々子湖の三方五湖レイクセンターからは日向湖を除く4湖を巡航するジェット船が出ており、水月湖の海山桟橋からは水月、菅湖を巡るクルーズ船が出ている。また三方五湖レインボーラインをドライブしながら、山の上から眺める雄大な三方五湖や日本海の景観はまた違った趣が楽しめる。

ジェットクルーズ「コメット」

(写真は ジェットクルーズ「コメット」)


 
太古へのいざない(三方町)  放送 9月24日(水)
 三方町にある約6000年前の縄文時代前期の鳥浜貝塚は、昭和37年(1962)から4半世紀、10次にわたる発掘調査が行われた。その結果、丸木舟や赤漆塗りの櫛、全国でも最古の部類に入る弓や盆などが出土した。その出土品からかなり高度な技術を持った縄文人が、三方五湖周辺に住んでいたことが確認された。
 鳥浜貝塚は今から1万4000年前から5700年まで前の縄文時代草創期、縄文時代早期、前期にわたる縄文時代前半の遺跡である。日本最古の低湿地遺跡だったので、遺物の保存状態がよく「縄文のタイムカプセル」と呼ばれた。木製品にみられる高度な技術、色彩豊かな衣類、栽培植物の発見などで、それまでの縄文時代のイメージを書き換えた遺跡であった。

三方町縄文博物館

(写真は 三方町縄文博物館)

縄文時代の食事

 三方町には鳥浜貝塚を含め縄文時代の遺跡が多い。その遺跡や出土品を伝えるのが三方湖の湖畔に建設された縄文ロマンパーク。この公園内に縄文文化を伝え、自然破壊の現代を見つめ直そうと平成12年(2000)にオープンした「三方町縄文博物館・DOKIDOKI館」がある。公園内には復元された縄文時代の竪穴式住居、縄文時代の文化をイメージしたオブジェなどもある。
 縄文博物館は土偶の胎内をイメージしたデザインで、建物の一部が外部に露出しているほかは土で覆われ、芝生が植えられている。館内は「太古の森」「縄文世界へのいざない」「土器と炎の造形」「森と海・湖の文明」「鳥浜文化からみる縄文時代」「現代と縄文」「シアター」の7つのコーナーに分かれて展示されている。

(写真は 縄文時代の食事)

 「太古の森」コーナーに展示されている縄文時代の杉株は、町内の埋没林から出土したもので、幹の直径は1.5m以上もある。「森と海・湖の文明」コーナーにはユリ遺跡から出土した丸木舟が展示されている。丸木舟は鳥浜貝塚から2艘、ユリ遺跡から4艘が出土した。日本の縄文時代の丸木舟との比較資料として、世界の丸木舟も展示されている。
 生命を生み出す妊婦の女性をモデルにした土偶は地母神信仰につながるものとされおり、岩手県で出土した「遮光器土偶」が展示されている。「土と炎の造形」コーナーの土器の径(みち)には、町内から出土した土器のほかに全国各地で出土した土器を展示している。毎年、春と秋に展示替えをする。縄文ロマンパークでは竪穴式住居での宿泊体験や土器作りの体験学習もできる。

竪穴住居

(写真は 竪穴住居)


 
若狭を彩る伝統の技(小浜市)  放送 9月25日(木)
 大陸文化が奈良や京の都へ伝わる中継基地であった小浜には、今なお磨かれた技と華やかさで人びとを魅了する数々の伝統工芸品がある。また、北前船の寄港地でもあった小浜は交易の町としても栄えた。こうした文物を通じて京都とのつながりが深く、小浜の町には京文化が根づいている。
 そのひとつがかつての花街の「三丁町」。柳町、漁師町、寺町を総称して三丁町と呼んだとか、町の長さが3丁(約330m)あったので三丁町と呼んだとか言われている。三丁町の幅3mほどの狭い通りには紅殻格子の料亭が軒を並べ、家の中からは三味線の音が聞こえ、通りでは粋な着物姿の芸妓に出会うこともある。芸妓の言葉も「おいでやす」と京言葉。

御食国若狭おばま食文化館

(写真は 御食国若狭おばま食文化館)

若狭めのう細工

 大陸文化の中継地だった小浜には、匠たちがその技を積み重ねてきた伝統工芸がある。若狭めのう細工、若狭漆器、若狭塗箸、若狭粘土瓦、若狭和紙などで、大陸文化の香りと華やかさに彩られた逸品が多い。
 若狭めのう細工は大陸からの渡来人の玉造りの技法を、享保年間(1716〜36)に高山喜兵衛と言う人が、丸玉製造の技を修得、この技術を生かしてめのう細工始めたのが今に伝わり、彫刻、置物、アクセサリーなどが生み出されている。めのう原石に熱を加えることによって、石の中の鉄分やクロームが酸化してめのう独特の色を出す。これを細工して置き物や装身具、アクセサリーなどに仕上げる。原石からの発色、造形には職人の長年の技が工芸品の善し悪しを左右する。最盛期には約300人いた職人も現在は50人ほどになった。

(写真は 若狭めのう細工)

 若狭塗の漆器は高級品として珍重されている。幕末の万延元年(1860)皇女・和宮が徳川家へ降嫁の際、若狭塗のタンスが献上されたとことからもその品質の良さがうかがえる。
 若狭塗は江戸時代初めの慶長年間(1596〜1615)に、小浜藩の御用塗師・松浦三十郎が中国漆器にヒントを得てその技法を編み出したのが始まり。その特徴は貝殻や卵殻、金箔、銀箔、松葉、桧葉などの上に漆を何度も塗り重ね、石や炭、砥粉(とのこ)などで丹念に研ぎ出す「研ぎ出し技法」にある。完成までに数ヵ月かかり、その重厚な風格は若狭塗独特のものである。同じ技法で作られる若狭塗箸は全国生産の8割を占める特産品である。「御食国(みけつくに)若狭おばま食文化館」では、めのう細工や若狭塗の体験工房があり、「箸のふるさと館」には約3000種類の箸が展示されている。

若狭塗箸

(写真は 若狭塗箸)


 
御食国(小浜市)  放送 9月26日(金)
 小浜は東北や北海道、大陸、朝鮮半島からの物資、文化の玄関口として北前船や南蛮船が出入りする若狭最大の港町だった。海のシルクロード終着駅とも言われ、日本に初めてゾウやクジャクが渡来したのも小浜だった。
 こうした歴史を今に伝えているのが「北前船屋敷」と廻船問屋の豪商・古河屋嘉太夫が江戸時代末期に建てた屋敷の「千石荘」。北前船屋敷は船頭の屋敷で豪壮な家の造りが船頭の気風をうかがわせる。屋敷内には当時の北前船で使っていた船箪笥(ふなたんす)や羅針盤などの船具、道具類が展示されている。千石荘は豪商の屋敷らしく正目の杉を使い、襖(ふすま)絵、屏風絵、庭園などにもぜいを尽くしている。

北前船屋敷

(写真は 北前船屋敷)

鯖へしこ

 若狭国は飛鳥時代から天皇に海の幸の魚介類や塩などを提供する御食国(みけつくに)だった。平城京跡から出土した木簡によると、タイ、イガイのすし、イワシやカレイの干物など多種にわたる食品を献上していた。こうした献上ルートが、若狭で捕れたサバをひと塩して京へ運んだ鯖街道に引き継がれた。
 小浜には「鯖へしこ」と呼ぶ名産品がある。早春に捕れたサバを2〜3週間塩漬けし、その後、糠(ぬか)で漬け込み、80kgほどの重しを乗せて9月まで置く。梅雨時期から夏にかけて糠が発酵して独特のうま味を出す。若狭の冬を乗り切る越冬食として考え出されたもので、焼いて食べるとサバのうま味と糠のコクが舌の上にとろけ出る。

(写真は 鯖へしこ)

 小浜港には日本海の暖流と寒流にもまれて身の引き締まった新鮮な魚介類が毎日水揚げされている。初冬にはカニ漁が解禁になり、越前ガニが市場に並ぶ。これらの新鮮な魚介類は、京阪神にも出荷されるが、地元でひとつ手を加えた加工品もおいしい。その代表が天日干しのカレイだろう。また小鯛のささ漬けも若狭ならではの特産品である。
 若狭の海の幸をフルに生かした料理で評判なのが料理旅館の「福喜」。女将さんがなかなか粋な女性で、旅館内の造りも風雅な装い。料理も小鯛をふんだんに使った「姫茶料理」、京へ運ばれた鯖を懐石風にアレンジした「鯖懐道」などと凝っている。北前船屋敷と千石荘は今は福喜の所有で、普段は一般公開してないが2003年10月13日まで特別公開中で、有料で見学できる。

姫鯖コース(料理旅館福喜)

(写真は 姫鯖コース(料理旅館福喜))


◇あ    し◇
気比神宮JR北陸線敦賀駅からバスで神宮前下車。 
JR北陸線敦賀駅下車徒歩15分。
気比の松原JR北陸線敦賀駅からバスで気比の松原下車。 
三方五湖レークセンター(遊覧船のりば)JR小浜線美浜駅からバスでレークセンター下車。
三方町観光船(レイククルーズのりば)JR小浜線三方駅からバスで海山下車。
鳥浜貝塚JR小浜線三方駅下車徒歩15分。 
三方町縄文博物館JR小浜線三方駅からバスで北鳥浜下車。 
御食国若狭おばま食文化館JR小浜線小浜駅タクシーで5分
(レンタサイクル有)。
箸のふるさと館JR小浜線小浜駅下車タクシーで10分
(レンタサイクル有)。
福喜(料理旅館)、北前船屋敷JR小浜線小浜駅からバスで西津公民館前下車。
◇問い合わせ先◇
敦賀市役所観光課、敦賀観光協会0770−22−8128
気比神宮0770−22−0794 
三方町役場企画観光課0770−45−9111 
三方町観光協会0770−45−0113 
三方町観光船0770−47−1127 
三方五湖レークセンター0770−32−1161 
三方町縄文博物館0770−45−2270 
小浜市役所商工観光課、
小浜市観光協会
0770−53−1111
御食国若狭おばま食文化館0770−53−1000 
若狭めのう商工業協同組合0770−56−0112 
若狭漆器協同組合0770−52−0921 
福喜(料理旅館)、北前船屋敷、千石荘0770−52−3077
田村長(鯖へしこ)0770−52−0310

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

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          郵便番号 530−6691
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歴史街道推進協議会