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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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福井・若狭 |
若狭国は大陸や朝鮮半島との交易港として古代から歴史に登場する。中世からは北前船の寄港地となり、南蛮船や北前船が運ぶ物資や文化の受け入れ港として栄えた。 |
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奥の細道の旅を続けていた松尾芭蕉は、元禄2年(1689)この地を訪れている。ちょうど中秋の名月にあたる旧暦8月14日から16日まで敦賀に滞在した。この敦賀で名月を鑑賞し「ふるき名の 角鹿や恋し 秋の月」と詠んだほか、全部で8句もの月の句を残している。このほか敦賀周辺で多くの句を詠んでおり、敦賀市内には芭蕉の句碑が数多く建立されている。 |
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(写真は 気比の松原) |
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この浦見川開削の難工事に当たっていた郡奉行・行方久兵衛が、大岩盤に突き当り進退きわまった時、宇波西神社に毎夜、参籠して祈願した。その時「少し北を掘れ」との神のお告げによって、この難工事を突破することができたとの伝えがある。浦見川は長さ324m、幅8mで両側から断崖が迫り、岩壁にはサクラやフジの花が咲き乱れるころは、三方五湖の中で最高の景色となる。 |
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(写真は ジェットクルーズ「コメット」) |
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「太古の森」コーナーに展示されている縄文時代の杉株は、町内の埋没林から出土したもので、幹の直径は1.5m以上もある。「森と海・湖の文明」コーナーにはユリ遺跡から出土した丸木舟が展示されている。丸木舟は鳥浜貝塚から2艘、ユリ遺跡から4艘が出土した。日本の縄文時代の丸木舟との比較資料として、世界の丸木舟も展示されている。 |
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(写真は 竪穴住居) |
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若狭塗の漆器は高級品として珍重されている。幕末の万延元年(1860)皇女・和宮が徳川家へ降嫁の際、若狭塗のタンスが献上されたとことからもその品質の良さがうかがえる。 |
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(写真は 若狭塗箸) |
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小浜港には日本海の暖流と寒流にもまれて身の引き締まった新鮮な魚介類が毎日水揚げされている。初冬にはカニ漁が解禁になり、越前ガニが市場に並ぶ。これらの新鮮な魚介類は、京阪神にも出荷されるが、地元でひとつ手を加えた加工品もおいしい。その代表が天日干しのカレイだろう。また小鯛のささ漬けも若狭ならではの特産品である。 |
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(写真は 姫鯖コース(料理旅館福喜)) |
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