月〜金曜日 21時48分〜21時54分


三重・亀山市、関町 

 亀山市は東海道五十三次の46番目の宿場で亀山城の城下町でもあった。関町は47番目の宿場で、両宿場町とも江戸時代は参勤交代の大名や旅人たちの往来でにぎわった。
今も宿場町としての面影が随所に残っており、特に関町の街道沿いの古い町家や旅籠(はたご)が建ち並ぶ町並みは、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。 


 
亀山城と遍照寺(亀山市)  放送 9月24日(月)
亀山城 亀山城は天正18年(1590)2万2千石の亀山城主となった豊臣秀吉の武将・岡本宗憲が、旧城の傷みが激しいため豊臣秀吉の指示のもとで旧城の東南の丘陵地に平山城を築いた。天守閣も築かれていたが詳しい記録はない。この亀山城は約2000m余りの白亜の土塀をめぐらし、これがチョウの群れが舞うような姿に見えたことから粉蝶(こちょう)城とも呼ばれていた。
 徳川時代に入って城主が代わり、城下町は慶長6年(1601)東海道五十三次の46番目の宿場となった。その後は東海道の要衝を占めていたため、譜代大名を中心に城主が目まぐるしく代わった。寛永9年(1632)に天守閣が取り壊され、その後、天守閣跡に平屋建ての多聞櫓(たもんやぐら)が建てられた。
(写真は 亀山城)

石川藩家老加藤家長屋門 明治維新後に城は取り壊されたが、天守台の石垣や多聞櫓はそのまま残り、三重県内に残る唯一江戸時代の城郭建造物として多聞櫓が県の史跡に指定された。亀山城跡は今は公園として整備され市民の憩いの場となっている。
 旧城郭の一角に延享元年(1744)に亀山城主になった石川総慶の家老・加藤家の長屋門と土蔵が残っており、江戸時代中期の武家屋敷建築様式を知るうえで数少ない建物とされている。
 宿場町の通りに面して建つ遍照寺は、江戸時代末の天保14年(1843)に火災で焼失し、明治初めの再建の時、亀山城の二の丸御殿が移築されたのが現在の本堂。本堂にはその面影として、正面玄関には亀山城主石川家の笹リンドウの家紋がそのまま残っている。
また亀山の古刹にふさわしく亀山のシンボルの亀の装飾が屋根の棟に施されている。
(写真は 石川藩家老加藤家長屋門)


 
慈恩寺と野村一里塚(亀山市)  放送 9月25日(火)
阿弥陀如来立像(慈恩寺) 旧亀山城西の旧東海道沿いにある慈恩寺は、神亀5年(728)、聖武天皇の勅願で行基が長福寺を創建して、自ら彫った薬師如来像を安置したことに始まると慈恩寺縁起に記されている。その薬師如来像は天正3年(1575)に法相宗から浄土宗に改宗した際、阿弥陀如来像に改作されたと言われ、度々の火災にも焼失を免れて今日にいたっている。
その本尊・阿弥陀如来立像(国・重文)はヒノキの一木造で切れ長の目、顔の肉づけが豊かで、反り身の体勢は重厚な印象を参拝者に与えている。江戸時代中期の正徳6年(1716)に長福寺を慈恩寺と改称している。
(写真は 阿弥陀如来立像(慈恩寺))

野村一里塚 この慈恩寺から西へ進むと、慶長9年(1604)徳川家康の命によって亀山藩主長門守一政が築造した東海道一里塚のひとつ野村一里塚がある。三重県内12カ所にあった一里塚のうち現存するものは野村一里塚だけで、築造当時の原形をよく保っている。
 一里塚は東海道、東山道、北陸道に江戸・日本橋を起点に一里(4km)ごとに旅の目安として設けられた。野村一里塚は元は道の両側にあり、南側の塚にはエノキが3本、北側にはムクが植えられていたと言う。一里塚5間(9m)四方と言われており相当大きなものだ。大正13年(1924)に南側の塚が取り壊されたが、昭和10年(1935)に北側の塚を補修して石の柵で囲み史跡として保存した。一里塚の上の樹齢約400年の巨樹のムクは、高さ33mもあったが後に18mに切られた。
(写真は 野村一里塚)


 
旅籠玉屋(関町)  放送 9月26日(水)
脇本陣跡 関宿は東海道五十三次の江戸から47番目の宿場で、東と西の追分の間約1.8kmにわたって旅籠(はたご)や町家が当時の姿を変えずに残っており、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。西の追分で大和街道が、東の追分で伊勢別街道が分岐しており、参勤交代の大名たちや伊勢参りの人々で大変にぎわった。
 関町は藤原京時代に大宝律令制定の時、伊勢・鈴鹿の関が置かれた所で、鈴鹿の関は美濃・不破の関、越前・愛発(あらち)の関と共に古代三古関のひとつ。大海人皇子の壬申の乱の時に鈴鹿、不破の関が歴史上に初めて登場する。
(写真は 脇本陣跡)

関宿旅籠玉屋(歴史資料館) 「関で泊まるなら鶴屋か玉屋、まだも泊まるなら会津屋か」と歌われた玉屋は、関宿を代表する大旅籠。屋号にちなんで2階白壁に宝珠の玉を形取った虫籠(むしこ)窓が施されている。玉屋は平成6年(1994)から3年かけて保存修復工事が行われ、江戸時代の旅籠の姿を取り戻し「旅籠玉屋歴史資料館」として、建物と共に江戸時代の旅籠の道具類の食器や食膳、書画、旅の資料などが展示されている。土蔵には東海道五十三次の浮世絵で有名な歌川広重の浮世絵を展示している。帳場があるこの資料館に入ると、江戸時代の旅籠に泊まる旅人のような気分に浸りながら宿場や旅籠の知識が得られる。
(写真は 関宿旅籠玉屋(歴史資料館))


 
関宿のくらし(関町)  放送 9月27日(木)
関の戸(深川屋) 往時の宿場の面影を残す関の街道筋の町並みや町家は、さまざまな表情を見せている。
旅籠(はたご)や町家の2階外壁には虎や龍、亀、鶴、コイの滝のぼりなど、さまざまな漆喰彫刻が飾られ、瓦にも子孫繁栄や家運長久を願って細工されたものが多い。漆喰で塗り籠めた堅格子窓の虫籠(むしこ)窓にもさまざまな形のものがある。このほか上げ下ろしが自由にできる棚の揚げ店、ひさしの下に取り付け店先を風雨から守る幕板、出格子など、現代建築では見られないものばかり。
 関宿銘菓「関の戸」の和菓子の老舗・深川屋の看板は瓦屋根がついた立派な庵(いおり)看板。旅人が歩いて行く方向を間違えないようにと裏表で字体を変えている。
(写真は 関の戸(深川屋))

桶重 昔ながらの職人は数少なくなったが、関町にはまだ現役の職人が健在で物作りに励んでいる。手作り桶屋「桶重」の三代目服部重三さんも、木の風味を生かした花桶を作り続ける頑固で職人のひとり。
 伊勢茶を商う茶問屋や小売店の茶屋も多い。伊勢茶は鎌倉時代初め栄西禅師が、中国・宋から持ち帰った茶の種を京都・高山寺の明恵上人に贈り、栂尾で栽培を始めたものが伊勢にも広がったもので、800年の歴史を持っている。伊勢茶は東海道を旅する旅人たちにも人気があり、旅の土産物として全国に広まった。幕末から明治始めにかけて海外にも輸出されたいた。現在も三重県の茶の生産量は静岡、鹿児島県に次いで全国第3位を保っている。
(写真は 桶重)


 
関の地蔵(関町)  放送 9月28日(金)
天井画(狩野永敬筆) 関宿の中央からやや西の追分に寄った所にある関地蔵院は、行基が天平13年(741)諸国に流行した天然痘から人々を救うため、地蔵菩薩像を刻んで安置したのが始まりとされ、近郷の人々や東海道を往来する旅人たちから信仰を集めた。徳川綱吉の母・桂昌院がこの地蔵を信仰したおかげで綱吉が誕生したと言われ、現在の本堂(国・重文)は元禄13年(1700)綱吉が建立した。本堂天井の174枚の天井画は狩野永敬が10年かけて描いたもので、華やかな色彩と緻密な描写で参詣者の目を奪っている。
(写真は 天井画(狩野永敬筆))

地蔵菩薩像 本尊の地蔵菩薩座像は日本最古の地蔵尊と言われ「関の地蔵に振袖着せて、奈良の大仏婿に取ろう」と歌われたほど円満な顔だちのお地藏さんである。今は縁結び、交通安全の祈願所として知られ遠方からの参詣者も多い。
 愛染堂(国・重文)の愛染明王像は良縁と商売にご利益があると、女性、商人の信仰を集めている。毎年8月26日の愛染祭りの日に本尊のご開帳がある。
 境内の庭園も三重県下七名園のひとつで、築山のエゾ桜は藤原定家が「えぞすぎて これや鈴鹿の関ならん ふりすてがたき 花のかげかな」と詠んだことでも有名だ。
(写真は 地蔵菩薩像)


◇あ    し◇
亀山城跡JR関西線、紀勢線亀山駅下車 徒歩10分。 
亀山市歴史博物館JR関西線、紀勢線亀山駅下車 徒歩15分。 
遍照寺JR関西線、紀勢線亀山駅下車 徒歩5分。 
慈恩寺JR関西線、紀勢線亀山駅下車 徒歩20分。 
野村一里塚JR関西線、紀勢線亀山駅下車 徒歩25分。 
関宿の各展示施設JR関西線関駅下車 徒歩10〜15分。 
関地蔵院JR関西線関駅下車 徒歩10分。 
◇問い合わせ先◇
亀山市商工開発課、
亀山市教委社会教育課
05958−2ー1111
亀山市歴史博物館05958−3−3000 
遍照寺05958−2ー0595 
慈恩寺05958−2−3535 
関町企画振興課05959−6ー1212 
関町教育委員会05959−6ー1201 
関町まちなみ資料館05959−6ー2404 
関宿旅籠玉屋歴史資料館05959−6ー0468 
関地蔵院05959−6ー0018 

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

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