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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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彦根市 |
彦根市から伊吹山山麓にかけては、近畿、東海、北陸の結節点として発展するとともに、歴史を塗りかえた戦場となった。姉川の戦、賤ヶ岳の戦、関ヶ原の戦の古戦場が伊吹山麓に残る。江戸時代に入っても京都や西国の抑えとして、徳川家康の腹心・井伊直政が彦根に配され、明治の廃藩まで井伊家が藩主を務めた。その居城で国宝の彦根城は、その美しい姿を今に伝えており、今回はその城下町を訪ねた。 |
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天守閣の北東に名庭園・玄宮園がある。4代藩主・直興(なおおき)が中国・洞庭湖の瀟湘(しょうしょう)八景にちなんで選ばれた近江八景を模して造園した池泉回遊式の庭園。玄宮園の池を手前に彦根山にそびえる天守閣を望む眺めは、彦根城内でも屈指の景観とされている。 |
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(写真は 玄宮園) |
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腹薬の方は鳥居本で健在だが、雨合羽の方はさすがに今は姿を消し、街道筋に「本家合羽所」と書かれた古い木製の看板を軒先に見ることはできる。雨合羽は当時、雨の多い中山道の木曽路や北国街道へ向かう旅人には必需品で、柿渋で作った赤色の渋紙の合羽は、旅人を相手に販売され商売は繁盛していた。大正時代までは17軒の合羽屋が農業用合羽や包装用渋紙を作っていた。ふるさと鳥居本資料館には宿場町に伝わった農具や合羽製造の道具などが展示されている。 |
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(写真は 蝋喜商店) |
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天寧寺境内には桜田門外の変で暗殺されて大老・井伊直弼の供養塔と直弼の参謀・長野主膳の墓がある。直弼の供養塔は暗殺された桜田門外の血染めの土を運んで建立されたと言われている。 |
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(写真は 桜田事変絵巻(彦根博物館蔵)) |
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幕末の安政元年(1854)井伊家から酒造りを命じられて創業、今も清酒「金亀(きんかめ)」を造り続けているのが彦根市の南隣、豊郷町の酒造会社・岡村本家。 |
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(写真は 岡村本家) |
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本尊・弁財天座像は像高約6尺(1.8m)で、両脇に15童子像、四天王像を従えた荘厳華麗な姿であり、参拝者の心次第で弁天さまの顔が変わるとも言われている。 |
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(写真は 本尊弁財天) |
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