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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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京都市・烏丸通 |
京都市の市街地を南北に貫くメインストリート・烏丸通は、平安京造営時の烏丸小路が始まりで1200年の歴史を持つ。地下鉄北大路駅北の今宮通との交差点から南へ約8km、地下鉄十条駅南の久世橋通交差点までを言う。道路幅は初めは12mの小路だったが、現在は20mに拡幅されている。京都の人たちは「からすま」と呼んでいるが正式には「からすまる」と呼ぶのが正しいようだ。明治10年(1877)に京都駅が誕生してからメインストリートになり、沿道には企業のビルが建ち並び、そのかたわらで京の老舗の商店が健在ぶりを発揮している。 |
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和気広虫姫は夫が夭逝したため早くから宮中に女官として仕えた。孝謙、称徳、光仁、桓武の4代の天皇に仕え、その信任は非常に厚かった。藤原仲麻呂の乱に連座した死刑者375名の減刑を天皇に嘆願したり、この乱で父母を失った孤児ら83人を養子にして保育するなど、今日の孤児院、幼稚園のような事業をした。わが国の保育事業、福祉事業、慈善事業の草分的存在の女性と言える。道鏡事件では弟の清麻呂を陰で助け、道鏡の野望を砕いた。 |
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(写真は 法均尼(広虫姫)子育図) |
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蛤御門から烏丸通を南へ少し下がった向かい側にある、古色蒼然とした煉瓦造りの西洋建築は、日本聖公会聖アグネス教会の礼拝堂と鐘楼。大阪の照暗女学校が明治28年(1895)に京都へ移転し、平安女学院となった後、その敷地内に立教大学の初代校長で教育者、宣教師、建築家でもあったアメリカ人のJ・M・ガーディナーの設計で明治31年(1898)に建築された。煉瓦造りの教会、礼拝堂としては同志社礼拝堂に次ぐ古さを誇っている。 |
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(写真は 洗礼堂) |
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香の老舗・松栄堂では300年の伝統に培われた職人の技によって、多種多様な香が生産されている。生産工程の機械部分は近代的なものが導入されているが、微妙な香料の調合や練り具合、乾燥などは職人の長年の技と勘に頼る部分が多い。 |
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(写真は お香の主原料) |
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大評判を呼んだため「無二膏」の名の類似品が出回り、雨森家のある町内にも無二膏を売る店が出るほどだった。明治時代に入って商標登録法が施行され、雨森家は「無二膏」を商標登録しようとしたが、あまりにも多くの無二膏が出回っているため、商品名でなく一般名と判断され認められなかった。やむを得ず北印と雨森の字を商標として登録した。無二膏は現在14代当主まで続いているが、抗生物質の普及などで需要は落ちているが「絶対にやめないで欲しい」と言う根強い愛用者がいる。 |
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(写真は 二条薬祖神祠) |
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尾張屋では作りたてのそばが最高の味であることを大切にし、国内産の上質のそばの挽きたてのそば粉を使い、打ちたてのそばを客の注文を受けてから湯がくコシの強さと香りが自慢。そばにはたんぱく質、ビタミン、ルチンなどの成分が含まれ栄養価も高く、健康や美容保持に良いと言われている。 |
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(写真は そば餅と蕎麦板) |
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