月〜金曜日 18時54分〜19時00分


奈良・飛鳥京 

 日本が古代国家への形態を着々と整えていったのが飛鳥時代と言える。仏教が伝来し、日本で初めて寺院が建てられ、仏像が造られたのもこの時代で、政治、経済、文化の草創期とも言える。飛鳥の里には夢とロマンがあり、週末には古代史ファンや行楽客が絶えず訪れている。


 
飛鳥京秋色  放送 10月7日(月)
 飛鳥は古代国家が成立し、日本史の始まった里と言えよう。崇峻5年(592)、蘇我馬子に暗殺された崇峻天皇の後に初の女帝・推古天皇が誕生し、この時から平城遷都までの約100年間を飛鳥時代と言う。推古天皇が即位した豊浦宮(とようらのみや)をはじめ、その後、飛鳥の地に次々に宮が造営されて日本の政治、文化の中心となった。
 飛鳥の地は東西約6km、南北約8kmの狭い地域。天皇が代わるたびに造営された宮跡、日本に仏教が伝わり、蘇我馬子が建立した飛鳥寺をはじめ仏教の興隆とともに建立された多くの寺院、石舞台古墳や高松塚古墳、キトラ古墳など、天皇、皇子、豪族の古墳など飛鳥時代を物語る遺構、遺跡がこの狭い地域に点在しており、訪れる人たちの心を古代へといざなっている。

吉備姫王墓

(写真は 吉備姫王墓)

鬼の雪隠

 飛鳥には謎を秘めた石造物がいくつも存在する。吉備姫王(きびつひめのおおきみ)墓のそばにある奇妙な表情をした4体の猿石、巨大でダイナミックな鬼の俎(まないた)、鬼の雪隠(せっちん)、ユーモラスな亀石、石人像、酒船石から最近発見された亀形石造物など、数多い石造物の存在が飛鳥の里を一層謎めかせている。
 飛鳥の里は四季それぞれに趣の異なる景色をのぞかせる。春はサクラの花が咲き乱れ、田んぼにはレンゲの花が咲きそろい、ミツバチが飛び交う。夏は飛鳥川のせせらぎが涼しさを感じさせる。秋は彼岸花が棚田のあぜに咲き乱れ、ユーモラスな表情のカカシが迎えてくれる。雪化粧した飛鳥の里は素晴らしい眺めを現出するが、最近は雪の降る日が少なくなり、なかなかこの景色が見られなくなったのが残念だ。
 紅い彼岸花が野に咲き乱れる秋は、徒歩や自転車で巡るには絶好の季節だ。棚田に実りの秋を告げる黄金色の稲穂とカカシ、紅い彼岸花の組み合わせは、飛鳥ならではの景色と言えよう。

(写真は 鬼の雪隠)


 
最初の女帝  放送 10月8日(火)
 排仏派の物部守屋を倒した蘇我馬子は、崇峻天皇を暗殺した後、政治の実権をわが物にするため崇峻5年(592)女帝・推古天皇を立てたと言われている。日本で初めての女帝・推古天皇をはじめ飛鳥時代には皇極天皇(後に斉明天皇として再即位)、持統天皇、元明天皇と4人の女帝が誕生している。わずか100年余りの間に多くの女帝が出現したのは、祭祀を司るのが女性中心であった古代国家で、政治よりも祭祀に重きを置く思想が影響していると見られている。
 推古天皇の甥の聖徳太子はこの時18歳で、30歳にならなければ即位できないと言う慣例で天皇の候補にあがらず、後に摂政として推古天皇を補佐した。

豊浦宮跡(向原寺)

(写真は 豊浦宮跡(向原寺))

伝小墾田宮跡

 推古天皇は豊浦宮(とようらのみや)で即位したが、後にこの宮が寺に改められ豊浦寺となった。豊浦宮跡の発掘調査で豊浦寺の遺構が発見され、現在の向原寺(こうげんじ)の境内に保存されている。
 百済の聖明王から贈られた金銅仏を蘇我馬子の父・稲目が小墾田(おはりだ)の向原(むくはら)家を寺として安置した。その後、向原家が桜井寺となり、これが日本で初めての寺と言われている。推古天皇が桜井寺と豊浦宮の土地を交換、桜井寺跡を宮にしたのが小墾田宮(おはりだのみや)で、豊浦宮跡に桜井寺を移し豊浦寺と改めた。馬子が百済に留学させた渡来人の娘が帰国後、善信尼と名乗る尼になり桜井寺に住んだ。他に禅蔵尼、恵善尼と言う尼もおり、この3人が日本で初めての尼僧で、出家者の第1号でもあった。
 向原寺の北側の広々とした水田の真ん中に、1本の高い木がポツンと立っているあたりが、推古天皇が豊浦宮から移った小墾田宮とされ、発掘調査で庭の一部と見られる池や溝跡、堀立柱跡などが出土した。

(写真は 伝小墾田宮跡)


 
蘇我氏の興亡  放送 10月9日(水)
 蘇我馬子(?〜626)は対立する排仏派の物部守屋を滅ぼし、国政の主導権を握り政治の中枢に位置し、飛鳥の都で大きな権勢をふるう全盛の時代を迎えた。
 蘇我氏の権勢の象徴のひとつが馬子が創建した飛鳥寺である。推古4年(596)に完成した飛鳥寺は、百済や高句麗、新羅から多くの工人が来て工事に当たった。日本で初めて金堂、講堂、塔などの伽藍を配置した本格的な寺で、推古14年(606)には飛鳥大仏と呼ばれている丈六仏が造られ、これがわが国で初めての丈六仏となった。瓦屋根の建物、塔を備えたこの寺の壮麗さとその建築技術に当時の人々は驚き、天皇もしのぐ勢いの蘇我氏の力を見せつけられた。
 飛鳥のシンボル石舞台古墳は、馬子の墓と考えられている。古墳を覆っていた封土がはぎ取られ、石室が露出した姿になっている。石室の上の大きい方の石は重さ77トンもあり、これだけの石を組み上げた当時の土木技術の高さとともに蘇我氏の権勢の力を見せつけさせられる。

伝板蓋宮跡

(写真は 伝板蓋宮跡)

蘇我入鹿首塚

 飛鳥寺の南に伝・飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)跡がある。皇極天皇が造営した宮だが、宮跡が推定地のため「伝」とか「伝承地」とされている。この飛鳥板蓋宮が大化の改新の成就の発端の舞台となる。
 蘇我馬子の孫・入鹿は超人的な能力を持っていたと言われていたが、権勢を欲しいままにした横暴な振る舞いから多くの人たちの反感を買っていた。大化元年(645)中臣鎌足(藤原鎌足)と中大兄皇子(後の天智天皇)の二人が中心に同志を集め、飛鳥板蓋宮大極殿で三韓の使者が来たときに天皇の前で首を討ち取り、その後に大化の改新を行った。
 入鹿の首が討ち取られたときに首が飛び跳ねたとか、御簾(みす)に食いついたとか、鎌足を追いかけたとかの伝説が残っている。このような伝説に包まれた入鹿の首を供養するために建てられたのが、飛鳥寺の西、蘇我氏の邸があった甘樫丘を望む所にある五輪塔が「入鹿の首塚」である。

(写真は 蘇我入鹿首塚)


 
ロマンの発掘  放送 10月10日(木)
 明日香村には1300〜1400年前の都の繁栄の名残をそこかしこ見て取れるが、昭和56年(1981)の発掘調査で発見された水落(みずおち)遺跡もそのひとつ。
 日本書紀に「斉明6年(660)中大兄皇子(天智天皇)が初めて漏刻(水時計)を作り、人びとに時を知らしむ」とある。飛鳥川の水を使った水時計「漏刻」が置かれ、この装置とそれを覆う楼状の建物の跡が水落遺跡である。水落遺跡からは漆塗りの木箱、木の樋の暗渠(あんきょ)、細い銅管など漏刻独特の遺物が出土しており、先進文化や技術をいち早く取り入れた中大兄皇子の進取な精神が読み取れる。
 日本で最初に水時計を作った中大兄皇子は天皇に即位した後、近江大津京の内裏にも漏刻を置き、鐘や鼓を鳴らして時刻を知らせた。この日を太陽暦に直すと6月10日になり、大正9年(1920)この日が「時の記念日」に制定されたと言う。

水落遺跡

(写真は 水落遺跡)

石神遺跡発掘現場

 水落遺跡のすぐ北東の石神遺跡からは須弥山石や石人像の石造物が明治時代に出土している。これらの石造物には、いずれも石の内部に巧みに枝分かれした孔があけられており、庭園の噴水施設の一部ではないかと見られている。
 この両方の遺跡は水に関係しており、斉明天皇の時代に噴水の須弥山石や石人像を配した庭園を作り、外国からの使者たちをもてなす饗宴の場であったのではなかろうかと見られる。須弥山石と石人像の復元模型が奈良国立文化財研究所飛鳥資料館に展示されている。
 今、飛鳥の里のあちこちで発掘調査や遺跡の研究が進められている。今後も未知の世界にメスを入れる発掘調査が行われ、かつての高松塚古墳石室の極彩色壁画のような「アッ」と驚くような大発見の楽しみがある。

(写真は 石神遺跡発掘現場)


 
飛鳥京をしのぶ  放送 10月11日(金)
 飛鳥には謎の石造物が多いが、そのひとつが酒船石である。酒や油をしぼったのではないかなどの推理もされているが、庭園の一部とも言われている。
 酒船石は伝・飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)跡の北東の丘陵地にありこの一帯を酒船石遺跡と呼ぶ。酒船石は長さ5.3m、幅2.3m、高さ1mの花崗岩で、表面に大小4個の円形のくぼみと、それをつなぐ溝が刻まれている。その後、酒船石の周辺から車石と呼ばれる溝を刻んだ石が多数発見されており、酒船石はこれらの石と連結して庭園に水を引く施設の一部ではないかとの見方が強くなっている。

飛鳥の里

(写真は 飛鳥の里)

飛鳥浄御原宮

 この酒船石のある丘陵の北裾で平成12年(2000)亀形石造物、小判形石造物が発見され、大きな話題になった。この石造物は周囲に溝を配した導水施設であり、酒船石ともつながって祭祀が行われていたのではと考えられる。そこには大土木工事を好んだと言う女帝・斉明天皇の姿が浮かび上がってくる。
 また、酒船石の近くで平成4年(1992)整然と並んだ石垣が見つかっており、酒船石遺跡は斉明天皇の両槻宮(ふたつきのみや)があった所ではないかと推定されている。
 このように飛鳥の里にある宮跡、寺院、神社、古墳、石造物などを巡り歩くと、古代への夢と想像がますますふくらんでくる。そして思わぬ発見がされる。こうした古代国家への謎と意外性を内包しているのが飛鳥の里の魅力ではないだろうか。

(写真は 飛鳥浄御原宮)


◇あ    し◇
 飛鳥の里へは近鉄橿原神宮前駅、岡寺駅、飛鳥駅前からレンタサイクルを利用するのが便利。但し坂道が多いので、老人や体力のない人は近鉄橿原神宮駅前からバスを利用、それぞれの目的近くで下車。便数は1時間に1便程度なので注意。
◇問い合わせ先◇
明日香村役場企画振興課0744−54−2001 
明日香村観光開発公社0744−54−4577 
飛鳥京観光協会0744−54−2362 
飛鳥総合案内所0744−54−3624 

奈良国立文化財研究所飛鳥資料館

0744−54−3561 
国営飛鳥歴史公園館0744−54−2662 
向原寺(豊原寺跡)0744−54−2512 
飛鳥寺0744−54−2126 

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
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                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

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