月〜金曜日 21時48分〜21時54分


大阪市・天六、長柄 

 大阪・天神橋筋商店街のど真ん中の天六交差点から北東の淀川にかけての一帯を長柄と言う。「ながら」の「な」は魚、「がら」は形で、長柄は「魚の形の島」と言う意味であった。夏の天神祭は浪花っ子の自慢。その大阪天満宮がある大阪市内でも有数の商店街・天神橋筋商店街はいつも買い物客でにぎわっている。その商店街の真ん中が天神橋6丁目で浪花っ子は「テンロク」と親しみを込めて呼んでいる。今回はその「長柄」と「天六」を点描する。


 
長柄八幡宮  放送 10月8日(月)
長柄八幡宮 長柄八幡宮は鎌倉時代の永仁4年(1296)山城国・男山八幡宮(石清水八幡宮)から神体を勧進して祭ったのが始まりとされ、この付近の氏神として尊崇されている。この長柄八幡宮で有名なのが、大阪随一と言われている「摂州だんじり囃子」で、豊臣秀吉が大阪城を築いた時、その完成を祝ってこの摂州だんじり囃子を奉納したところ、秀吉もお気に入りだったそうだ。
 このだんじり囃子は、長柄八幡宮の夏祭(7月第3日曜日)の本宮と前日の宵宮、秋祭の10月17、18日の夕方6時半ごろから9時半ごろまで、境内の舞台で鉦(かね)や太鼓に合わせてだんじり囃子と踊りが披露される。この祭の日は、大阪随一のだんじり囃子を見物しようと、遠方からの参拝者も含めて境内はにぎわう。
(写真は 長柄八幡宮)

摂州地車ばやし 摂州だんじり囃子を披露するのは「長柄八幡宮摂州だんじり囃子保存会」の人たちで、長柄八幡宮の氏子たち約30人ほどで結成されている。保存会の大人にまじって鉦、太鼓を演奏する子供たちの姿も見られる。このだんじり囃子は、親太鼓、子太鼓、おん鉦、めん鉦の4つの楽器のハーモニー。心をひとつに合わせて演奏することから、4つが楽器が「心」の字のような配置になる。
 だんじり囃子の起源は神話の時代にさかのぼる。天照大神が天の岩戸に隠れた時、岩戸の前で神々がにぎやかな囃子に合わせて踊ったのがだんじり囃子に発展したと伝えられている。歴史的な記録では5、6世紀ごろ、重量物を乗せて運ぶ修羅(しゅら)を引く時、心と力をひとつに合わせるために鉦や太鼓を打ち鳴らしたのが、だんじり囃子に発展したとの説もある。
(写真は 摂州地車ばやし)


 
天六・住まいのミュージアム 放送 10月9日(火)
人形屋 地下鉄天神橋筋6丁目駅をあがり、天六商店街の北入り口そばに2001年4月、住まいの情報センター8〜10階に「大阪市立住まいのミュージアム」がオープンした。
ここでは江戸時代から明治、昭和までの町並み、住まい、商店、そこでの人々の暮らしが厳密な時代考証のもとで再現されており、それぞれの時代の大阪(大坂)の生活感をリアルに体験できる。
 現代は体感が大切。このミュージアムは展示物に触れて体験し、思い出を作ってもらう場を目指している。模型に触れることもOK、記念撮影も自由で従来の博物館の堅苦しいイメージを打ち破ろうとしている。
 その中で8階の「近代の大阪」は、明治から昭和にかけての大阪の住宅と暮らしの変遷を精密な模型でたどる「住まいの大阪6景」、住まいの劇場「あの日あの家−ある家族の住み替え物語」や戦後すぐのバス住宅などが見られ、高齢者には懐かしさが込み上げてくるものが多い。
(写真は 人形屋)

本屋 戦後まもなく、空襲で焼け出された人々の救済策として大阪市は仮設住宅に学校や寮、兵舎などを転用した。そのひとつが廃車になった木炭バスを利用したバス住宅。城北公園近くに設置された城北バス住宅は、26台のバスを13台ずつ円形に並べ、中央に炊事場や洗濯場、便所などの共同施設があった。ここで生活した人たちのたくましさ、住むことへのこだわりが伝わってくる。城北バス住宅は昭和26年(1951)まで、毛馬バス住宅は昭和30年(1955)まで存続した。
 「住まいの劇場」は大阪市中央区空堀通で理髪店を営んでいた一家が、戦災で住む場所を失い、バス住宅を経て古市中団地で暮らす「住み替え」物語。そこには懐かしい三種の神器と言われた時代のテレビや足踏み式ミシンなどが登場する。
 最近は都心での暮らしの魅力が再認識され、郊外から都心へと住まいの選択に変化が表れている。都心を単なるビジネス空間ではなく、人々が暮らす活気ある場に見直そうとする動きがある。
(写真は 本屋)


 
天保の街並み(天六・住まいのミュージアム)  放送 10月10日(水)
合薬屋 「住まいのミュージアム」10階の展望フロアから、9階展示場の江戸時代の町並み「近世の大坂」の全体を見おろすことができる。
 その9階を歩くと江戸時代の商店が甍(いらか)を並べ、この時代へタイムスリップしたようだ。万能薬を売る合薬(ごうやく)屋、呉服屋に小間物屋、人形屋に本屋、唐物屋に建具屋、そして風呂屋まである。さらに町の相談事をする町会所、その屋根の上には火の見櫓(やぐら)が立っている。商店の裏には裏長屋が建ち並びそばには共同井戸や共同便所がある。
 町家の生活は日の出から日の入りまでを昼間とし、この時間帯に商売をする。それぞれの町には木戸があり、明六つ(午前6時ごろ)に木戸が開かれ、夜四つ(午後10時ごろ)に木戸を閉めていた。
(写真は 合薬屋) (写真は 合薬屋)

裏長屋 合薬屋の看板は「ウルユス」と書かれている。ウルユスとは「体内の毒を空にする薬」の「空ス」を分解してオランダ語めかしてカタカナで「ウルユス」と名づけたと言われている。その合薬屋の店の間には、日本産や中国から渡来した薬草を収める小引き出しのついた百味箪笥があり、そばには薬草を調合したり、砕く薬研(やげん)や臼、秤、薬草きりなどが並んでいる。
 本屋には新刊案内の広告が張り出されているかたわらで、古本の販売も行われている。
江戸時代の大坂は芝居が盛んで、人気役者の役者絵も本屋に並べて売られていた。
 江戸では銭湯または湯屋と言うが大坂では風呂屋と言った。湯銭を払うところを大坂では高座と呼び、江戸では番台と言うなど、その名称にも東西の違いが多い。脱衣場には着物を入れる脱衣箱、現代のロッカーが並ぶのは今と変わりない。当時の湯銭大人8文、子供6文の払って石敷きの洗い場に入り、体を洗って奥の浅く湯を張った蒸し風呂で汗を流した。浴槽への入り口は唐破風のざくろ口をくぐって入る。ざくろ口とは湯気を外へ逃がさないように工夫された入り口のこと。
(写真は 裏長屋)


 
関西大学天六学舎  放送 10月11日(木)
関西大学天六学舎 地下鉄天神橋筋6丁目駅から少し北、商業地域に建つ関西大学天六学舎は、昭和4年(1929)鉄筋コンクリート造地上4階、地下1階建て、L字型のモダンな建物が完成した。戦時中の空襲もくぐり抜け、増築もされて交通の便のよいこの学舎では開設以来、戦中戦後を通じて働きながら学問を志す若者たちのために、夜間(二部)の授業が行われてきた。
 関西大学は明治19年(1886)、大阪市西区の願宗寺で関西法律学校としてスタート、その後、学舎が大阪市内を転々とした。天六学舎も付属関大一中、戦後の関大一高、一部(昼間)の工学部、社会学部や短大の一部、二部などが設置されたこともあった。
(写真は 関西大学天六学舎)

講堂 大学側の千里山学舎への統合計画の一環として平成6年(1994)天六学舎の二部全学部(法学、文学、経済、商学、社会の各学部)が千里山学舎に移され、全国で唯一の夜間専門キャンパスが姿を消した。卒業生や地元の商店街は「なぜ天六学舎ではだめなのか」と移転を惜しむ声もあった。65年間にわたり約4万5千人の卒業生が巣立った学舎は今、学生や社会人が各種の講座で学ぶ関大の補助教育の場である「エクステンション・リードセンター」として第二の人生を歩んでいる。
(写真は 講堂)


 
長柄の人柱  放送 10月12日(金)
長柄人柱・巌氏の碑 長柄橋は大阪市北区長柄から東淀川区柴島へ淀川をまたぐ交通の動脈だが、古代もここは交通の要衝だった。摂津国長柄江付近は沼地や湿地などが多く、大雨が降れば川がはんらんすると言う交通の難所で、淀川に橋を架けることが当時の政治的な最大の課題であった。仁徳天皇時代から何度も架橋が試みられたが成功せず、推古天皇も一大決心をして架橋工事に取り組んだが、完成寸前で風水害に見舞われ橋杭などが流されてしまった。
 この時に長柄江の近くの垂水(現吹田市垂水町付近)の長者・巌(いわ)氏が「架橋を成功させるには人柱が必要。袴につぎの当たった者を人柱に」と役人に進言した。ところが自分の袴につぎがあり、進んで人柱になったと言う。また巌氏は「自分は富もあり、何不自由なく暮らしてこられた。その恩に報いるため人柱になって架橋を成功させよう」と決心、自ら人柱になったとの説もある。
(写真は 長柄人柱・巌氏の碑)

地蔵菩薩(笑い地蔵・大願寺) 推古天皇が推古31年(623)長柄人柱・巌氏の菩提を弔うために建立したのが、淀川区東三国の大願寺と言われている。
 大願寺には巌氏の墓や「長柄人柱巌氏」の碑がある。巌氏の絵像のほかに人柱の遺物として巌氏の守り本尊だった釈迦如来金像、人柱となった地中から現れたと伝えられる不動明王像、後一条天皇が寛仁3年(1019)橋杭を用いて仏師・定朝に彫らせたと伝えられる地蔵菩薩像がまつられ、橋杭の残木も保存されている。地蔵菩薩像の開眼供養の時、勅使として参列した大納言・藤原公任が「長柄江や 藻に埋もれし橋柱 また道かえて 人渡すなり」と和歌を奉ると地蔵像が微笑んだと伝えられ、以来「笑い地蔵」と呼ばれ親しまながら信仰されている。
(写真は 地蔵菩薩(笑い地蔵・大願寺))


◇あ    し◇
長柄八幡宮地下鉄堺筋線、谷町線天神橋筋6丁目駅下車 徒歩8分。
大阪市バス長柄西八幡宮前下車。
 
大阪市立住まいのミュージアム、
関西大学天六学舎
地下鉄堺筋線、谷町線天神橋筋6丁目駅下車。
JR環状線天満駅下車 徒歩7分。
大願寺JR東海道線東三国駅下車 徒歩2分。
地下鉄御堂筋線東三国駅下車 徒歩3分。
◇問い合わせ先◇
長柄八幡宮06−6351−6908 
大阪市立住まいのミュージアム 06−6242−1170
関西大学企画室広報課06−6368−1121 
大願寺06−6391−2489

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

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