月〜金曜日 20時54分〜21時00分


兵庫・中町

 中町(なかちょう)は兵庫県のほぼ中央に位置しており、南に隣接している西脇市と並ぶ播州織物の主産地として知られている。また、酒米「山田錦」の発祥地で、黄金色に色づいた山田錦の田んぼが広がっている。


 
酒米・山田錦 放送 10月15日(月)
山田勢三郎像 最高級の酒米として知られる山田錦は、兵庫県中央部の山あい、人口1万2千の中町が「山田錦発祥の町」。東隣りの黒田庄町との町境の石原坂公園そばの道路端に「日本一の酒米・山田錦発祥の町・中町」と大きく書かれた白壁造りの酒蔵をイメージしたPR塔が誇らしげに立っている。
 中町は明治初めごろ栽培されていた酒米「安田米」が有名だった。中町の豪農の山田勢三郎氏が明治10年(1877)ごろ、自分の田んぼの稲穂の中から優れた1本の稲穂を見つけ、それを栽培したところ酒米に適しそうな米に育ったので「山田穂」と名づけたと言う。大正12年(1923)から兵庫県立農業試験場で、この「山田穂」を母に「短稈渡船(たんかんわたしぶね)」を父として稲の人工交配を続け、昭和11年(1936)に誕生したのが酒米の王様と呼ばれる山田錦。
(写真は 山田勢三郎像)

ふるさと工房・夢蔵 酒米は大粒でタンパク質と脂肪が少なく、粒の中心にある不透明部分の心拍が大きいものが良いとされている。山田錦は全国で認定されている酒米の約30品種のうちのひとつで、中町では1120戸の農家が全耕地面積の55%にあたる270haで山田錦を栽培している。中町の水田は粘土質の土質、年間を通じて雨量が少なく、盆地特有の昼夜の温度差が大きいのが山田錦の栽培に適している。だが、山田錦は倒れやすく、栽培が非常に難しい品種で、農家は病虫害や風水害から守りながら手間をかけて育てている。この丹精込めて栽培した山田錦が、全国の酒造地へ出荷され、吟醸酒、純米酒の銘酒に生まれ変わり、日本酒愛好家をほろ酔い気分にさせる。
 「山田錦発祥の町」のPR塔の近くには、山田錦生みの親・山田勢三郎翁を讚える頌徳碑や稲穂が垂れた様子を表したモニュメントがある。また、町では山田錦の米粉を使った山田錦クッキーを作り「ふるさと工房・夢蔵」で土産品として販売している。山田錦が黄金色に色づいた田んぼでは、かかしフェスティバルが開かれ、県下各地の小学生が作ったユニークなかかしがにらみをきかしている。
(写真は ふるさと工房・夢蔵)


 
善光寺 放送 10月16日(火)
本尊薬師如来座像(平安時代) 善光寺は本尊の薬師三尊像が平安時代の作と推定される古刹だが、今はこの像が安置されている薬師堂しか残っていない。薬師如来座像はヒノキの一木造りで、左手にあった薬壺などは失われており、像の背中部分にこげ跡が残っているほか損傷が見受けられる。両脇侍の日光、月光両菩薩像も指先や足先が失われるなどしている。この薬師三尊像は平安時代中、後期の藤原時代にこの地方で造られた仏像で、同時代の特徴を見ることができ、地方で造仏されたものとしては貴重な存在とされている。
(写真は 本尊薬師如来座像(平安時代))

大イブキ(県指定天然記念物) 薬師堂前の大イブキは樹齢5〜600年、樹高約17m、幹回り4.4m、枝は東西へ13.7m、南北へ14.6m。まだ樹勢は旺盛でさらに巨木になりそうな大木で兵庫県指定の天然記念物。
 この大イブキは織田信長の命で明智光秀がこの地方を攻めた時、この寺にも火を放った。薬師如来像がなかなか燃えないのに腹を立てた光秀が持っていた杖をその前に突き立てるとたちまちこの杖が木になったとの伝説の木。イブキはヒノキ科の樹木で本来は海岸近くに分布しており、中町のような内陸部でこのような大木になるのは珍しいと言われている。
(写真は 大イブキ(県指定天然記念物))


 
観音寺と観音の森 放送 10月17日(水)
本尊十一面観世音菩薩 観音寺は聖武天皇の時代の神亀2年(725)にインドから来朝した法道仙人が開いたと伝えられる古刹で、本尊は十一面観世音菩薩像。また、境内のカエデの古木の下の地蔵堂に日限地蔵像がまつられている。この地蔵像は江戸時代後期の文化年間(1804〜18)、住職の夢枕にお地蔵さんが立ち「カエデの下に埋もれている私をまつれば、皆の願いをかなえてあげられる」と伝えた。お告げの通りカエデの木の下を掘ったところ、一体の石地蔵像が現れた。日限(ひぎり)地蔵と名づけて地蔵堂にまつった。日限地蔵とは7日間とか21日間と日を限って願いごとをすると必ずかなえられるとの意味で、大勢の人々の信仰を集めている。
(写真は 本尊十一面観世音菩薩)

真谷見晴らし台 観音寺裏山一帯の観音寺の森は、森林浴とツツジなどの花を楽しむことができるハイキングコース。この観音寺の森の“やまびこの道”を散策しながら真谷見晴らし台へ。ここで眺望を楽しみながら一息ついてから、さらに険しい雑木林の斜面を汗をかきながら登りきると、山頂に福王山砦跡展望台があり素晴らしい展望が開ける。この眺望の感動が生々しいうちに、その感動を文字に記せるのが山頂に用意されている「登頂日誌」。それぞれの思いや願い、恋人へのメッセージなどを記念に残すのもよい。
(写真は 真谷見晴らし台)


 
中町散策 放送 10月18日(木)
鍛冶屋線記念館 大正2年(1913)加古川から西脇まで播但鉄道が開通、さらに同12年(1923)中町鍛冶屋まで伸び、昭和18年(1943)に国鉄(現JR)に買収され鍛冶屋線となった。戦中、戦後は米麦や木材を中心に多くの中町の物産がこの鍛冶屋線の貨車で出荷された。しかし、自動車の普及で乗客も貨物も減少の一途をたどり、平成2年(1990)廃線となりバスに転換された。鍛冶屋線の終着駅・鍛冶屋駅舎は今、鍛冶屋線記念館として残され、当時の面影を色濃く残している。
(写真は 鍛冶屋線記念館)

家形陶棺(東山古墳群) 中町は古墳の多い町でもあり、秀峰・妙見山(標高692.6m)の麓の古墳群は、大化改新、律令の制定が行われた時代の7世紀に築かれたもので、その総数は約200基にのぼる。兵庫県下でも最大の横穴式石室を持つ古墳や巨石を用いた石室の古墳が多く、当時のこの地方の豪族の力がうかがえる。現在、残っている古墳は16基で、北群の4基は直径15m前後の円墳、南群の12基は直径15m前後から30m前後の円墳でバラエティーに富んだ古墳群。12号墳の石室には長さ140cm、幅45cmで12本の脚と、切妻風の屋根を模したふたがある家形陶棺があった。
 法幢寺は南北朝時代の康永元年(1342)夢窓国師を開基に足利尊氏が建立した臨済宗妙心寺派の禅寺。天正9年(1581)兵火で堂塔が焼失、寛永11年(1634)大愚禅師が寺を訪れ、堂塔の再建に力を尽くした。大愚禅師が徳川三代将軍家光とつながりがあったことから、徳川幕府から寺領、山林などの朱印状をもらい寺は栄え始めた。山門に徳川家の葵紋と足利家の丸に一つ引き紋がかかっており、本堂にもこの二つの紋がありこの寺の歴史を裏づけている。明治9年(1876)にも焼失、現在の建物は明治26年(1893)に再建されたもの。
(写真は 家形陶棺(東山古墳群))


 
北播磨余暇村公園 放送 10月19日(金)
北播磨余暇村公園 妙見山の山麓には兵庫県立北播磨余暇村公園が広がっている。妙見山の山麓一帯の自然環境を保護しながら、都市と農村の交流や北播磨地域のレクリエーションゾーンの拠点にしようと整備された総合公園。
 園内には790株のバラを集めたバラ園、2万8千株の菖蒲園や修景池、日本庭園などがあり、四季折々に美しい花が見られる。子供たちに人気の冒険広場などもあり、家族連れやグループで楽しい一日が過ごせる。
(写真は 北播磨余暇村公園)

ココロン那珂 木立の中にログハウス調のロッジが点在する「ココロン那珂」。レストランではビーフや野菜、黒豆、アマゴ、シメジなど地元の食材を使った料理を味わえる。海の幸山の幸をふんだんに使った夏の野外バーベキューは特に人気があるそうだ。全室バス、トイレ付で冷暖房完備のロッジ風のコテージで宿泊するのも良い。近くにはテニスコートや野球場、ゴルフ場もあり、スポーツでさわやかな秋の一日を楽しむこともできる。
(写真は ココロン那珂)


◇あ    し◇
ふるさと工房夢蔵
(中町地域交流物産館)
JR加古川線西脇市駅からバス中町役場前下車 徒歩10分。
善光寺JR加古川線西脇市駅からバス中安田下車 徒歩15分。
観音寺JR加古川線西脇市駅からバス中町役場前下車 徒歩15分。
鍛冶屋線記念館JR加古川線西脇市駅からバス鍛冶屋下車。
東山古墳群JR加古川線西脇市駅からバス鍛冶屋下車 徒歩30分。
法幢寺JR加古川線西脇市駅からバス中安田下車 徒歩10分。
北播磨余暇村公園、
 ココロン那珂
JR加古川線西脇市駅からバス鍛冶屋下車 徒歩30分。
◇問い合わせ先◇
那珂町役場企画課0795−32−2380
ふるさと工房夢蔵
(中町地域交流物産館)
0795−32−4477
観音寺0795−32−3303
法幢寺0795−32−0574
北播磨余暇村公園管理事務所0795−32−1543
ココロン那珂0795−32−4111

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

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歴史街道推進協議会