月〜金曜日 20時54分〜21時00分


秋色・大和路の社寺 

 秋桜と書くコスモスが咲き乱れる秋色の大和路。奈良・北山の般若寺や葛城山、金剛山の東麓の「葛城の道」の沿道の民家の庭先や社寺の境内にはコスモスが秋風にゆれていた。


 
般若寺(奈良市)  放送 10月22日(月)
楼門(国宝) 奈良・北山の名刹、般若寺は花の寺として知られ、秋の9〜10月にかけて目に鮮やかなコスモスが、国宝の楼門や本堂、十三重石塔(国・重文)などとマッチして、境内全体を華やいだ雰囲気にしている。
 開創は飛鳥時代、高句麗の僧・慧灌(えかん)によるとされるが、天平18年(746)に聖武天皇が平城京の繁栄と平和を願って大般若教を奉納、堂宇を造営し、鬼門鎮護の定額寺とした。奈良時代は官寺として栄え、般若寺千坊と呼ばれた程だった。平安時代の寛平7年(895)のころ、僧・観賢(かんげん)が学僧千余人を集めて学問道場を開き、長らく学問寺としても知られていた。
 平安時代末の治承4年(1180)平清盛の子・重衡の大軍が南都を攻め、東大寺、興福寺を焼き打ちにしたが、その時、般若寺も焼き打ちにあい伽藍(がらん)はことごとく焼失した。
(写真は 楼門(国宝))

十三重石宝搭(重文) 鎌倉時代に入って建長5年(1253)ごろ、十三重石塔がまず再建された。その後、西大寺の叡尊や忍性らによって伽藍の再興が進められた。現在残っている楼門、十三重石塔などはこの時代のものである。十三重石塔は鎌倉時代を代表する石塔で、四方に薬師、阿弥陀、釈迦、弥勒の各如来像が彫られている。
 本堂に安置されている本尊・文殊菩薩騎獅像(国・重文)は、元亨4年(1324)に高麗・慶州の仏師によって造られたものである。極彩色仕上げの獅子の上の蓮華座に座った姿は美しく、この文殊菩薩の知恵にあやかろうと多くの人の信仰を集めており毎年4月25日の文殊会式は大変なにぎわい。
 境内の一隅にある33体の観音石仏は江戸時代に病気平癒のお礼として信者が寄進したもので、西国三十三所観音霊場を表しており、秋は色とりどりのコスモスに囲まれている。
四季折々の花が咲き乱れる花の寺として知られている般若寺は、秋はコスモスが盛りとなるが、春にはヤマブキ、初夏にはアジサイが参詣者の目を楽しませている。
(写真は 十三重石宝搭(重文))


 
葛城の道(御所市)  放送 10月23日(火)
本堂(九品寺) 葛城山から金剛山の東麓、葛城山の登山口の葛城山ロープウエイへの途中の六地蔵から南へ約12km、風の森峠までの古道を「葛城の道」と呼んでいる。沿道の社寺を訪ね、田園風景や野山の草花を楽しみながろのハイキングコースとして知られている。
 この付近は6世紀前に勢力をふるっていた豪族・葛城氏、鴨氏の本拠地のあった所で、その歴史は「山辺の道」より長いと言われる。沿道には神さびた古社が多く、葛城坐一言主神社、葛城水分神社、高鴨神社、鴨都波神社、鴨山口神社など「葛城」「鴨」の名がつくものが目立ち、古代豪族の繁栄を今に伝えている。
(写真は 本堂(九品寺))

千体地蔵(九品寺) 六体の地蔵がひとつの巨岩に彫られて六地蔵を出発し、田んぼのあぜ道をたどり20分ほどの所に九品寺(くほんじ)がある。奈良時代の聖武天皇のころに行基が開いた寺と伝えれており、この地の豪族・楢原氏の菩提寺だった。本尊・阿弥陀如来座像(国・重文)は平安時代中、後期の藤原時代の作。
 境内や本堂裏山にびっしりと並ぶ千体地蔵と呼ばれる石仏群がある。約200年ほど前、境内の裏山を開墾していた時に出土したもので現在地に並べられた。南北朝の争いの時、南朝の楠木正成に味方した楢原氏の兵たちが身代わりとして奉納した石仏で、身代わり千体地蔵とも呼ばれている。南北朝の悲しい歴史が、風化した石仏の表情にうかがえる。
(写真は 千体地蔵(九品寺))


 
極楽寺と高天彦神社(御所市)  放送 10月24日(水)
極楽寺 参道の石段の上に堂々たる鐘楼門を構える極楽寺。平安時代初期の天暦5年(951)名僧・一和(いちわ)僧都が金剛山の東麓に、毎夜光が放たれるのを見て、その場所を発掘したところ仏頭(阿弥陀如来像の頭)が出土した。この仏頭を本尊として庵を結んだのが極楽寺の起こりと伝えられている。仏頭は天正15年(1582)兵火で焼失、後に末寺から阿弥陀如来像を本尊として迎えた。
 この里に住んでいた十河図書行光と言う武士が、山中で狩りしていて鹿を射止めようとした時、ひとりの行者が現れた。行者は行光に生き物の命の大切さ、仏の教えなどを説き、如来の姿を描いた軸を授け姿を消した。行光は出家し、自宅に授かった如来画像を天得如来としてまつり崇敬した。後に行光はこの天得如来画像を極楽寺に奉納したと伝えられている。以来、極楽寺では毎年4月15日に天得如来の法要・天得会式を営んでおり、この日は近郷近在の善男善女の参詣者でにぎわう。
(写真は 極楽寺)

高天彦神社 極楽寺から南の金剛山に向かう急な坂道の先の高天(たかま)の集落は、太古から日本の神々が住み、日本神話の舞台となった「高天ケ原」の地であると言い伝えられている。
高祖神・天照大神が統治し、瓊々杵尊(ににぎのみこと)がここから日向の高千穂の峯に降臨したとされている。
 高天の里からうっそうとした杉の大木が両側に並ぶ参道を登ると高天彦(たかまひこ)神社がある。祭神は葛城王朝を築いた葛城一族の祖神の高皇産霊神(たかみむすびのかみ)で別名・高天彦とも言った。境内は広くはないが金剛山を背にした古社らしい静寂な雰囲気がある。
(写真は 高天彦神社)


 
高鴨神社(御所市)  放送 10月25日(木)
社頭 御所市内には「かも」のつく地名が多いが、鴨神の集落に建つ高鴨神社は古代の豪族・鴨一族が守護神として祭った日本最古の社のひとつである。
 鳥居をくぐり両脇に杉の大木がうっそうと茂る参道を進むと、正面に室町時代の代表的神社建築の檜皮ぶきの本殿(国・重文)がある。
 また高鴨神社は4〜5月ごろに約2000鉢の日本サクラソウが咲く神社としても有名である。
(写真は 社頭)

拝殿 鴨一族は広く全国に分布し、それぞれの地に氏神を祭った。その中でも京都市の上賀茂神社、下鴨神社は有名だが、高鴨神社はこの両社の総社に当たる。
 鴨一族は、弥生時代中期にこの鴨神の丘陵地帯から葛城川沿いに進出して水稲栽培を始め、近鉄御所駅近くの鴨都波神社、東持田に御歳神社を祭った。高鴨神社を上鴨社、御歳神社を中鴨社、鴨都波神社を下鴨社とも言う。また神武天皇を熊野から大和へ道案内した八咫烏(やたがらす)は鴨一族の祖先とされている。
(写真は 拝殿)


 
船宿寺(御所市)  放送 10月26日(金)
薬師如来石仏 「葛城の道」のほぼ南端、高鴨神社から東へ国道をへだてた、船路集落の山ふところに船宿寺(せんしゅくじ)がある。今から1200年前、奈良時代の神亀年間(724〜729)葛城の地へ来た行基の夢の中に老人が現れ「この東の山中に船形の岩があるから、その上に薬師如来をおまつりするように」と告げた。夢から覚めた行基は夢で言われた通りの岩を見つけ、仏をまつって船宿寺と名づけたと言う。
(写真は 薬師如来石仏)

庭園 この付近は昔の高野街道沿いで、船宿寺も弘法大師の教えを説く道場として今日にいたっている。境内には四季折々の花が咲くが、とりわけ初夏のサツキが見事で参詣者を楽しませている。また裏山を借景にした池泉回遊式庭園から眺める金剛山と葛城山も違った趣がある。このような山里にどうして船にまつわる伝説、地名が残されたのだろうか。
(写真は 庭園)


◇あ    し◇
般若寺近鉄奈良線奈良駅からバス般若寺下車。 
九品寺近鉄御所線御所駅からバス櫛羅下車徒歩20分。 
極楽寺近鉄御所線御所駅からバス鳥井戸下車徒歩15分。 
高天彦神社近鉄御所線御所駅からバス鳥井戸下車徒歩25分。 
高鴨神社近鉄御所線御所駅からバス風の森下車徒歩20分。 
船宿寺近鉄御所線御所駅からバス船路下車徒歩10分。 
◇問い合わせ先◇
般若寺0742−22−6287 
御所市商工観光課0745−62−3001 
九品寺0745−62−3133 
極楽寺0745−66−0145 
高天彦神社、高鴨神社0745−66−0609 
船宿寺0745−66−0036 

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

    あなたも「関西の歴史や文化を楽しみながら探求する」歴史街道倶楽部に参加しませんか?
    歴史街道倶楽部では、関西各地の様々な情報のご提供や、ウォーキング、歴史講演会など楽しいイベントを企画しています。
   倶楽部入会の資料をご希望の方は、
 ハガキにあなたのご住所、お名前を明記の上、
          郵便番号 530−6691
          大阪市北区中之島センタービル内郵便局私書箱19号
                  「テレホンサービス係」
へお送り下さい。
   歴史街道倶楽部の概要を解説したパンフレットと申込み用紙をご送付いたします。
       FAXでも受け付けております。FAX番号:06−6448−8698   

歴史街道推進協議会