月〜金曜日 21時48分〜21時54分


兵庫・生野町、和田山町 

 兵庫県のほぼ中央に位置する生野町は播磨方面からの但馬の玄関口。古くから生 野銀山で知られ銀山とともに栄えてきた鉱山の町。和田山町は生野町の北にありJR 山陰線と播但線が接続するなど交通の要所で、円山川沿いに発展した町で、農業のほ かに家具生産が盛んな町として知られている。


 
生野銀山  放送 10月23日(月)
生野鉱山石門 生野町といえば「生野銀山」と言われるほど銀山の知名度は高い。生野銀山は平 安時代初期の大同2年(807)に発見されたと伝えられているが、裏付ける資料が なく正確な時期は不明。本格的な採鉱は戦国時代の天文11年(1542)で、その 後、織田・豊臣時代、江戸時代には銀山開発が盛んに進められた。江戸時代は佐渡金 山、石見銀山と並んで徳川幕府の財源的な存在だった。
 明治維新後は政府直轄の鉱山となり、フランス人技師を招き、採掘や鉱石の運搬な どにフランスの技術を採り入れ近代化を図った。明治22年(1889)に宮内省の 所属になり、明治29年(1896)に民間の三菱合資会社に払い下げられた。大 正、昭和時代には日本有数の鉱山として金、銀、銅、鉛、亜鉛、スズなどを産出した が、鉱石が枯渇し昭和48年(1973)閉山した。
(写真は 生野鉱山石門)

灰吹銀 戦国時代から430年間にわたって掘り進められた生野銀山の坑道は、東海道新 幹線新大阪駅から静岡駅近くまでの距離に匹敵する総延長350km、地下880m の深さにまで達した。
 国の史跡に指定された生野銀山跡は、民間会社の手で坑道などが整備され観光施設 となった。坑内には江戸時代から現代までの採掘作業が人形を使って再現されてい る。江戸時代の坑道は坑夫ひとりがやっと通れるほどのもので、岩肌にはノミの跡が 今も生々しく残っており、当時のつらい坑内作業がしのばれる。
 鉱山資料館には坑内から出土した江戸時代の雁木(がんぎ)、はしご、竹とい、製 錬に使ったふいご、坑内の模型、鉱石標本、銀山の様子を描いた江戸時代の絵巻物な ど、生野銀山にかかわる豊富な資料が展示されている。
(写真は 灰吹銀)


 
生野鉱物館  放送 10月24日(火)
江戸時代の坑道図 わが国の鉱物学の先駆者・和田維四郎(つなしろう)博士(1856〜192 0)が、日本各地から集めた鉱物標本、江戸時代中期の愛石家・木内石亭のコレクシ ョン、生野銀山に勤務していた藤原寅勝のコレクション、三菱マテリアルのコレクシ ョンを一堂に集めて展示しているのが生野鉱物館。わが国最大級の鉱物博物館と言わ れ、所蔵している鉱物標本は約240種、5200点におよぶ。その中から貴重なも の、美しいものなど約2000点を選んで展示している(写真は 江戸時代の坑道図)

輝安鉱 展示されている鉱物は生野銀山の中心鉱物だった銀の鉱石、産出時には1m近く もあったと言う輝安鉱、代表的な銅鉱石の黄銅鉱、中南米に多く産出し「インカロー ズ」とも呼ぶ菱マンガン鉱、トパーズの名で親しまれている黄玉のほかに紫水晶、孔 雀石など。
 これらの鉱物の中には再び入手することが困難な逸品もあり、学術的にも貴重な標 本が多く、その存在は世界的にも有名だ。一般の人々にはなじみの薄い鉱石だが、そ の色や形も様々で学術的な意味合いを念頭に入れずに石を美術品、造形品として観賞 するのも面白い。深い地下から掘り出された鉱石の輝き、形などに神秘さが感じられ 新たな価値観が生まれてくる。
(写真は 輝安鉱)


 
口銀谷(くちがなや)の町並  放送 10月25日(水)
生野製鉱所図(明治時代) 銀の産出量が多くなった豊臣時代から江戸時代にかけ、生野には大勢の人たちが 移り住むようになり町は栄えた。代官所の役人やその関係者、生野銀山で働く人、こ れらの人々を相手にする商人らが住みついたのが生野町の中心地・口銀谷地区。ここ には古い民家や明治19年(1886)に建てられた旧生野警察署の洋館の建物が残 っており、鉱山町独特の雰囲気を感じさせる。
(写真は 生野製鉱所図(明治時代))

カラミ石 町内のいたるところに「カラミ」から作った石垣、塀、土台などが目につく。カ ラミは鉱石を製錬する過程で出る鉱滓(こうさい)で、このカラミを角型に成形した ものを石垣、塀、土台などに使っている。カラミには金属の残留物が多く、成形した 角型の重さは1個100kgもある。
(写真は カラミ石)


 
生野の変  放送 10月26日(木)
延応寺 徳川幕府直轄の生野銀山を標的に倒幕を目指す尊王の志士たちが文久3年(18 63)、大和の天誅組に呼応して兵を挙げた。但馬に潜入していた九州・筑前の尊王 派の志士・平野国臣や長州奇兵隊総管・河上弥市らが、尊王攘夷派の公卿・沢宣嘉を 長州から盟主として迎え、延応寺に20数名の諸藩の浪士と共に結集し、倒幕の謀議 をした。兵庫県文化財に指定されている大ケヤキで知られる延応寺は、この生野義挙 有縁の地である。
(写真は 延応寺)

生野代官所跡 延応寺に結集した尊攘派の志士たちは、生野代官所を襲撃して占拠した。これに 呼応する形で近郷の農民約3000人が集結してきた。しかし、大和の天誅組が敗 れ、志士らを討伐するため近隣の豊岡、出石両藩からの出動命令が出るなど、状況は 不利な方向に展開して行った。挙兵志士の中で内部分裂が起こり、首領と仰いだ沢ら の首謀者らが逃亡したため、挙兵は代官所を襲撃しただけで終わり、わずか3日間で 雲散霧消した。挙兵した志士らは自刃したり、捕らえられて処刑された。明治維新は この4年後に実現しており、大和の天誅組と共に倒幕の先駆けとなった。生野代官所 跡(現生野小学校)に「生野義挙碑」が建っている。
(写真は 生野代官所跡)


 
竹田城跡  放送 10月27日(金)
竹田城跡遠望 和田山町のJR播但線竹田駅西の標高353mの古城山頂上にあるのが虎臥(と らふす)城の異名を持った竹田城跡。竹田城は但馬の守護職で室町時代の武将・山名 宗全が中国の大内氏、播磨の赤松氏、丹波の細川氏に備えて、嘉吉3年(1443) から13年間の歳月をかけて築いた山城。山頂の城のたたずまいが虎が伏した姿に見 えたことから虎臥城の名で呼ばれた。山名宗全は家臣の大田垣氏を城主にしてこの城 を守らせていたが、戦国時代の天正5年(1577)に羽柴秀吉の軍勢に攻められ落 城した。
(写真は 竹田城跡遠望)

竹田城跡からの眺望 豊臣時代は龍野城主の赤松広秀が城主となり、大規模は城の改修を行い現存する 竹田城跡の城郭が完成した。広秀は関ヶ原の戦いの際、徳川家康に命で自刃し、竹田 城も廃城となった。
 東西約100m、南北約500mの城跡には、大手門、本丸、天守台、見付櫓、東 の丸、花屋敷などの石垣が、今もほぼ原形のまま残っている。これら石垣の遺構から 往事の威容がうかがえ、城郭史的にもわが国の山城では屈指のものとされている。城 跡からは山あいを縫うように流れる円山川と沿岸に広がる竹田の町並が望める。
(写真は 竹田城跡からの眺望)


◇あ    し◇
生野銀山、生野鉱物館JR播但線生野駅からバス奥銀谷下車徒歩5分。 
延応寺JR播但線生野駅下車徒歩5分。 
生野義挙碑(生野代官所跡)
JR播但線生野駅下車徒歩10分。
竹田城跡JR播但線竹田駅下車徒歩40分。 
◇問い合わせ先◇
生野町役場まちづくり政策課0796−79ー2240 
生野町観光協会0796−79ー2222 
生野銀山、生野鉱物館(株式会社シルバー生野) 0796−79ー2010
延応寺0796−79ー2229   
竹田城跡(竹田町役場商工労働課) 0796−72−3301

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
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