月〜金曜日 18時54分〜19時00分


和歌山県・紀北の秋 

 紀伊半島に位置する和歌山県は自然に恵まれ、長い海岸線のあちこちに景勝の地があり、魚介類の海の幸にも恵まれている。清流の川が幾筋も流れ、その流れに沿って渓谷美が連なり、紀伊山脈を縫うように熊野古道が続いている。特産のみかんや山の木々が色づいてきた紀北の秋を訪ねてみた。


 
みかんの里(下津町)  放送 10月28日(月)
 和歌山と言えばみかん。特に下津町は町内の橘本(きつもと)が、紀州みかん発祥の地と伝えられるみかんの里。橘本神社の祭神・田道間守(たじまもり)は垂仁天皇の命を受け、不老長寿の霊菓を求めて常世国に渡り、十余年の辛苦の末に橘の実を持ち帰った。だが、その時すでに垂仁天皇は死亡しており、田道間守は落胆のあまり、天皇の墓前で自害して死んだとも伝えられている。
 この橘の実から発育した橘が移植されたと伝えられる橘が、橘本神社の旧社地「六本樹の丘」にある。この橘が品種改良を重ねて今日の紀州みかんになったと伝えられ、田道間守は「蜜柑(みかん)の始祖」と言われている。
 昔は果物を菓子と言ったことから、橘本神社では毎年4月3日に菓子祭があり、この日は菓子製造業者や柑橘関係業者が参拝、色とりどりの菓子を奉納してさらなる繁栄を祈願する。

田道間守

(写真は 田道間守)

紀州みかん船

 リアス式海岸の天然の良港・下津港はみかん船で知られる紀伊国屋文左衛門の船出の伝承港としても知られている。木材とみかんを江戸へ運び大もうけをした文左衛門は、その金を湯水のごとく使う大尽ぶりがたたり、晩年は没落してこの世を去ったとされている。
 11月、紀州路のみかん畑では色づいたみかんがたわわに実り、収穫の最盛期を迎える。
下津町のみかん畑では、観光客にもぎたてのみかんを味わってもらう、観光みかん園があちこちでオープンしている。週末には家族連れの観光客らがジューシーなもぎたてのみかんを味わっている。

(写真は 紀州みかん船)


 
福勝寺(下津町)  放送 10月29日(火)
 熊野古道の藤白峠頂上近く古道脇にある地蔵峰寺(じぞうぶじ)は、鎌倉時代に彫られた高さ3m余の石造の地蔵菩薩座像(国・重文)を本尊とし、地元の人たちから「峠の地藏さん」と親しまれている。この地蔵菩薩像は仏身と光背が砂岩の一石で彫られたもので、右手に錫杖、左手に宝珠を持ち石の台座の上にどっかりと座り、本堂の内陣を占有している。光背の裏に元亨3年(1323)の年号が刻まれた製作者の銘があり、鎌倉時代末期の優れた石造仏にあげられている。本堂正面の小高い丘にある高さ約3.7の石造宝篋(ほうきょう)印塔は、なかなか見事なもので、和歌山県下四大宝篋印塔のひとつ。
 本堂(国・重文)の創建は明らかでないが、柱に永正10年(1513)の刻書があり、この時代の建立と見られている。

石造地蔵菩薩像(地蔵峰寺)

(写真は 石造地蔵菩薩像(地蔵峰寺))

福勝寺

 地蔵峰寺の北の台地は、紀伊国名所図会に「熊野路第一の美景なり…」と記された眺めの良いところ。白河上皇熊野詣行宮跡で「御所の芝」と呼ばれ、近くは和歌の浦、雑賀崎、友が島、遠くは淡路島、四国までが望める。
 この眺めのよい台地から、古道を南へ下った福勝寺は弘法大師の開基と伝えられる古刹である。
本堂内には本尊・千手観音菩薩像と四天王像が安置されている。長く緩やかな曲線を描く参道の石段がゆかしい趣をかもし出している。本堂北側の求聞持堂は、紀州徳川家初代藩主・徳川頼宣が創建し、頼宣が守り本尊としていた虚空蔵菩薩像が安置されている。
 本堂近くの高さ20m、幅30mの岩窟の上から落ちる滝は、滝の裏側が見えることから「裏見の滝」と名づけられた。岩窟には弘法大師が刻んだと伝えられる不動尊像がまつられている。

(写真は 福勝寺)


 
生石高原(野上町)  放送 10月30日(水)
 生石(おいし)高原は標高870mの生石ヶ峰を中心に、海南市と野上、清水、金屋の一市三町にまたがり、13haの県立自然公園に指定されている。頂上からの眺めは雄大で、西側の眼下に和歌浦、湯浅湾、遠くには淡路島、四国が望め、東には高野山に連なる熊野連峰、まさに360度の大パノラマ。
 生石高原は春はヤマザクラと新緑、夏はヤマユリが清楚な花をつけ、秋はススキと四季折々の草花が咲き、冬は雪に覆われうこともある。生石高原のメインと言えばススキ。銀白色の穂をつけたススキに一面おおわれる秋の大草原は圧巻で、秋風に揺れるススキはまるで銀色の海原のようで、ハイカーたちの人気が集まる。見ごろは11月初旬の連休まで。

生石高原

(写真は 生石高原)

笠石

 生石高原は弘法大師との関わりが深く、山頂中央部に横たわる周囲90mの大岩「笠石」は、大師が護摩をたいて修行した場所と伝えられている。また「押し上げ岩」と呼ばれる岩は、弘法大師が押し上げたとされ、大きな手形のような跡が岩についている。山頂から200mほどくだったところにある生石神社は、高さ15mの巨石を御神体にしている。
 「山の家おいし」の土産物売り場で珍しい特産品が売られている。野上町特産のシュロを使ったほうき、たわし、ロープなどのシュロ製品。ミニチュアのシュロほうきが付けられたキーホルダーの絵馬には「交通ほうきを守りましょう」と書かれている。

(写真は 笠石)


 
星降る里(美里町)  放送 10月31日(木)
 美里町は澄んだ空気と星空の美しいことで知られる町。430mの山頂に星の動物園と名づけられた「みさと天文台」がある。公開施設としては世界でも屈指の天文台で、望遠鏡と天体観測室のある「星の塔」には、口径105cmの大スケールのカセグレン式反射望遠鏡が備えられ、本格的なスターウオッチングが楽しめる。この反射望遠鏡は従来の50cmクラスの望遠鏡と比べると約2倍遠くまで見える。
 宇宙に関するさまざまな情報や知識を提供している「月の館」、自然の中で星の観測が楽しめる広場の「空の庭」と「星の塔」を合わせての3つのゾーンで、夜空にまたたく星の動物たちとふれあえる。この大自然の中で星空をながめると、宇宙の神秘と魅力に取りつかれてしまうかもしれない。

みさと天文台

(写真は みさと天文台)

星の塔

 星の塔の周囲には自然木を敷き詰めた展望デッキが取り囲んでいる。この展望デッキに出ると緑の山並み、透き通るような星空の360度の大パノラマが展開し、息を飲むような美しさを満喫することができる。
 この天文台にはバンガローが併設されていて、泊まり込みで一晩中でも降り注ぐ星を眺めることができる。宿泊者には貸し出し用の望遠鏡も用意されており、心ゆくまでスターウオッチングができる。また、研修や天体観測会などに利用できるセミナーハウス「未来塾」もあり、スモッグにかすむ都会の夜空では体験できない夜空のロマンに出会えるかもしれない。

(写真は 星の塔)


 
自然の安らぎ(美里町)  放送 11月1日(金)
 紀ノ川支流の貴志川上流のだるま石渓谷は、清流、岩肌、そして山の緑が四季それぞれに自然美を織りなす景勝の地。
 1200年の昔、平安時代初期の桓武天皇の時代に征夷大将軍になった坂上田村麻呂が、若き日に美里温泉のある当地に逗留したことがある。村の娘との間に一子をもうけたが、この地を離れる際に村とわが子の守護神として熊野から勧請したのが、美里温泉近くにある熊野神社の始まりと伝えられている。以後、その子の子孫が代々熊野神社の宮司を務めたと言われている。境内には田村麻呂をしのぶ「将軍塚」と呼ばれる宝篋(ほうきょう)印塔(和歌山県指定文化財)と田村麻呂お手植えと伝えられる「将軍桜」がある。

だるま石渓谷

(写真は だるま石渓谷)

熊野神社

 その田村麻呂が発見したと言うのが美里温泉。単純硫化水素泉の温泉は神経痛、糖尿病、皮膚病などに効くほか、肌が美しなる美肌効果があると言われる「美人湯」「美容温泉」として人気が高い。
 美里温泉ただ一軒の旅館は、公共の宿・かじか荘。大自然の中に包まれ露天風呂もあり、夏には貴志川の清流で鳴くカジカの声を耳に、秋は色づいた木々を眺め、夜は降るような星空の下で湯ぶねにつかっていると、心身ともにリフレッシュする。
 山の幸、川の幸をふんだんに使った料理も楽しめる。夏はアユ、ヤマメ、新鮮な山菜、晩秋から冬にかてはイノシシ肉のボタン鍋や将軍鍋が格別においしい季節である。

(写真は 熊野神社)


◇あ    し◇
橘本神社、地蔵峰寺、福勝寺JR紀勢線加茂郷駅からバスの便はなくタクシー利用。 
生石高原JR紀勢線海南駅からバス(有田鉄道バス1日2便)札立峠下車徒歩30分。 
JR紀勢線海南駅からバス(大十オレンジバス)登山口下車徒歩2時間30分。
みさと天文台JR紀勢線海南駅からバス美里温泉下車徒歩30分。 
熊野神社、美里温泉JR紀勢線海南駅からバス美里温泉下車。 
◇問い合わせ先◇
下津町役場産業課・下津町観光協会073−492−1212 
橘本神社073−494−0083         
野上町役場産業経済課073−489−2430 
美里町役場産業課・美里町観光協会073−495−2021 
みさと天文台073−498−0305 
美里温泉・かじか荘073−498−0102 

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

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