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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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水の都・大阪 |
豊臣秀吉が大坂城を築いてから急速な発展をとげた大阪は、戦前までは淀川、大川をはじめ人工的に掘られた堀川(運河)が市街地を縦横に走り「水の都・大阪」と言われた。この堀川を利用して全国から物資が大阪に集まり、江戸時代には諸藩の蔵屋敷が堀川沿いに建ち並び「天下の台所」と言われていた。一方、飲み水の確保には苦労しており、良い水の出る井戸を名水として重宝し、今も名水井戸の跡が各地に残っている。 |
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江戸時代には生国魂神社神社境内に芝居や見世物小屋が軒を連ね、さまざまな芸能が行われてにぎわった。京都で露の五郎兵衛が始めた上方落語を米澤彦八と言う落語家が、生国魂神社の境内の舞台で披露して大坂に広めたと言われ、上方落語の祖ということで境内に記念碑が立っている。当時の生国魂神社付近のにぎわいが「浪速百景」にも描かれている。 |
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(写真は 浄瑠璃神社) |
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四天王寺の亀井堂は、堂の中心に大きな亀甲の石の水盤があり、亀の口から霊水が水盤に流れ出ている。参拝者は経木(きょうぎ)に亡くなった人の戒名を書き、回向してもらった後に亀井堂の水盤の水に入れて追善供養する。経木が水に浮くと極楽往生したことになり「これでご先祖も浮かばれた」と安心する。 |
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(写真は 亀の池) |
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この太閤下水は今も現役の下水道として活躍しており、その太閤下水の見学施設が大阪市中央区農人橋一丁目の市立南大江小学校内にある。秀吉の発案で始まった大阪市の下水道の原形ともいえる下水道が脈々と引き継がれ、大阪市の環境保全に大きな役割を果たしている。太閤下水の見学と問い合わせは大阪市下水道技術協会へ。 |
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(写真は 東横堀川) |
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土佐堀川と中之島公園を背にし、大阪証券取引所の向かい側に建つ北浜レトロビルヂングは、証券の仲買業者の社屋として明治45年(1912)竣工したビルで、当時の最新建築様式を随所に見ることができる。この築後80年を過ぎたビルを改修して「北浜レトロ」と言う英国アンティーク喫茶を始めたのは北山寿一さん。大阪府庁を途中退職して「英国アンティークの雰囲気の紅茶喫茶店を始めたい」との夢を実現させた。 |
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(写真は 英国アンティーク喫茶) |
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上町台地の北端、大阪城内にも多くの井戸があった。天守閣前にある豊臣秀吉が黄金を沈めたとの伝説がある金明水井戸(国・重文)は、深さが33mもあり今もこんこんと水が湧き出ている。この井戸は徳川時代には黄金水と呼ばれ、金明水は別の井戸だった。いつのころからか金明水井戸はなくなり、明治時代に入って黄金水井戸が金明水井戸と呼ばれるようになった。水の毒気を抜くため秀吉が黄金を沈めたと伝えられていたが、昭和34年(1959)の調査では黄金はひとつも出なかった。 |
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(写真は 金明水) |
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