月〜金曜日 21時54分〜22時00分


 伊勢参りは中世末から武士階級のあいだに行われるようになり、近世に入って御師(おし、おんし、祈祷師兼伊勢旅行の組織者)の活躍によって全国で伊勢講が組織され、仲間で金を積み立てて、順番に伊勢へ一生一度の旅をする人々が増加していった。また、江戸時代には抜け参り、またはお陰参りと云って、奉公先を無断で抜け出した丁稚や奉公人が伊勢参りに行く風習が生まれ、伊勢参りならという事で仕方なく許された。これは1650年以後、6回の大波が起こり、200万から400万人が伊勢に殺到する騒ぎとなった。幕末には「ええじゃないか」の騒ぎもあった。ある日突然屋根の上から沢山のお札(おふだ)が降って来て、群衆が「ええじゃないか」と叫んで乱舞し大騒ぎになる、という事が起こった。群集が次第にふくらんで行く。これがそのまま伊勢参宮になだれ込むこともあったらしい。
 話変わって、上方落語に「東の旅」というのがあって、気の合った清やんこと清八、喜い公こと喜六の二人がぶらりと大阪から伊勢参りの旅に出るという話。玉造を出ると二軒茶屋。酒の一杯も飲んで見送りの友と別れ、一路、生駒山の暗峠(くらがりとうげ)へ。ここから奈良へと下り、翌日は奈良見物、そして三輪、長谷、名張をへて松阪へ。更に宮川の渡し、伊勢神宮へとたどり着く。帰路は鈴鹿から近江路をとり、京を見物した後、三十石船で大阪へ下るのが落語の筋になっている。


 
玉造〜暗越(くらがりごえ) 放送日 11月1日(月)

二軒茶屋跡石碑

 喜六と清八という気の合う仲間が大阪を立って玉造の二軒茶屋で見送りの人たちとも別れ、生駒山をめざす。生駒山麓の枚岡には河内国一ノ宮、枚岡神社がある。藤原氏と縁の深い神社で天児屋根命(あめのこやねのみこと)と比売神(ひめがみ)他2神を祀る。神社の南に枚岡梅林があり、シーズンには賑わう。暗峠を越えると大和の国。暗峠には今も石畳がわずかに残り、往時をしのばせる。日本の道100選にも選ばれている。芭蕉も元禄7年に奈良から大阪へ向かうときこの道を通り、「菊の香やくらがり通る節句かな」の句を読んでいる。

暗峠石畳


この道は国道308号線になっているが、今なお古い街道の面影を残し、道の狭いところもあって車が少なく、ハイキングコースとしても楽しい道である。枚岡側からの登りは大変な急坂であるが、ようやく峠に近ずいてゆるやかな坂道になった頃、右側〈南)に清水が湧き出ており、弘法大師が杖で突いて水が湧き出たという伝説をもっている。今も名水を汲みにくる人が多い。


 
生駒〜奈良 放送日 11月2日(火)

猿沢池

 暗峠からだらだらと坂を下って行くと藤尾峠の石仏(鎌倉時代後期)など所々に石仏があり、なかには鎌倉時代作の優美な石仏の阿弥陀三尊が本尊〈石工、伊行氏1294年作)の石仏寺もある。その前を過ぎて、矢田山系の榁の木(むろのき)峠を越えると、追分の郡山藩の本陣前を通り、奈良に入る。

東大寺大仏


翌日は奈良見物。大仏や三笠山を見た後に三輪明神へと南下する。


 
初瀬(はせ)街道・伊勢路 放送日 11月3日(水)

伊勢講の看板

 三輪の神は大和朝廷が勃興期に崇拝した神で、古い信仰形態を残す。拝殿はあるが神殿はなく、後方の三輪山がご神体となっている。古くは大神神社と表記し、大物主神を祀る。三輪鳥居という独特三連の形をもつ鳥居が三輪山にむかって立つ。ご神体の中心は三輪山の中腹にある磐境(いわさか)である。
 三輪の東方8キロにある真言宗の豊山派の長谷寺には、平安時代の貴族たちに信仰され、賑わったが、その後も民衆の信仰によって支えられ、霊験あらたかな十一面観音(1538年重文)として有名である。西国33ヶ所の観音霊場第8番の札所であり、牡丹の花で有名である。

旧徳田屋旅館


 平安文学のなかに「蜻蛉日記(かげろうにっき)や「更級日記(さらしなにっき)」に長谷詣での様子が画かれている。江戸時代には伊勢参りの盛んになるにつれて途中にある三輪や長谷の寺社に立ち寄る人が増え、これらの場所が賑わった。長谷寺を出ると街道は山道にかかり、吉隠(よなばり)峠を越えると榛原(はいばら)にでる。さらに山路をたどると室生の郷から名張の盆地にでる。名張には藤堂家邸跡や古社、鹿高神社がある。
 伊勢街道は1本ではなく、もう一つは南の高見峠を越える道もあった。


 
松阪〜宮川 放送日 11月4日(木)

へんば餅の店

 伊勢の国松阪は街道の要衝で、5街道がここで合流する。特に1588年この町を開いた松阪城主の蒲生氏郷が、参宮街道を松阪の街中を通るように付け替え、町の発展を促したので、松阪は伊勢参りの宿泊客で毎日賑わい、商業の町としても大変繁栄した。松阪に集中する街道には参宮街道、伊勢街道、熊野街道、和歌山街道、長谷街道がある。特に、和歌山街道は和歌山藩の参勤交代の道筋にもあたり、松阪の繁栄にプラスした。
 今は商業の町、松阪も第一番に城下町としての顔をもつ。1588年に蒲生氏郷の築城した松阪城は阪内川をのぞむ丘にあり、かつては三層の天主を備え、その大広間は京の聚楽第にも匹敵するといわれたが、その後氏郷が会津へ転封となり、紀州徳川領になった。これと前後して城の施設もあらかた取り壊され、建物は何一つ残っていないが、幕末に建てられた松阪城警固の武士の住居(御城番屋敷)が残っている。

宮川の渡し(歌川広重画)


 城跡は現在は公園になっている。氏郷の去ったあとの松阪は、徳川領になって商業都市としての性格を強めて行く。三井家をはじめ有名な松阪商人の根拠地である。また、松阪には有名な国学者、本居宣長の屋敷跡(鈴の屋、特別史跡)や墓がある。鈴の屋は明治時代に城内に移されたので、元の屋敷跡というのが別にある。宣長の墓は新町の樹敬寺(じゅきょうじ)にある(史跡)。
 松阪から伊勢までは約20キロ余、宮川の渡しまで到着すれば、いよいよ伊勢である。現在の近鉄線が大阪方面から宮川駅を過ぎてすぐ、伊勢市に入る直前に宮川を渡る。その南側辺りが宮川渡しの跡である。広重の画く賑やかな渡し場の風景が神宮徴古館にあって、その頃の風景版画が目に浮かぶ。


 
外宮〜内宮 放送日 11月5日(金)

おかげ横丁

 伊勢神宮は外宮と内宮を総称して呼ぶ名である。元からこの地にあった農耕神の豊受大神が外宮となり、新たに大和から移された天照大神の内宮が加わって両方を伊勢神宮とよぶ。皇室の祖先神とされ敬われてきた。神社の建て方は神明造りという独特のもので、弥生時代の高床式の流れをくんでいる。

 外宮と内宮の中間にある低い丘は間の山(あいのやま)とよばれ、その中心は古市遊郭であった。かつては、遊女1000人をかかえ、日本5大遊郭(江戸吉原、京島原、大坂新町、長崎丸山、伊勢古市)の一であった。伊勢参詣の後は精進落としに遊郭に向かう人が如何に多かったかを示している。

 

内宮前宇治橋


現在宇治橋の北方にかかる新橋のそばに江戸時代の伊勢の町並みを復元した、「おはらい町、おかげ横丁」が人気を呼んでいる。赤福餅や生姜糖、民芸品を商う店が軒を連ね昔の情緒に浸れる。

 落語の清やんと喜い公はここで女芸人にからかわれる事になる。こうして無事に伊勢神宮参詣を終えた二人は、近江路をとって京に向かい、京を見物の後、三十石船に乗って大坂に帰るという話になっている。


あ    し


 暗越峠へは近鉄奈良線の枚岡から徒歩1時間
 東大寺大仏殿へは近鉄奈良駅から徒歩15分、または奈良交通バスで東大寺大仏殿前か大仏殿春日大社前下車5分、JR奈良駅から奈良交通バス、東大寺大仏殿前か大仏殿春日大社前下車5分。
 大神神社(三輪神社)へは、JR桜井線三輪下車、10分、または近鉄大阪線桜井駅北口下車、奈良交通バス天理方面行きで三輪明神参道口下車15分。
 長谷寺へは近鉄大阪線長谷寺下車、徒歩20分。
 鹿高神社
 松阪へは近鉄山田線またはJR紀勢線松阪下車

 松阪手織り木綿センターは市役所近くにある
 伊勢市の伊勢神宮外宮へは近鉄山田線かJR参宮線伊勢市または近鉄参宮線宇治山田駅 から徒歩5−10分、内宮へは宇治山田からバス内宮前下車15分。


みどころ


 奈良市内には東大寺のほか春日大社、興福寺、新薬師寺、法華寺、元興寺極楽坊、十輪院、白豪寺、般若寺、興福院(こんぶいん)、国立奈良博物館、県立奈良美術館、奈良町界隈。薬師寺、唐招提寺、西大寺、秋篠寺。
 三輪神社の近くには、山之辺の道、長岳寺、安倍文殊院、多武峯談山神社、など。
 長谷寺近辺には、法起院。
 名張には名張藤堂家邸(県重文)。
 松阪には松阪城跡、本居宣長旧居(鈴屋)と墓、来迎寺本堂(重文)
 伊勢市には伊勢神宮のほか神宮徴古館、神宮文庫、猿田彦神社、お伊勢まいり資料館、朝 熊山金剛証寺。
 二見町には二見浦。


味・土産


 奈良市   奈良茶漬け、奈良漬け、奈良茶、城の口餅、
        一刀彫り、奈良晒し、奈良漆器〈螺鈿細工)、赤膚焼、書道の墨、
 三輪    三輪そうめん、みむろ最中、
 長谷寺   山菜料理、草もち。
 松阪市   松阪木綿手織りセンターの縞木綿、
        松阪牛
 伊勢市  伊勢うどん、赤福、手こねずし、うなぎ。
 二見町  さざえの壷焼き、真珠漬け。


 問い合わせ先


 大阪市都市観光課        06−6208−8181
 奈良市観光センター       0742−22−5200
 桜井観光案内所         0744−44−2377
 長谷寺               0744−47−7001
 室生村観光協会         07459−2−2315
 名張市商工観光課        0595−63−2111
 松阪市商工観光課        0598−53−4406

 松阪木綿手織りセンター     0598−26−6355
 伊勢市観光案内所        0596−23−9655 

 おかげ横丁総合案内所     0596−23−8838   


◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

@・・・ひょうごシンボルルート   
A・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
B・・・越前戦国ルート              
C・・・近江戦国ルート              
D・・・お伊勢まいりルート         
E・・・修験者秘境ルート           
F・・・高野・熊野詣ルート         
G・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

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歴史街道推進協議会