月〜金曜日 20時54分〜21時00分


京都市・東山

 東山三十六峰と言われる東山山麓には有名な古社寺が集中し、円山公園の景勝地と合わせて京都観光の中心地である。麓には祇園の花街もあり、艶やかな夜を彩っている。今回はその東山の一角を紹介する。


 
長楽寺  放送 11月12日(月)
円山公園 円山公園の東南の小高い場所に建つ長楽寺は、延暦24年(805)伝教大師・最澄が創建した古い寺。創建当時は天台宗に属していたが、室町時代初めに国阿上人が寺を中興した時に時宗に改めた。
 また、「平家物語」の悲劇のヒロイン・建礼門院徳子ゆかりの寺としても知られており、戦乱の世に犠牲となった女性の悲劇を今の世に伝えている。
(写真は 円山公園)

建礼門院徳子法尼尊像(長楽寺) 源平合戦・壇ノ浦の戦いでわが子・安徳帝を追って入水したが果たせず、助けられた徳子は源氏の手で京へ連れ戻された。長楽寺住職・印誓上人を戒師としてで出家、得度した。本堂前の十三重石塔の供養塔の下にはその黒髪が埋められていると言う。寺には建礼門院徳子法尼尊像、安徳天皇尊像が安置されている。
 徳子は長楽寺で髪を下ろす際、布施とした供えるものを何も持っていなかったので、愛児・安徳帝の形見の衣を納めた。この衣で仏幡16流が作られたと言う。
 徳子は長楽寺で剃髪、得度した後、大原・寂光院に庵を結んで隠棲し、安徳帝と滅亡した平氏一門の冥福を祈って過ごした。
(写真は 建礼門院徳子法尼尊像(長楽寺))


 
ねねの道  放送 11月13日(火)
三面大黒天 歴史街道のモデル事業として電線類の地中化や石畳の路面が整備され、歴史的景観が整えられた高台寺下の通りを「ねねの道」と呼ぶ。
 高台寺は豊臣秀吉の正室・北政所ねねが夫・秀吉や親族の菩提を弔うために、徳川家康の助力で慶長11年(1606)に創建した寺。この寺は江戸時代から明治時代にかけてたびたび火災に遭い、現在の本堂、庫裏は大正元年(1912)に再建されたもの。創建当初からの建物は開山堂や霊屋(たまや)、伏見桃山城から移したと伝えられる表門、観月台、傘亭(からかさてい)、時雨亭などで、いずれも国の重要文化財に指定されている。
 開山堂の内部は天女図、草花模様が極彩色で描かれ、絢爛(けんらん)豪華な安土桃山時代の特色をよく表している。北政所が葬られている霊屋の須弥壇、厨子の蒔絵(まきえ)は安土桃山時代工芸美の粋を集めたもので、高台寺蒔絵として有名である。
(写真は 三面大黒天)

北庭(圓徳院) 塔頭の円徳院は伏見城の化粧殿を移し、ねねがその晩年の20年間住み、76歳の生涯を閉じたところである。円徳院の寺宝・三面大黒天は毘沙門天、弁財天、大黒天の三天が合体したもので、秀吉の守り本尊・念持仏と言われている。
 化粧殿と一緒に伏見城から移された方丈前の枯山水庭園は、安土桃山時代の作風をよく残し、多数の巨岩大岩が置かれた豪壮な庭園として知られており、国の名勝に指定されている。
 円徳院は元はねねの甥の居宅だったところで、晩年のねねはそこに住んでいた兄の木下定家や甥の利房ら親族に支えられていた。また、秀吉の家臣の加藤清正、福島正則、浅野長政らも訪ねており、これらの近親者やかつての家臣らに囲まれていた時が、一番心が和んだひとときだったようだ。隣接する掌(しょう)美術館ではねねの愛用品が公開されている。
(写真は 北庭(圓徳院))


 
八坂の道  放送 11月14日(水)
霊應山法観寺(八坂の塔) 東山のシンボル「八坂の塔」として親しまれているのが法観寺の五重塔(国・重文)。
その創建は聖徳太子にまでさかのぼると伝えられる京都市内では最古の由緒を持つ寺。
創建後、五重塔はたびたび火災などで焼失し、現在の塔は永享12年(1440)室町幕府6代将軍・足利義教が再建したもので、応仁の乱(1467)でも焼けなかった。中心礎石は創建当時のもので、円形の舎利孔など白鳳の様式をとどめている。
 八坂の塔から三年坂までの「塔のある八坂の道」は、京情緒があふれる道でもある。
二年坂の中ほど、甘味処「かさぎ屋」は明治、大正の人気画家で詩人の竹久夢二ら文化人が通ったと言う店で、店内には夢二が店主のために描いた絵が掲げられている。
(写真は 霊應山法観寺(八坂の塔))

竹下夢二の色紙(甘味処かさぎ屋) 三年坂(産寧坂)と二年坂の中間にある清水三年坂美術館は、幕末から明治時代にかけての七宝、金工、京薩摩、蒔絵(まきえ)などを展示する美術館。これらの技法はシルクロード周辺の国々から渡来したものを日本独自のものに進化させた美術品で、手の込んだ細工には目を見張る。
 高台寺で晩年を過ごした豊臣秀吉の正室・ねねを慰めようと芸人たちが下河原通周辺に移り住み、この芸人たちが後に下河原芸者となった。またこの周辺は江戸時代には遊女屋の設置が認められ、八坂の塔のまわりでは遊女たちが夜を徹して踊り明かしたとも伝えられている。
(写真は 竹下夢二の色紙(甘味処かさぎ屋))


 
維新の道  放送 11月15日(木)
翠紅館跡 石畳の二年坂を下り霊山(りょうぜん)観音の南側を通り、霊山護国神社裏の明治維新の志士たちの墓へ向かう道を「維新の道」と呼ぶ。
 霊山護国神社の参道・維新の道に沿う料亭「京大和」の庭園内の書院造りの翠紅館は、文久3年(1863)勤皇の志士たちが集まって倒幕、攘夷、天皇親政への具体的な協議をした場所で、この歴史的な会議は翠紅館会議と呼ばれている。
(写真は 翠紅館跡)

坂本龍馬の墓 霊山護国神社は明治元年(1868)幕末から明治維新までに国事に奔走し、維新の原動力となって倒れた各藩の志士たちをまつったわが国初の官祭の招魂社である。この霊山護国神社境内背後の霊山中腹に木戸孝允、坂本龍馬、中岡慎太郎、頼三樹三郎、平野国臣ら勤皇の志士たち1043人の墓があり、この付近一帯は明治維新史跡公園となっている。
 霊山護国神社の南にある霊山歴史館は、坂本龍馬の肖像画や坂本龍馬を斬った刀など、勤皇の志士たちの遺品や遺墨類が展示されている。また明治維新の研究書などもそろっているほか、志士のポスターやグッズなども販売している。
(写真は 坂本龍馬の墓)


 
下河原通り  放送 11月16日(金)
下河原の阿月 八坂神社の南門から南へ延びる小道が下河原通り。川もないのにこの地名は?。昔は高台寺山から流れ出る菊渓(きくたに)川や清水音羽山から流れくる轟川などの河原があったと言う。慶長年間、高台寺で晩年を過ごした豊臣秀吉の正室・北政所のつれづれを慰めるために芸人の女性たちがこの付近に多く住んだ。やがてこれらの芸人たちが下河原芸者となり、この付近一体が花街となった。
 この通りには格子戸の旅館や料亭、花街らしい三味の音がもれてくる三絃店、直径15cmもの大三笠が名物の和菓子店などが建ち並び、女性的な肌合いが強く感じられる通りである。
(写真は 下河原の阿月)

八坂庚申堂 下河原通りの一番南にあるのが八坂庚申堂、正式には金剛寺庚申堂。本尊の青面金剛童子は秦氏の念持仏だったが、秦氏滅亡後に一般の人にもお参りができるようにと、この地に堂を建て安置したのが始まりで、東京・浅草寺、大阪・四天王寺ともに日本三庚申のひとつ。
庚申信仰とは年に6回ある庚(かのえ)申(さる)の日の前夜、人間の体内にいる三尸(さんし)の虫が眠っている間に体内から抜け出し、その人の罪を天上の帝釈天に告げ、その人の寿命を短くすると言われている。この夜は眠らずに夜を明かす庚申待ちと言われる信仰が庶民の間に広まった。
 本堂内には伝教大師・最澄の作と言われる見猿、言わ猿、聞か猿の三猿像がある。また病気平癒のコンニャク封じが有名で、毎年正月6、7日の新春祈祷会と初庚申会には厄除けコンニャク炊きが行われる。
(写真は 八坂庚申堂)


◇あ    し◇
長楽寺京都市バス祇園下車 徒歩10分。 
高台寺、円徳院京都市バス東山安井下車 徒歩5分。 
八坂の塔・法観寺、
甘味処・かさぎ屋、
清水三年坂美術館
京都市バス清水道下車 歩5分。 
霊山護国神社京都市バス東山安井下車 徒歩7分。 
霊山歴史館、京大和翠紅館 京都市バス東山安井下車 徒歩5分。 
八坂庚申堂(金剛寺)京都市バス東山安井下車 徒歩5分。 
◇問い合わせ先◇
長楽寺075−561−0589 
高台寺075−561−9966 
円徳院075−525−0101 
八坂の塔・法観寺075−551−2417 
甘味処・かさぎ屋075−561−9562 
清水三年坂美術館075−532−4270 
霊山護国神社075−561−7124 
霊山歴史館075−531ー3773 
京大和翠紅館075−525−1555 
八坂庚申堂(金剛寺)075−541−2565 

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

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歴史街道推進協議会