月〜金曜日 18時54分〜19時00分


福井・永平寺 

 永平寺は道元が開いた禅宗のひとつ曹洞宗の大本山で、福井市の東、永平寺町の大仏寺山の山麓の幽谷の地にある。ひたすら座禅する「只管他座(しかんたざ)」を説き、修行僧たちは厳しい修行の毎日を送っている。こんな禅寺の一コマを垣間見た。


 
七堂伽藍  放送 11月17日(月)
 福井市の東、三方を山に囲まれた深山幽谷の地にある永平寺は、寛元2年(1244)道元禅師によって開かれた曹洞宗の大道場。
 道元は鎌倉時代初めの正治2年(1200)内大臣・久我通親の3男として生まれたが、3歳のとき父を亡くし、8歳のときに母とも死別した。慈母の死は少年・道元に世の無常を強く感じさせ出家を決意させた。比叡山に登って出家、仏法を勉学し、あちこちの高僧を訪ねその道を極めようとしたが物足りず、中国・宋に渡った。中国の天童山・景徳寺で修業にうち込み、名僧・如浄に出会い「座禅こそが仏法の最上の道である」との悟りを開き帰国した。

道元禅師

(写真は 道元禅師)

山門

 日本に帰国した道元は越前の鎌倉幕府の御家人・波多野義重に懇請され、その援助を受けて越前に入り大仏寺を建立、後に永平寺と改めた。
 道元は永平寺で「座禅こそが諸仏が正伝してきた仏法の正門である」と、ひたすら座禅する「只管他座(しかんたざ)」の教えを説いた。永平寺で修業している200余の修行僧たちは、毎日早朝と夜の座禅、掃除などの作務を続ける。僧堂での座禅が静の座禅とすれば、作務は動の座禅と言える。永平寺では一般参禅者が参加できる「参禅研修」が毎月開かれている。3泊4日で修行僧と同じ内容で進められるので、強い意思がなければ最後までやり遂げることはできないと言われている。

(写真は 山門)

 永平寺では仏殿、法堂(はっとう)、山門、僧堂、大庫院(だいくいん)、浴室、東司(とうす)を七堂伽藍(がらん)と言う。一般寺院で七堂伽藍に加えられていない台所の庫院、風呂場の浴室、トイレの東司が入っている。僧堂と浴室、東司は一切の私語が禁じられている「三黙道場」とされ、食事をし排泄して眠ると言う日常生活のすべてが禅であり、仏教であるとの、道元の教えから台所やトイレも寺院の重要な部分を占めていることになる。
 寛延2年(1749)改築で山内最古の建築であり、楼上に「日本曹洞第一道場」の扁額がかかる山門は、いつも開け放たれ入門する僧を受け入れる。入門するための玄関である門は自由に通り抜けられるが、ここから一歩、境内に足を踏み入れると厳しい修行を覚悟しなければならない。

日本曹洞第一道場

(写真は 日本曹洞第一道場)


 
仏殿  放送 11月18日(火)
 約10万坪(33万平方m)の永平寺の境内には仏殿、法堂(はっとう)、僧堂、大庫院(だいくいん)、浴室、東司(とうす)、山門の七堂伽藍(がらん)を中心に70数棟の堂宇が並ぶ。永平寺はその寺号、寺の姿は道元が修行した宋とのゆかりが深いと言われている。寺号は仏教が中国に伝わった後漢・明帝時代の年号「永平」にちなんで命名され、堂塔の配置なども中国・宋時代の様式を取り入れている。
 戦前の昭和11年(1936)に永平寺に滞在した放浪の俳人・種田山頭火は「山がよろしい、水がよろしい、伽藍がよろしい、僧侶の起居がよろしい   久しぶりに安眠」と永平寺の雰囲気を記している。

仏殿

(写真は 仏殿)

本尊釈迦牟尼仏

 永平寺の七堂伽藍の中心、すなわち全山の中心をなすのが、明治35年(1902)改築、入母屋造りの二重屋根を持つ仏殿である。
 仏殿内の内陣は石畳の床で、須弥壇中央には現在仏である釈迦牟尼仏、その左右には西方にある極楽世界を主宰すると言う過去仏の阿弥陀仏、釈尊入滅後56億7千万年の後この世に現れ、釈尊の救いに洩れた衆生をことごとく救い導くと言う未来仏の弥勒仏の脇侍、すなわち過去、現在、未来の三世仏を祭っている。

(写真は 本尊釈迦牟尼仏)

 仏殿の西に開祖・道元の御廟・承陽(じょうよう)殿がある。明治14年(1881)改築の建物で承陽は道元のおくり名・承陽大師から命名した。中央に道元の真像、遺骨を安置し、左右に第2世貫首・孤雲懐奘(こうんえじょう)、第3世貫首・徹通義介(てっつうぎかい)、第4世貫首・義演、第5世貫首・義雲、そして中興の祖・瑩山紹瑾(けいざんしょうきん)の各像を祭っている。
 永平寺のある山から湧く白山水や食膳を毎日供え、開祖・道元禅師が今も生きているがごとく奉仕が続けられている。

過去阿弥陀仏

(写真は 過去阿弥陀仏)


 
僧堂  放送 11月19日(水)
 仏殿と同じく明治35年(1902)改築の僧堂は、雲堂、選仏場とも言い「雲堂」の扁額が掲げられており、修行僧の座禅、修行の場である。
 永平寺の一日は、夏は午前3時半、冬は午前4時の夜が明けきらぬ中を僧が全山を走りながら打ち鳴らす振鈴(しんれい)の音で始まる。修行僧たちは起床して布団をたたんで納め、洗面板が3度打ち鳴らされるのを合図に洗面を行い、起き抜けの暁天座禅に入る。この後、法堂(はっとう)での朝の勤行をすませ、行鉢(ぎょうはつ)と呼ばれる朝の食事を僧堂で取る。

僧堂

(写真は 僧堂)

ホウ

 朝食が終わると日天作務(にってんさむ)と言う回廊や境内の掃除の作業が始まる。中食と呼ばれる昼食、薬石と呼ばれる夕食、夜の座禅などはすべて僧堂で行われ、修行僧にとって僧堂は生活の中心である。
 これら修行僧の行動は、起床の合図の振鈴から就寝の合図の開枕鈴(かいちんれい)まで、すべて太鼓や鐘、板などを打ち鳴らして進められる。僧堂に巨大な魚の形をした「ホウ」と言う木板がある。頭が龍で胴はシャチのようにも見える魚の形をしている。僧堂での食事を知らせるものだが、昼夜眠らずにいる魚の形を示すことで修行僧の怠りを戒めていると言う。

(写真は ホウ)

 台所の庫院(くいん)、浴室、トイレの東司が、七堂伽藍(がらん)に加えられるのが曹洞宗寺院の特色だが、これは座禅だけでなく食事、排泄など禅僧の日常行為のすべてが禅であると言う道元の考えによるものである。
 台所がある大庫院は入母屋造りで地下1階、地上3階の豪壮な建物。玄関右側の柱には永平寺名物の「大すりこぎ」がかかっており、正面には伽藍を守る韋駄天(いだてん)立像が立っている。食事の準備が整うと修行僧代表が韋駄天像前に粥飯(しゅくはん)などを供える。炊事、調理をすることを曹洞宗では弁食(べんじき)と言い、1粒の米、1本の野菜にも慈悲の心を持って調理し、菩提心を養うための修行のひとつとされている。

僧堂内部

(写真は 僧堂内部)


 
法堂  放送 11月20日(木)
 永平寺の七堂伽藍で最も高い所に建つ法堂(はっとう)は、貫首が須弥壇上から修行僧に説法する堂で、1000人余りを収容することができる。説法のほかに修行僧の朝の勤行、各種の法要、儀式もこの法堂で行われる。堂内須弥壇の奥には聖観音座像が安置されている。
 夏は午前3時半、冬は午前4時に僧が全山を走りながら打ち鳴らす振鈴(しんれい)の音で起床した修行僧たちは、洗面をすませ早朝の暁天座禅を終えると、この法堂に入り朝課と呼ばれる勤行をする。山内に読経の声が響く厳かな空気の中で夜が白み始める。

法堂

(写真は 法堂)

法堂内部

 山の斜面に堂宇が建つ永平寺は、それぞれの建物が回廊で結ばれている。この回廊のふき掃除も修行僧の作務のひとつとして行われる。永平寺の回廊はいつ来ても鏡のように磨き上げられ、ちりひとつ落ちていない。
 このほか山内の樹木の枝落としの山作務、永平寺の前を流れる永平寺川を掃除する川作務、冬は降り積もる雪を除雪する雪作務などがある。修行僧にとってこうした作務は、自己への執着を捨てて奉仕する仏の道を会得する大切な修行である。

(写真は 法堂内部)

 永平寺の参詣は山の斜面に続く階段状の階段をゆっくり歩くことから始まる。回廊を静かに歩いていると禅刹らしい凛とした山内の清澄な雰囲気が感じ取れる。こうして山門、中雀門、仏殿、法堂、僧堂などを巡り、参詣を済ませた人たちは満足した表情で境内をあとにする。
 斜面に回廊が続く永平寺では、車椅子の参詣者にも気軽に参詣してもらうため、あらかじめ連絡しておくと屈強な若い修行僧が車椅子を介助してくれ、一般の参詣者とは異なるバリアフリーのルートを案内してくれる。

本尊聖観世音菩薩

(写真は 本尊聖観世音菩薩)


 
門前散策  放送 11月21日(金)
 永平寺の山内は禅宗寺院らしい凛とした空気が張りつめているが、その門前は他の社寺の例にもれず、土産物や食べ物の店が並ぶ門前町のにぎわいを見せており、永平寺へのお参りをすませた人びとの表情も和んでいる。
 この門前町に団子の焼ける香ばしい匂が漂う。店先には焼きたてのあつあつの団子が並び、風味のある木の芽入り醤油味噌でいただくのが格別。苦と死(串)を断ち切ると言う意味を込めて、串の端を切ってから渡してくれる店もある。

山p

(写真は 山p)

胡麻豆腐

 永平寺名物のひとつが胡麻豆腐。この胡麻豆腐は永平寺で修行する僧にとっては貴重な蛋白源である。修行僧の食事は粥や野菜の煮つけなど質素なものが多い。肉や魚が禁じられている精進料理の食材の中で、胡麻豆腐は欠かせない蛋白源として古くから食されてきた。
 門前町にも胡麻豆腐の老舗があり、今は参詣客にも修行僧と同じ胡麻豆腐を味わってもらい、修行僧の食生活の一端をのぞいてもらう。土産物用の胡麻豆腐も売られており、家族と一緒に家庭で味わうこともできる。

(写真は 胡麻豆腐)

 福井県の名物のひとつが越前そば。県内のあちこちに腕によりをかけて打った越前そばの店がある。そして越前そばと言えば、大根の辛味がしっかりときいたおろしそばが有名で、門前町にもこの名物そばがある。
 永平寺そばは福井県内の一般のそば屋さんで味わう越前そばに比べ、麺が太くて色が黒く、こしがしっかりしているのが特徴。福井産のそば粉と永平寺を取り囲む自然の中から湧き出る天然水が、永平寺そばの味を決めるポイント。門前町のそば打ち師は「優れた越前のそば粉と恵まれた天然水がそばの本来の味を引き出す」と言っている。

山楽亭

(写真は 山楽亭)


◇あ    し◇
永平寺JR北陸線福井駅からバスで永平寺門前下車。 
えちぜん鉄道永平寺口駅からバスで永平寺門前下車。
◇問い合わせ先◇
永平寺0776−63−3102 
永平寺門前観光協会0776−63−3380 
永平寺町企画商工観光課0776−63−3111
おみやげ・食事 山p0776−63−3350
手打ちそば・山楽亭    0776−63−3023

◆歴史街道とは

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(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
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