月〜金曜日 21時48分〜21時54分


奈良・田原本町、三宅町、川西町 

 奈良盆地のほぼ中央にある田原本町、三宅町、川西町には古代へのロマンをかりたてる歴史が息づいている。弥生時代の遺跡として名高い唐古(からこ)・鍵遺跡、神話時代から鏡作りへのかかわりを示す鏡作神社、聖徳太子にまつわる史跡、能楽の発祥の地など数々の遺跡、史跡、社寺、伝承などが残っている。


 
唐古・鍵遺跡  放送 11月20日(月)
絵画土器 田原本町東端の唐古池を中心に総面積30haにおよぶ弥生時代の大集落跡で、佐賀県の吉野ヶ里遺跡と並ぶ代表的な集落遺跡。早くから石器や土器が田んぼなどから出土し、考古学者らが遺物の採集や出土品の図録などを発行していたが、昭和11年(1936)から2年間にわたって末永雅雄博士が本格的な発掘調査を行った。
 この調査によって大量の石器、土器のほか稲作に使った木製の鋤(すき)や鍬(くわ)などの農耕具、銅鐸、銅鐸石製鋳型、竪穴住居跡、木棺墓、土器棺墓や環濠跡が発見された。その結果、この付近が大規模な弥生時代の環濠(かんごう)集落であったことが判明した。その後、今年の平成12年3月までに78回にわたる調査が行われ、遺跡の全貌が明らかになりつつある。
(写真は 絵画土器)

復元楼閣 唐古・鍵遺跡は集落の周囲に溝を何重にも巡らせた環濠集落で環濠の内側は直径約400mの広さだった。最も大きな環濠は濠の幅が8m以上もあり、さらにその外に幅5m前後の濠を4〜5条も巡らしていた時代もあった。集落の周囲を巡らす濠は、襲撃から集落を守る防衛が主目的だが、唐古・鍵遺跡の場合は物を運ぶ運河や治水の目的も果たしていたようだ。
 出土した土器の中には他地域の土器もあり、各地の特産品を土器に入れてこの集落にもたらされたことがうかがえる。市が開かれていたのではないかとも見られている。
青銅器の生産も行われていたことは専門知識を持った工人がいたと推定され、近畿地方の中心的先進集落だった見られている。
 平成4年(1992)に、楼閣と思われる絵が描かれた土器が出土して注目された。 この土器に描かれた絵をもとに高さ12.5mの2階建て楼閣が唐古池西南隅に復元された。
(写真は 復元楼閣)


 
秦楽寺(じんらくじ)  放送 11月21日(火)
秦楽寺・秦河勝像 聖徳太子に側近として仕えていた秦河勝(はたのかわかつ)が、太子から下賜された仏像を安置するため居住地に建立した古刹。本尊・千手観音像は大化3年(64 7)百済王から贈られたものといわれており、本尊の右脇に聖徳太子像、左脇に秦河勝像が安置されている。秦楽寺の表門は珍しい中国風の土蔵門。
(写真は 秦楽寺・秦河勝像)

阿字池 平安時代初め、この寺で修行中の弘法大師が「三経指帰(さんごうしいき)」という書物を執筆していたところ、本堂前の「阿字(あじ)池」と呼ばれるハス池でカエルがうるさく鳴いていた。あまりのうるささにたまりかねた大師が「静かに」としかるとカエルは一斉に鳴きやんだ。以後、この池ではカエルの声はしなくなったとの言い伝えが残っている。毎年7〜8月には阿字池一面にハスの花が咲き競い、参詣者の目を楽しませてくれる。
(写真は 阿字池)


 
鏡作(かがみつくり)神社  放送 11月22日(水)
鏡作神社 正式には鏡作坐天照魂神社(かがみつくりにいますあまてるみたまじんじゃ)という、いかめしくて長い名称の神社。祭神は中央に天照国照彦火明命(あまてるくにてるひこほあかりのみこと)、左右に鏡作部の祖・石凝姥命(いしこりどめのみこと)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)の三神を祭っている。石凝姥命は天照大神が、天の岩戸に隠れた時、八咫(やた)鏡を作ったとされている。
 この付近は古くから鏡作の人々が住んでいたところで、職人たちが氏神として崇敬した神社で崇神天皇ころに建立されたと伝えられ、平安時代に編さんされた延喜式に記されている古い神社。
(写真は 鏡作神社)

鏡池 難しい呼び名の神社名と祭神だが、古代の銅鏡を作っていた人々が祖先を氏神として祭った神社で、中世から江戸時代にかけて鏡作の人たちの崇拝を集めていた。この時代には神器である銅鏡を作る高度な鋳造技術を持った多くの人たちが居住していたようだ。神社の社宝として非公開の三神二獣鏡がある。社前の狛犬(こまいぬ)は江戸時代の天保年間(1830〜1844)に大坂の鏡屋仲間が奉納した銘がある。
 現代は美の神として技術の向上を願う美容師や化粧品関係者の参拝が多くなっている。
(写真は 鏡池)


 
太子の道  放送 11月23日(木)
白山神社・聖徳太子腰掛石 聖徳太子が法隆寺を建立するため現在の田原本、三宅、川西町を通り飛鳥と斑鳩を往復した道を“太子の道”と呼び、今もその一部が残っている。政治改革や仏教の交流などの数々の功績を残した聖徳太子は、この通勤路とも言える太子道を馬の背に揺られて通い、土地の人々と接した民情をくみ取りながら、斬新な構想を練っていたのかもしれない。
 太子道沿いにある法楽寺は、孝霊天皇の宮跡に聖徳太子が創建した寺といわれている。孝霊天皇の皇子・吉備津彦命(きびつひこのみこと)は、吉備国の賊を征伐した鬼退治の桃太郎のモデルといわれており、この地が桃太郎のふるさとになる。
(写真は 白山神社・聖徳太子腰掛石)

杵築神社・太子接待の絵馬 三宅町の杵築(きつき)神社に伝わる「太子接待の絵馬」には、太子道を通る聖徳太子をもてなす様子が描かれている。この地が屏風(びょうぶ)と呼ばれるのは、 太子をもてなす御座所に屏風を立てて風を防いだことに由来している。
 すぐそばの白山神社には太子が飛鳥と斑鳩を往復するときに腰をおろして休んだと伝えられている「腰掛石」がある。
(写真は 杵築神社・太子接待の絵馬)


 
観世発祥の地  放送 11月24日(金)
補巌寺・世阿弥参学の地の碑 田原本から三宅町にかけては能楽発祥の地といわれており、能楽に関する伝承や史跡が多い。田原本町に十六面という地名がある。ある日、天から美貌の公達を表した十六といわれる面が降ってきたとの伝承があり、これが地名となった。この地にある市杵島(いつきしま)神社はこの十六面を御神体としている。十六面の西隣の西竹田には猿楽師が住んでいて、遠祖は秦河勝(はたのかわかつ)といわれ姓は金春(こんぱる)。今も金春屋敷と呼ばれるところが残っており、大和猿楽四座のひとつ「金春流」はここから起こっている。
(写真は 補巌寺・世阿弥参学の地の碑)

糸井神社・雨乞い踊り絵馬 田原本町の北隣の川西町結崎には14世紀ごろから能楽の観世流の観阿弥が住んでいた。室町幕府三代将軍の足利義満に能楽の上演を求められ、その成功を糸井神社に祈願していたところ、天から能面と青ネギが降ってきた夢を見た。将軍への能楽の上演が成功を納めたので、夢で能面が降ってきた糸井神社の東100mのこの地を面塚と呼ぶようになり、今は「観世流発祥之地」と「面塚」の碑が建っている。
 観阿弥は伊賀の出身で観世清次といい、結崎に進出して結崎座を名乗っていた。足利義満の保護を受けて勢力を伸ばし、観阿弥の子・世阿弥は京都に出て観世流の名を高めた。世阿弥が出家した寺といわれる補巌寺(ふがんじ)が田原本町味間にあり「世阿弥参学之地」の碑が建っている。
 糸井神社に雨乞いの踊りの「なもで踊り」を描いた絵馬が伝わっている。絵馬の一部にスイカ売りの屋台が描かれており、この地方が昔から大和スイカの産地として有名だったことを裏付ける資料でもある。
(写真は 糸井神社・雨乞い踊り絵馬)


◇あ    し◇
唐古・鍵遺跡近鉄橿原線石見駅下車徒歩15分。 
秦楽寺近鉄橿原線笠縫駅下車徒歩5分。 
鏡作神社近鉄橿原線田原本駅下車徒歩15分。 
法楽寺近鉄田原本線黒田駅下車徒歩3分。 
白山神社、杵築神社近鉄橿原線結崎駅下車徒歩25分。 
糸井神社、面塚近鉄橿原線結崎駅下車徒歩10分。 
補巌寺近鉄橿原線笠縫駅下車徒歩25分。 
◇問い合わせ先◇
田原本町企画公室07443−2−2901 
三宅町教育委員会0745−44−2210  
川西町教育委員会0745−44−2214 
唐古・鍵遺跡(田原本町教委)07443−2−4401 
秦楽寺07443−2−2779 
鏡作神社07443−2−2965 
法楽寺07443−2−2580 
白山神社0745−44ー2001 
杵築神社0745−43−2299 
糸井神社0745−44ー0434 

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

・・・ひょうごシンボルルート   
・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
・・・越前戦国ルート              
・・・近江戦国ルート              
・・・お伊勢まいりルート         
・・・修験者秘境ルート           
・・・高野・熊野詣ルート         
・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

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