月〜金曜日 21時54分〜22時00分


 平安時代の宇治は自然の豊かなところとして四季折々に美しい風景を楽しめるところであった。和歌にも多く読まれ、歌枕として有名である。 「わが庵(いほ)は都のたつみ鹿ぞ住む 世をうじやまと人はいふなり」喜撰法師。「朝ぼらけ宇治の川霧たえだえに あらはれわたる瀬々の網代木」中納言定頼。
 また近江と山城、大和、河内を結ぶ交通の要衝として重要視され、宇治川の先陣争い等で有名なように絶えず合戦の場にもなって来た。貴族の別業も盛んに営まれたようで、源氏物語の後半、宇治十帖の舞台になっていることは有名であるし、藤原頼通が別荘を寺に改造した平等院は、今に残る超国宝級の文化財として重要視されている。
 もう一つ、宇治は茶どころとして日本一の品質を誇り、江戸時代には宇治から徳川家に献上する「茶壷道中」の行列は数百人を数えたという。この行列に出会うと、大名も道をゆずり、陪臣は下乗せねばならなかったという。江戸中期末に至り、煎茶と玉露の製法が確立し、今日の日本の緑茶の総てが揃った。「宇治川や ほつりほつりと春の雨」子規。「もののふの 八十宇治川の秋のみず」虚子。


 
宇治田原・永谷宗円と煎茶 放送日 11月8日(月)

永谷宗円の旧宅

 お茶は鎌倉時代に栄西禅師によって中国から種がもたらされ、栂の尾、高山寺の明恵上人に与えられ、栽培に成功した後、宇治に移されたといわれる。
 最初お茶は薬として用いられ、桃山時代頃には次第に庶民もお茶を嗜好品として嗜むようになったことは、桃山時代の絵画に行楽地で茶を商う人が画かれているのを見てもわかる。この頃のお茶は殆ど抹茶で、今のように急須にいれて飲むようになったのは、江戸時代になってからである。 江戸時代中期も終わりに近づいた頃、宇治田原の人、永谷宗円は家業の茶園で15年に及ぶ試行錯誤をくりかえしながら、煎茶の製法を完成させた。

宇治田原の茶畑


それは、茶の葉の新芽だけを摘み取ってさっと蒸し、乾燥させながら揉むとおいしい煎茶ができるというもので、香り良く、甘くてとろりとした、良質の煎茶が飲めるようになった。1738年のことである。それまでのお茶は茶色の液体であまり美しいものではなかったが、これ以後は緑色の美しい、しかもおいしいお茶が飲めるようになり、宇治一帯に栽培されるようになった。玉露は煎茶の茶畑にやや高い背の覆いをして太陽光を或る程度さえぎって栽培し、一番先に出来た若芽のみを摘み取ったものである。玉露の完成は江戸末期の1835年である。
 湯屋谷の山間に永谷宗円の藁葺きの旧居がひっそりと残っている。彼は茶宗明神とあがめられ、隣に茶宗明神の社殿が1954年(昭和29年)に創祀された。
 宇治田原は田原茶と「ころ柿」を産する山間の里で、信楽と山城とを結ぶ交通の要衝にもあたるところである。


 
宇治田原・禅定寺 放送日 11月9日(火)

本尊十一面観音(重文)

 宇治田原の禅定寺集落にある禅定寺は曹洞宗の寺で、多くの仏像や文化財をもつ名刹である。
 元は東大寺の別当であった平崇(へいそ)上人が平安初期に建てた寺で、、藤原頼通から広大な寺領を寄進され、豊かな財政に恵まれたが、後に平等院に寄進し直して寺領の保全をはかった。しかし中世の兵火で焼失して衰微してしまった。その後、江戸時代になって1679年に加賀の大乗寺の月舟和尚を迎え、加賀藩の家老、本多政長の援助によって東大寺の末寺として再興されたが、この時、曹洞宗に改めたと伝えられる。
 

四天王の内、持国天(重文)


 寺は景勝の地に建てられ、素朴な建て方の本堂ではあるが、内部の仏像は大変立派なものが揃っていて他の追随を許さない。本尊は十一面観音(平安時代、藤原初期、重文)、日光・月光菩薩(平安時代藤原初期・重文)、四天王(平安時代、重文)、文殊菩薩騎獅像(平安時代・重文)地蔵菩薩半跏像(平安時代、重文)などがある。


 
宇治・興聖寺 放送日 11月10日(水)

興聖寺の三門

 宇治川右岸を宇治橋から遡ること5分、左に石門といわれる簡素な興聖寺の門がある。門内に琴坂といわれる美しいいアプローチがあって、春はつつじ、秋は紅葉が彩りをそえる。また、側溝をせせらぎが流れて、さわやかな音を聞かせてくれるところから、琴坂と名付けられた。宇治十二景の一にも数えられている。その先に、竜宮城のような三門をもつ興聖寺の伽藍がある。
 初め曹洞宗の開祖、道元禅師が伏見深草に一宇を建立し、興聖寺と称し、越前永平寺に移る前に10年程住んだが、割合早くにこの寺は廃絶した。

道元禅師の頂相(ちんそう)


 江戸時代初期になって、淀城主の永井尚政が、父の願いを受け継ぎ、合戦相手の武将を供養する目的で再興を図って寄進をし、この地に興聖寺を再興した。現在は曹洞宗の一中心の役目を果たしている。
 本堂は伏見桃山城の遺構と伝えられ、左右に禅堂と開山堂、方丈、庫裏などがあり、背後の仏徳山を借景にした石庭が本堂前にひろがり、閑寂な雰囲気をかもしている。


 
宇治・源氏物語の宇治 放送日 11月11日(木)

源氏物語ミュージアムの牛車

 宇治は世界で最も古い長編ロマンである、「源氏物語」の後半、宇治十帖(うじじゅうじょう)の舞台になっているところで、風光明美な遊興の地として名高い。
 京阪宇治駅東方10分の宇治市東内に開設された「宇治市源氏物語ミュージアム」は「源氏物語をテーマとした街造り」の一環として建てられた。
 宇治市の町つくりのテーマである「歴史と文化の薫り」を尊重しながら、復元模型や映像を用いて実感的に「源氏物語」に親しんでもらおうというのがこの館の趣旨である。
 

花やしき浮舟園の鳳凰鍋


 展示室は光源氏の最盛期、六條院邸の縮尺模型などを展示する春の部屋、息子の薫が活躍する宇治十帖の世界を表現した秋の部屋、及び浮舟の物語を展示する映像の三つの部屋が常設展示されている。
 さらに、牛車、女房の装束、屏風、几帳(きちょう)鏡台、棚などの平安時代の調度を復元展示している。また、宇治十帖の「橋姫」の一場面も再現。映像展示室では篠田正浩監督による人形劇映画「浮舟」を上映している。この他に、折々の企画展示が催される。

 宇治川畔にある「花やしき浮舟園」は宇治十帖の浮舟に因んだ命名の料理旅館で、会席料理や鍋料理に定評がある。また、この料亭は、昭和初期に生物学者から社会運動に挺身し、代議士に当選したが惜しくもテロにたおれた山本宣治の生家である。


 
宇治・京焼の里・炭山 放送日 11月12日(金)

炭山の焼物づくり

 宇治の東北、醍醐山、木幡山、笠取山に囲まれた山間の炭山に陶芸村が出来ている。元は炭焼きの村であったが、1966年に京都清水坂の一陶工が廃屋を譲り受け、焼物を始めた。恵まれた環境は噂を呼び、次々に陶芸家が移り住んで、現在では50近い陶房がある。京焼きの伝統に乗っ取ったみやびな焼物をはじめ、京都の伝統に由来する優れた美意識から生み出される多彩な焼物を生み出している。
 

炭山の京焼


 毎年4月初めには炭山陶器まつりが2日間行われ、展示即売や陶芸教室も開かれ賑わいをみせる。
 昔の炭山は、上の醍醐から炭山を通り、岩間寺、立ち木観音、石山寺への巡礼道に当たるところであった。


あ   し

 永谷宗円旧宅(非公開)、茶宗明神へは 山城大橋から 国道307号線で信楽方面に向かって右、湯屋谷集落の東端にある。JR奈良線宇治駅からバス湯屋谷下車、徒歩30分
 禅定寺へは、R奈良線宇治駅からバス禅定寺下車徒歩5分、国道307号線の北にある
 興聖寺へは、京阪宇治線宇治駅から徒歩10分
 源氏物語ミュージアムへは京阪宇治線宇治駅から東へ徒歩10分、JR奈良線宇治駅からは15分
 炭山へは京阪またはJR宇治駅からタクシー15分

味・土産

 宇治茶、茶団子、茶そば、地ビールとバーベキュー:ガーデンス天ケ瀬、炭山の京焼


見どころ

 平等院、興聖寺、宇治上神社(日本最古の神社建築)、宇治神社、橋寺放生院(宇治橋断碑)、県神社、地蔵院、白山神社、源氏物語ミュージアム、天ケ瀬ダム、上林記念館(お茶の資料展示)、観音石仏(鎌倉時代、京阪宇治駅東すぐ)、宇治市歴史資料館(市役所南500米)
上林記念館
 三室戸寺(西国33ヶ所第10番札所)、黄檗山万福寺、
 禅定寺、茶祖明神、鷲峰山(じゅうぶさん)金胎寺


問い合わせ先

 宇治市商工観光課             0774−22−3141(内線2224)
 宇治市観光協会              0774−23−3334
 平等院                    0774−21−2861
 興聖寺                    0774−21−2040
 源氏物語ミュージアム           0774−28−0200
 宇治田原町産業経済課          0774−88−2250
 三室戸寺                   0774−21−2067
 禅定寺                    0774−88−4450
 協同組合炭山陶芸             0774−32−5904


◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

@・・・ひょうごシンボルルート   
A・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
B・・・越前戦国ルート              
C・・・近江戦国ルート              
D・・・お伊勢まいりルート         
E・・・修験者秘境ルート           
F・・・高野・熊野詣ルート         
G・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

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