月〜金曜日 21時48分〜21時54分


和歌山・本宮町 

   本宮町は、熊野川の上流にひらけた熊野本宮大社の門前町。深い山に囲まれた山村で主産業は農林業。昭和時代初めまでは、熊野川の筏(いかだ)流しが見られたが、現在は熊野本宮大社をメインに熊野詣の熊野古道王子跡や、湯の峰温泉、川湯温泉など山峡の静かな温泉地を“癒(いや)しの観光地”として売り出している。


 
湯の峰温泉  放送 12月4日(月)
湯筒 熊野の深い山々に囲まれた山峡にある湯の峰温泉は、今から1800年前の2世紀ごろ、記紀伝承上の13代成務天皇の時代に発見された日本で最も古い温泉と伝えられている。
 温泉旅館街のそばを流れる湯の谷川畔には、90度の温泉がわき出ている「湯筒」と呼ばれるところがある。温泉街の人々の共同炊事場にもなっており、湯の噴出口の桝(ます)形に仕切られた湯筒では卵や野菜をゆでている珍しい光景が目にとまる。
付近には温泉の匂いが漂い、温泉場特有の情緒をかもし出している。
(写真は 湯筒)

つぼ湯 熊野詣での参拝者たちもこの温泉で湯垢離(ゆごり)をしてから熊野本宮大社に参ったという。その名残を示す「つぼ湯」と呼ばれる共同浴場があり、この湯はその日の天候によって一日に7通りの色に変化するという。
 湯の峰温泉が最初に噴出したところに建っている東光寺の本尊・湯胸薬師如来座像は、石仏のように見えるが噴出した温泉の湯の花が積もって石のようになり、高さ約3mの仏の形になったといわれている。胸の辺りに温泉が噴き出していた名残を示す穴があいている。かつて湯の胸薬師と呼ばれており、湯の胸が転化して湯の峰温泉の名が生まれたといわれている。
(写真は つぼ湯)


 
小栗判官物語  放送 12月5日(火)
力石  湯の峰温泉は「小栗判官蘇生の地」としても知られている。室町時代、常陸国(ひたちのくに・茨城県)の小栗満重とその子で判官のモデル・助重は足利方と争って敗れ、三河国へ逃れる途中、盗賊に毒酒を飲まされようとしたが、遊女・照手に助けられ藤沢まで逃れた。だが助重は重い病にかかり、遊行上人の導きで照手ともに熊野・湯の峰に行き、薬湯の効き目で全快した。
 他には、毒酒を飲んで命を落とした助重が閻魔大王(えんまだいおう)によって、この世に餓鬼(がき)の姿で戻された。遊行上人の導きで熊野へ旅立ち、湯の峰の湯につかり、餓鬼の姿から元の人間の姿に戻ったという筋書きもあり、判官のモデルが京都・公卿の子になっている物語など(説教をぐり)もある。
(写真は 力石)

車塚 湯の峰温泉には小栗判官にまつわる伝承や史跡が多い。小栗判官が蘇生した湯といわれる「つぼ湯」、体が元通りに戻ったかどうかを試した「力石」、湯の峰へ乗ってきた車を埋めた「車塚」、熊野を目指した道・小栗街道など。これらが小栗判官物語に真実味を与えている。
 小栗判官物語は、江戸時代まで説教節、浄瑠璃、歌舞伎、芝居などで盛んに演じられた。最近はスーパー歌舞伎やフォークオペラ、仮面劇、ロック歌舞伎などにも登場するようになった。浄瑠璃、歌舞伎に仕立てられた小栗判官は、創作された部分が多く現実離れしている。熊野信仰と湯の峰温泉によって、重病人が全快した事例をロマンチックな小栗判官物語に仕立て、熊野権現のご利益と湯の峰温泉の薬効を広めたのであろう。
(写真は 車塚)


 
熊野本宮大社  放送 12月6日(水)
本殿・第三殿 熊野本宮大社は、新宮市の熊野速玉大社、那智勝浦町の熊野那智大社と共に熊野信仰の熊野三山を構成する神社で、全国に約3100社ある熊野神社の総本宮でもある。
 大木の杉木立に沿って「熊野権現」のノボリが両側に立ち並ぶ、急な129段の石段を登り詰め、総門をくぐり抜けると社殿の前へ出る。向かって左に1棟からなる第一、第二殿、正面の第三殿が本殿、その右が第四殿となっている。本殿の祭神が、家津美御子大神(けつみみこのおおかみ)で、紀伊国の起こりである「木の国」を作った神とされている。第一殿には伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)、事解之男神(ことさかのおのかみ)、第二殿には伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)、速玉之男神(はやたまのおのかみ)、第四殿には天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)をそれぞれ祭っている。
(写真は 本殿・第三殿)

豊臣秀頼 奉納の神額 熊野本宮の大社の始まりは、はっきりしないが、紀元前の神話の時代との説がある。仏が神に姿を変えたとする平安時代の本地垂迹説によって、熊野に参詣すれば極楽往生ができるとの熊野信仰が生まれた。平安時代初期の宇多法皇に始まった熊野行幸は、歴代上皇、皇女、女院らが熊野詣を続け、鎌倉時代の亀山上皇まで約百回以上にわたる行幸が行われた。熊野信仰は武士や庶民階級にも広がり、多くの参詣者が熊野を目指し「アリの熊野詣」と言われるほどの繁栄ぶりを示した。
 この熊野信仰の熱狂ぶりをしめす事例は各地に残っているが、熊野本宮大社にも源頼朝寄進の鉄湯釜(国・重文)や豊臣秀頼奉納の神額などがある。また、熊野古道には熊野詣の名残の九十九王子跡が残っている。
(写真は 豊臣秀頼 奉納の神額)


 
大斎原(おおゆのはら)  放送 12月7日(木)
本宮旧社地大斎原 熊野本宮大社は熊野川、音無川、岩田川の合流点の3万6300平方m(1万1000坪)の中洲の森にあった。幾棟もの社殿、楼門、中門、能舞台、神楽殿、参篭所、社務所、神馬舎などが建ち並んでいた。その荘厳華麗な姿は旧社全景絵図でしのぶことがでる。
 明治22年(1889)、熊野川の大洪水で12の社殿のうち、中4社と下4社が流失してしまった。明治24年、流失を何とかまぬがれた上4社を約1km北の現在地に移し再建した。
(写真は 本宮旧社地大斎原)

一遍上人神勅名号碑 旧社地の大斎原には石の祠(ほこら)が2つある。西側の祠には中4社と下4社、東側の祠には旧境内にあった末社を祭っている。今年5月、高さ33.9m、横幅42mの鉄製の大鳥居が、大斎原の旧大社の鳥居があったところに建てられ、日本で最も高い鳥居となった。また、一遍上人は熊野本宮大社で参篭中に神勅を受け、これを機に一遍と名乗り、遊行上人として庶民に時宗の教えを説いたといわれている。この一遍上人の徳をしのび上人直筆の「南無阿弥陀仏」の一遍上人神勅名号碑が大斎原に建っている。
  国の史跡に指定されている大斎原は町民らの散策地になっており、春は約100本のサクラが咲き、サクラ見物の町民や行楽客でにぎわう。
(写真は 一遍上人神勅名号碑)


 
熊野古道  放送 12月8日(金)
熊野古道 平安時代に始まった熊野詣は、上皇や皇族、公家から武士、庶民まで身分を問わず、善男善女が熊野の聖地を目指し、その様子を「アリの熊野詣」と言った。京の都からの熊野詣は、船で淀川を下り、現在の大阪・天満橋付近に上陸、泉州から和歌山、田辺に至り、ここから山中の中辺路を通って熊野本宮大社への道がメインルートで、これを「御幸道」と呼んでいた。この沿道の要所要所には休憩所を兼ねた九十九王子がまつられ、今も沿道沿いに王子跡が残っている。
 熊野詣のルートはこの中辺路ルートのほかに、田辺から海岸沿いに那智勝浦、新宮の熊野那智大社、熊野速玉大社を経て熊野本宮大社に至る大辺路ルート、伊勢から熊野へ入る伊勢路、修験者が利用した山道としての高野路、十津川路、北山路、大峰路などがある。
(写真は 熊野古道)

伏拝王子 険しい山道が続く中辺路を旅した参詣者たちは、沿道沿いの王子で休息を取りながら熊野本宮大社を目指した。本宮大社に近い王子に猪ノ鼻王子、水呑(みずのみ)王子、発心門(ほっしんもん)王子、伏拝(ふしおがみ)王子、湯峰王子、祓殿(はらいどの)王子があった。
 発心門王子は本宮大社が近づき、改めて熊野詣への心を新たにした所。伏拝王子は京、大阪から苦しい旅を続けてきた参詣者が、山並みの向こうに本宮大社を臨み、思わず土下座して伏し拝んだ所とされている。湯峰王子は温泉で身を清めた湯垢離(ゆごり)地の近くに祭られ、長旅の疲れを温泉で癒した参詣者もいた。祓殿王子は本宮大社のすぐそばにあり、ここで旅の汚れを清めて参拝した場所で、潔斎所の性格が強い王子。
 最近、熊野古道が人気を集め、旅行会社やバス会社などが「熊野古道ハイキングツアー」などを企画し、王子跡を訪ねながらのウオーキングを楽しむ人たちが増えている。
(写真は 伏拝王子)


◇あ    し◇
湯の峰温泉、東光寺JR新宮駅からバスで湯の峰温泉下車。 
熊野本宮大社JR新宮駅からバスで熊野本宮大社下車。 
大斎原JR新宮駅からバスで本宮郵便局前大社下車徒歩3分。 
◇問い合わせ先◇
本宮町観光協会0735−42−0735 
東光寺0735−42−0256 
熊野本宮大社0735−42−0009 

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

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歴史街道推進協議会