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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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大津市・坂本から比叡山への紅葉 |
比叡山の東麓・大津市坂本は日吉大社や延暦寺の里坊などの社寺が多く、その境内や庭園は紅葉の名所となっている所も数多い。比叡山の山並みにも色づいた木々が点在し、大自然の中の紅葉も壮大で美しい。紅葉も散り始め観光シーズンも終わりに近づき、初冬の気配がする静かな坂本と比叡山延暦寺を散策してみた。 |
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元亀2年(1571)の織田信長の比叡山焼き討ちで社殿は焼失、その後、豊臣秀吉や徳川家康らよって、桃山、江戸時代初期にかけて再建されたのが現在の社殿である。 |
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(写真は 西本宮) |
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10万平方mと言われる広い境内にあった伽藍は、元亀2年(1571)織田信長の比叡山焼き討ちの際に災禍を被り焼失した。その後、明智光秀が総門、庫裏、梵鐘(国・重文)を寄進した。この梵鐘は平安時代に鋳造され坂本城の陣鐘だったもで、当時は鐘楼に吊り下げられていたが今は宝物庫に保管されている。大谷刑部の母が寄進した客殿(国・重文)は、京都・伏見城の遺構を移したもので、美しい庭園を備え、ふすまや杉戸には狩野派の絵が描かれている。 |
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(写真は 客殿) |
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穴太衆とは坂本の南の穴太を本拠地とした石工集団のことである。延暦寺三塔十六谷の堂塔伽藍(がらん)の石垣工事、石造五輪塔、石仏などの製作に従事して石工としての技術を磨いた。織田信長の安土城築城の際に活躍して名をあげ、江戸幕府によって「穴太頭」の地位が与えられ、伏見城、名古屋城、和歌山城、彦根城など全国各地で多くの城郭建設の石垣工事に関わった。 |
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(写真は 滋賀院門跡) |
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旧里坊が料亭や料理旅館にに変身しているものもある。料亭・芙蓉園もそのひとつで元は旧白毫院だった。坂本伝統的建造物群保存地区内にあり、穴太積みの石垣に囲まれた池泉回遊式の庭園が有名で国の名勝に指定されている。 |
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(写真は 石積み御膳(芙蓉園)) |
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根本中堂のある東塔地域から西塔、横川を結ぶ奥比叡ドライブウエイには、一日何度でも乗降自由のシャトルバスがある。このバスを利用して延暦寺参詣と新緑の季節、深山での夏の避暑、秋の紅葉など、比叡山の自然がたっぷり楽しめる。 |
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(写真は にない堂(常行堂)) |
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