月〜金曜日 21時54分〜22時00分


 万葉の昔から人々の様様な需要を満たす市が開かれていた事が知られているが、貨幣経済の浸透と共に、平城京に都が移ると東の市、西の市が開かれて、当時20万人といわれた都人の生活に必要な食物その他をまかなっていた。
 近世の大坂では豊臣秀吉が城を築いた頃には生鮮食料を商う市が城下に出来ていたといわれている。昭和の初めまであった市場は「天満、ざこば、靱,木津、難波」であった。米騒動の時期をへて、大正12年に中央卸売市場法が制定され、価格の適正化と取引の正常化が図られ、大規模な中央市場が出現することになった。大阪市では大正14年(1925年)に全国に先駆けて政府の認可を受けて、昭和6年(1931年)、福島区の現在地に中央市場が開設された。今週は大阪、神戸、明石の魅力的な市場を紹介する。


 
大阪市中央卸売市場(本場) 放送 12月20日(月)
昔の市場風景 大阪には古くから天満、ざこば、木津、靱、難波に市場が開かれていたが、昭和6年に水運、陸運に便利な野田の地に今の中央市場が開設されて、次第に小さな市場はすたれて行った。
 人口の増加と経済の成長と共に市場の取り扱い量も増え、新たに、東住吉区のJR大和路線、東部市場前駅近くに、東部市場が開設された。これによって以前からある福島区の市場を本場と呼ぶようになり、現在平成14年の完成を目指して改築工事が進められている。市民の食生活の安定を図って、機能の大幅な拡充も計られている。
 

中央市場に並ぶまぐろ 毎日午前3時には荷が並べられ、業者の下見もはじまる。水産物のせりは、午前4時15分から、青果のせりは午前5時から開始され、市民の食生活を支えている。


 
大阪・黒門市場  放送 12月21日(火)
  大阪の台所といわれる、日本橋近くの黒門市場は、江戸時代の文政年間(1822−3年)頃に始まり、当初は他所で売れ残った魚を、持ち寄って商っていたのがはじまりと言われている。はじめは、このあたりにあった圓明寺の名をとって圓明寺市場と呼ばれていたが、寺の北東にあった黒い山門が近いことから、いつしか黒門市場と呼ばれるようになった。
 

  明治35年になって大阪府公認の市場となり、明治45年の難波大火で圓明寺も黒門市場も共に焼け、更に第2次大戦の空襲でも焼けたが、見事に復興を遂げ、現在は店舗172店、買い物客1日2万人で賑わい、板前さんの買出しが多い市場で、卸、小売りを兼ねた市場として「ふぐ」や「すっぽん」を商う店が多いのが目立つ。


 
大阪・御幸(みゆき)通商店街 放送 12月22日(水)
 御幸通り商店街 韓国・朝鮮の人達の市場や商店がある所として、鶴橋が有名であるが、桃谷駅の東方1Km先を北に入った処にある、御幸通商店街(コリアンタウン)は多数の在日韓国人・朝鮮人が多く住む町なので、こちらの方が観光地化されていない強みがある。ここでは、本場の味や生活用品を求めることが出来、豊富な食材、食品等、隣国の人達の食文化を味わうことができる。「キムチ」や珍しいお好み焼きの「チヂミ」などを試してみるのもよいだろう。
  

 チョゴリを売る店 5世紀頃、我が国に渡来した百済の人達が平野辺りの開発に携わったといわれるが、商店街の西外れにある御幸森天神宮は、仁徳帝が百済人の様子を視察に来て、休んだ森であったと伝えられる。それ故、この地を御幸森と呼んでいる。


 
神戸・南京町 放送 12月23日(木)
南京町の東楼門・長安門 神戸は中国と縁の深い土地である。戦前は気軽に日本と中国の人々が行き来していたといわれる、上海航路の発着場が神戸であった。 神戸の中国人は幕末の開港と同時に長崎からやって来たといわれている。明治元(1868)年にはもう、南京町の原型が出来ていたらしい。
 明治11年に清国の領事館が神戸に出来、徐々に中国人の数が増えていった。当時の日本人は、中国人のことを南京さんと呼んだので、中国人街が南京町と呼ばれるようになった。 当初、条約を結んでいない国の中国人は居留地に住めなかったので、居留地に隣接する元町付近の栄通り、海岸通りに多く住んだ。南京町の最盛期は大正の末期から昭和の始めで、ここでは世界中の雑貨や食材が何でも揃うので、居留地の外国人コックは皆、中国人の店に買い物に来たといわれる。
 南京町には、雑貨、豚肉、漢方薬を商う者、飲食店、洋服職人、船員等が混在して賑わっっていた。
 

南京町中央広場にある東屋 南京町は第2次大戦の空襲で焼けてさびれていたが、昭和52年(1977年)に残った者達で復興が企てられ、南京町商店街振興組合の手によって昭和57年に南楼門(台湾製)、昭和58年に中央広場に東屋が建てられて、シンボルが出来た。その後昭和60年(1985年)に東入り口にも、中国製の大理石で出来た東楼門(長安門)が建って、益々南京町は繁栄を続け、震災後はいち早く立ち直り、多くの若者が寄り集まる町となり、賑わっている。


 
明石・魚の棚(うおんたな) 放送 12月24日(金)
明石港の賑わい 明石は西国街道、三木街道の交差するところで、海路も四国、淡路方面に通じる交通の要衝である。
 明石に城が初めて築かれたのは1618年のことで、初代城主は信濃の国松本の城主から、この町に10万石で転封された小笠原忠真であった。町の線引き(都市計画)は宮本武蔵によったという説がある。築城以前から魚市の「魚の棚」は既に存在したと言われる。魚の棚と言う名の魚屋町は、全国至るところにあったと言われるが、明石にのみ残った。魚の棚とは店の様子を形容した言葉で、奥の方まで棚にのせられた魚が並んでいる様子を表している。元は東魚町(現、魚の棚)、西魚町(元は塩干魚を商う店が集まっていた)に分かれていた。西魚町の方は昭和の初期にはすたれて行った。城に近い処に魚を商う町が配置されたことは、初代城主が水産物をいかに重視したかがわかる。現在の町名は本町に変わってしまったが、相変わらず「うおんたな」の呼称で親しまれている。
 

魚の棚で売られている鯛 明石の魚では鯛や、蛸が有名で、早い潮流に鍛えられ、色々なプランクトンが寄り集まる処に育つ、身のしまった魚が美味しい明石の魚の特徴である。一説には明石の蛸が美味しいのは、蟹の稚魚を食べて育つからだといわれる。その他「あなご」、「かまぼこ」「明石のり」などが有名である。かまぼこには、蛸かまぼこ、穴子かまぼこ、サザエ入りかまぼこ、などという変わったものがある。
 明石の魚は江戸時代に既に全国に出荷され、鯛、蛸、海藤花(蛸の子を燻製にしてもので酒の肴に喜ばれた)等が有名になった。 江戸中期の元文年間には鮮魚を商うもの56軒、乾物を商うもの50軒という記録がある。
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 参勤交代で少し山手の大蔵谷の本陣に泊まる大名付きの侍が明石の魚の棚に下見に来て、魚を予約して帰ることもあったと言うくらいに明石の魚は大名も楽しみにしていたようだ。


あ    し


 大阪市中央卸売市場へはJR環状線野田または地下鉄千日前線玉川から徒歩10分、市バス中央市場前下車2分
 大阪・黒門市場へは地下鉄堺筋線または千日前線、日本橋下車徒歩3分、地下鉄御堂筋線、または南海電鉄難波から徒歩5分
 大阪・御幸通商店街へはJR環状線桃谷駅から東方へ徒歩15分北入る。市バス中川2丁目下車西へ3分
 神戸・南京町へはJR、阪神元町駅から南へ徒歩3分、阪急三宮駅西口から徒歩8分
 明石・魚の棚(本町)へはJR山陽線または山陽電鉄、明石駅の南3分


みどころ


 大阪市中央卸売市場付近には旧川口居留地跡
 黒門市場付近には国立文楽劇場、日本工芸館、ワッハ上方、道具屋筋、でんでんタウン
 神戸・南京街付近には旧居留地跡、神戸華僑歴史博物館、神戸市立博物館、居留地15番館(1881年の重文建築、旧アメリカ領事館で、現在はカフェ&レストランとして営業)メリケン波止場、神戸海洋博物館、ランプミュージアム、ハーバーランド
 明石・魚の棚付近には、明石城、柿本神社、明石市立文化博物館、明石市立天文科学館


味・土産


 {大阪} おこのみ焼き、うどん、地酒、地ビール
 {コリアンタウン} きむち、唐辛子、ちぢみ、肉、韓国のり
 {神戸}洋菓子、パン、神戸肉、神戸ワイン、神戸ステーキ
 {明石}蛸、鯛、穴子、蛸の干物、かまぼこ、蛸の塩辛、穴子箱すし、藤江屋分大の分大餅

問い合わせ先


 大阪市中央卸売市場(本場)           06−6469−7955
 大阪・黒門市場商店街振興組合         06−6631−0007
 
 神戸・南京町商店街振興組合          078−332−2896
 神戸国際観光協会                 078−303−1010
 明石・魚の棚商店街事務所            078−911−9666


◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

@・・・ひょうごシンボルルート   
A・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
B・・・越前戦国ルート              
C・・・近江戦国ルート              
D・・・お伊勢まいりルート         
E・・・修験者秘境ルート           
F・・・高野・熊野詣ルート         
G・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
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  「新しい余暇ゾーンづくり」
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