当麻寺は、野見宿禰と我が国初の相撲の試合をした当麻けはやの伝説で有名な当麻氏の氏寺として、奈良時代の前期685年に建設工事が完了、金堂(鎌倉時代ー重文)、講堂(鎌倉時代ー重文)、千手堂(曼荼羅堂のもとの建物)、少しおくれて東西の三重塔(国宝ー奈良時代)ができあがったと伝える。東西の塔を除いていずれも現在の建物は再建されたものだが、金堂に安置する白鳳時代の仏像の数々が、この伝記のほぼ正しいことを証明している。創建時は南から入る伽藍配置になっていたが、いつのまにか南大門がなくなり、平安時代に浄土信仰が盛んになると曼荼羅堂(平安時代後期ー国宝)が伽藍の西方、一段高いところに建てられて、当麻曼荼羅がまつられ、曼荼羅堂が本堂に変身した。東大門がつくられて現在は東から入るようになっっている。 金堂内には弥勒菩薩(白鳳時代=奈良前期ー国宝)、四天王(白鳳時代、鎌倉時代ー重文)、不動明王(鎌倉時代ー藤原時代=平安後期)などが安置され、白鳳の時代が仏像制作の隆盛期であったことをしのばせてくれる。また、金堂前にある石灯篭(白鳳時代ー重文)は日本最古のもので火袋の下、中台の蓮弁は豪快。 講堂内には阿弥陀如来像(藤原時代ー重文)妙幢菩薩像(貞観時代=平安前期ー重文)などがまつられている。 曼荼羅堂内にはこの寺を何より有名にしている当麻曼荼羅(室町時代ー重文)がまつられている。5月14日に境内で催される練供養は極楽への来迎の様を25菩薩の面をかぶり、装束をつけた人々の行列でしめすもので、平安 時代に恵信僧都が浄土信仰に導くために創始したとつたえている。 その他東大門の近くにある鐘楼には、銅鐘(白鳳時代ー国宝)がかかっている。我が国で最古の部類に属する名鐘である。
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