京都府の最南端、木津川の上流が東から西に流れるところに加茂町がある。大和の葛城山麓出身の鴨族がこの辺りに進出して定住、後に京都の上加茂、下加茂の辺りに至る。いまも加茂町には、岡田鴨神社が存在する。 この辺りの木津川は元は泉川とよばれ、古来、和歌に多くよまれた処である。「みかの原わきて流るる泉河いつみきとてか恋しかるらん」(新古今)が小倉百人一首にとりいれられ、有名である。川の北側、もと瓶原(みかのはら)といった辺りに聖武天皇の恭仁宮(くにのみや)跡や海住山寺(かいじゅうせんじ)があり、恭仁宮跡は後の山城国分寺となり巨大な礎石がのこっている。川の南、奈良に近い当尾(とおの)村といった辺りには浄瑠璃寺や岩船寺がある。この辺りは昔、興福寺仏僧の修行の地であったため、多くの石仏が散在する。特に日本の石造物の発達に大きく貢献した宋人、井行末(いのゆきすえ)一派の井末行が残した石仏など、貴重な遺物も多く、何よりも浄瑠璃寺は日本で唯一の平安時代の九体阿弥陀仏と阿弥陀堂、並びに浄土式庭園の遺構が残る寺として貴重である。浄瑠璃寺があることで、この地に足をむける人が多い。また、この地方に多く見られる柿や農産物、かきもちなどの無人販売スタンドは田舎を散策する楽しみを味わえる。
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