|
月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
|
大阪市・ミナミ |
大阪では商業地、ビジネス街、盛り場などをキタとミナミで何かと対比する。ライバル意識も手伝ってそれぞれに個性的で特色ある街へと発展してきた。都市再開発でキタにやや遅れを取っていたミナミも、21世紀をにらんだ都市づくりが進み、新しい街が生まれている。今回は歴史と伝統に培われた街・ミナミ、新しい街・ミナミを点描して見た。 |
|
|
||||
|
||||
|
||||
現在の庫裏は昭和8年(1933)の御堂筋拡幅の時、境内の約4割が接収された際に新築されたもので、当時の寺院としては珍しい地上3階、地下1階の鉄筋コンクリート造。全室スチーム暖房、ガス、水道、消火設備、荷物用リフトを備えた近代建築だが、外観は寺院庫裏としての伝統を保っている。 |
||||
(写真は 御津八幡宮) |
||||
|
||||
|
|
||||
|
||||
|
||||
法善寺横丁の起こりとなった法善寺は浄土宗の寺で江戸時代初めの創建と伝えられている。当時は近くに千日墓があり、法善寺の本尊・阿弥陀如来像に極楽浄土への往生を願う墓参者が参詣し千日寺とも呼ばれていた。横丁の商店は境内の露店から発展したもので、墓参者のほかに千日前の寄席や芝居見物の客、役者、芸人らが立ち寄りにぎわった。 |
||||
(写真は 水掛不動) |
||||
|
||||
|
|
||||
|
||||
|
||||
竹林寺の南、道路の向かい側に昭和7年(1932)大阪歌舞伎座が誕生し、人気歌舞伎役者の出演で道頓堀と肩を並べる盛り場となった。しかしこの大阪歌舞伎座も戦後の昭和33年(1958)に興行の幕を下ろし、新しくできた新歌舞伎座にその道を譲った。 |
||||
(写真は 千日前) |
||||
|
||||
|
|
||||
|
||||
|
||||
お香は6世紀半ばに日本に伝来した仏教とともに伝わり、仏前を清めて邪気を払う宗教的な意味合いで定着した。平安時代に入ると貴族たちが衣服に香を焚き込め、その移り香を暮らしの中で楽しむようになった。鎌倉時代には武家社会で香りに精神の統一や心の落ち着きを求め、出陣に際して甲冑(かっちゅう)に香を焚き込めたのもそのひとつ。室町時代になると香りを鑑賞する香道が盛んになったきた。 |
||||
(写真は 増田漆器店) |
||||
|
||||
|
|
||||
|
||||
|
||||
名勝負を生んだ旧大阪球場のメモリアル施設として、なんばパークス2階通路に白御影石のピッチャーズ・プレートとホームベースが埋め込まれている。この位置は旧大阪球場のピッチャーズ・プレートとホームベースがあった位置と同じで、杉浦投手が投げ、野村捕手が捕球した位置である。当時、大阪球場で声援を送ったファンたちは、この場所に立ち感慨にふけっている。 |
||||
(写真は ピッチャーズ・プレート) |
||||
|
||||
|
◆歴史街道とは
|
|||
歴史街道計画では、これらのルートを舞台に ◆歴史街道テレフォンガイド
|
|||
◆歴史街道倶楽部のご紹介 歴史街道推進協議会
|