|
月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
|
姫路城 |
白鷺(はくろ)城とも呼ばれ姫路市のシンボルでもある名城・姫路城は、平成5年(1993)ユネスコの世界文化遺産に登録された。城内に数ある建物のうち国宝が大天守をはじめ8棟、国の重要文化財が74棟もある。全国に数ある城郭の中で天守閣が国宝に指定されているのは、姫路城のほかに彦根城、松本城、犬山城の4城だけと言う姫路城を訪れてみた。 |
|
|
||||
|
||||
|
||||
壮麗な美しさを誇る姫路城は関ヶ原の戦の直後には、豊臣方の西国大名ににらみを利かす役目を持っていたため、戦への備えも堅固である。白漆喰総塗りごめの壁や塀には鉄砲や矢を射かける狭間(さま)が開けられている。狭間は長方形、正方形、丸形、三角形などいろいろな形がある。長方形や正方形は矢狭間、丸や三角は鉄砲狭間と言われる。現在、姫路城には約500個の狭間があるが、戦闘のための施設とは思えないほど白い壁や塀にアクセントと美しさを与えている。 |
||||
(写真は 姫路侍屋敷図 |
||||
|
||||
|
|
||||
|
||||
|
||||
櫓はもとは矢倉の文字が当てられていた。城の石垣の上に建てられた長屋風の武具庫だったが、しだいに物見をする望楼の役目が強くなり、見張りと射撃の高台としての機能を果たすようになった。姫路城には96棟の櫓があったと言われている。 |
||||
(写真は 扇の勾配) |
||||
|
||||
|
|
||||
|
||||
|
||||
優美な外観とは裏腹に大天守の内部には火縄銃や火薬、槍などを掛けておく武具掛、見張り役や射撃する兵の足場となる石打棚、攻め入った敵に不意打ちを掛ける兵を忍ばせておく武者隠し、武器や食料を保管しておく内室と言った戦闘設備や籠城設備が整えられている。 |
||||
(写真は 六階) |
||||
|
||||
|
|
||||
|
||||
|
||||
長男・幸千代を3歳でなくした千姫は、男児誕生を願って朝夕、長局の窓から西に見える男山天満宮を遥拝していた。この時、千姫が休息して身づくろいをしていた化粧櫓は、2層造りで階上には18畳、15畳、6畳の3部屋がある。武骨な柱や板張りの壁、廊下ばかりの長局の中で、住宅様式の畳の部屋を目にするとホッとする温かみが感じられる。 |
||||
(写真は 化粧櫓) |
||||
|
||||
|
|
||||
|
||||
|
||||
ようやく岐阜県裏木曽の国有林でヒノキの巨木を見つけて伐採したが、山から降ろす途中でトロッコから落とし真っ二つに折れてしまった。幸い地元の姫路市市川町の笠形神社の神木と継いで、1本の巨木にすることで西の心柱が調達できた。14年の歳月を費やした昭和の大修理が昭和39年(1964)に終わり、美しい姿に甦った白鷺城が姿を現した。 |
||||
(写真は 漆喰塗の修復) |
||||
|
||||
|
|
◆歴史街道とは
|
|||
歴史街道計画では、これらのルートを舞台に ◆歴史街道テレフォンガイド
|
|||
◆歴史街道倶楽部のご紹介 歴史街道推進協議会
|