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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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春を待つ越前 |
冬の越前海岸は荒波が海岸に打ち寄せ、白い海水の泡が海岸一面に広がる。これを「波の花」と呼ぶ。だが、春はすぐそこまで来ており、海岸沿いの丘には越前水仙が黄色い可憐な花をつけている。こんな春間近な越前を訪ねてみた。 |
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越前に入った秀康は翌年の慶長7年(1602)から約6年の歳月をかけ、地上39m、5階建ての威容を誇る天守閣を有する北庄城を築いた。本丸、二の丸の築城には家康自らがその縄張りをしたと言う。 |
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(写真は 福井城址) |
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玉川洞窟観音は奥行き約30m洞窟の奥に安置されている十一面観音像は玉川観音と呼ばれ、航海安全、豊漁の守護仏として信仰を集めている。以前は越前岬近くの海食洞窟に祀られていたが、平成6年(1994)に現在地に移された。 |
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(写真は 玉川洞窟観音) |
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越前水仙の起源についての伝説が越廼村に残る。平安時代末期、源氏と平氏が争っていたころ、越前海岸居倉浦(現・越廼村居倉)に気立てのやさしい、美しい娘がいた。この美しい娘は村の長者の二人の兄弟から愛され、二人から求婚された。 |
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(写真は 越前水仙発祥伝説の碑) |
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甕など大きな焼物を作る場合はロクロを回して作れないため、大人の腕ほどの太さにした粘土を輪にして積み上げて形を作る独特の「輪積み」の手法が用いられ、今もこの「輪積み」の技法が守り続けられている。作家の故司馬遼太郎は古越前の伝承を知った時に「こう言うことを奇跡と呼んでいいのではないか」と表現、さらに輪積みの技法を見て「両手がたえず動き、体が器のまわりをまわり、人間が轆轤(ろくろ)になる」と書いている。 |
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(写真は 輪積み) |
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室町時代の応永年間(1394〜1428)に越前の守護職・斯波義重が常昌と言う劔神社の神官を家臣に取り立て尾張へ派遣した。常昌は故郷の村の織田を姓として名乗った。その後の織田氏は次第に尾張で勢力を伸ばし守護代にまでなった。 |
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(写真は 織田信長安堵状) |
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