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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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京都市・堀川周辺の通り散策 |
平安京遷都後、京都の町は東西南北に碁盤の目状に道路が整備された。それぞれの通りの名称には京の歴史や伝統産業、職人町に因んだものが多い。今回は堀川周辺の通りを散策、その歴史や通りに因む話題を探ってみた。 |
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仏教が伝来して以来、時を経るにつれて多くの宗派に別れた。法衣はそれぞれの宗派が独自性をアピールするとともに、仏の教えを視覚に訴えるためにだんだんと豪華なものになってきたと言う。今では織や文様に趣向と豪華さを出す手法が取られ、1着数百万円から1千万円近い法衣もあるそうだ。 |
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(写真は 衲衣七条架裟) |
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茶道資料館内に再現されている名席・又隠(ゆういん)は、宗旦が今日庵より5年前の正保元年(1643)に作った。一般には宗旦が隠居して今日庵を作り、その後、さらに茶室を作ったので、また隠居の茶室を作ったことから又隠の茶室名がつけられたと言われていたが、文献資料から又隠の方が先に作られたとの説がある。 |
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(写真は 茶室又隠写) |
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友禅染は型紙を用いて同じ模様の染めを大量に作る型友禅と一品ずつ染めあげていく手描友禅がある。京友禅も西陣織と同じように、それぞれの工程を専門の職人が分業で担当して作り上げる。その工程は図案、下絵、糸目糊置き、色挿し、糊伏せ、地染め、洗いなど十数工程にのぼる。これらの工程を職人が自分の持てる技を出し切って仕上げ、次の職人に託す。それぞれの職人の技の集大成が友禅染で「着る芸術品」と言われる由縁である。 |
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(写真は 京友禅体験工房丸益西村屋) |
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京情緒を醸し出す京町家が並ぶ京都の町並みにも時代の波が押し寄せ、古い町家が壊されて商業ビルやマンションに建て替えられている。 |
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(写真は 能舞台) |
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岩上通を南へ下り、通りの南端でJR線に近い粟嶋堂宗徳寺の粟嶋明神は「女人一生の守り神」とされている。良縁、子宝、安産、婦人病などの霊験があらたかで、これまた女性の信仰を集めてきた。江戸時代中期の俳人で画家の与謝蕪村が、娘の病気平癒祈願のため宗徳寺へ参詣した時、春雨に濡れながら裸足でお百度参りをしている熱心な婦人の姿を目にして詠んだのが「粟島へ はだしまいりや 春の雨」。この句碑が境内に立っており、当時の粟嶋堂宗徳寺の信仰の様子をうかがわせる。 |
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(写真は 与謝蕪村句碑) |
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