月〜金曜日 18時54分〜19時00分


京都市・伏見 

 伏見・桃山は万葉集の歌にも詠まれ古くから開けた所だが、歴史の表舞台に登場するのは豊臣秀吉が伏見城を築城してからだ。秀吉亡き後、天下を掌握した徳川家康が、商業港湾都市として整備し、京、大坂を結ぶ淀川水運の港町として栄え「京の表玄関」とも言われた。幕末には幕府軍と薩長軍が激突した鳥羽・伏見の戦の舞台となり、明治維新へと歴史は急展開する。こうした日本の歴史に深い関わりを持つ伏見を訪ねた。


 
御香宮  放送 3月22日(月)
 神功皇后を主祭神とする御香宮(ごこうのみや)神社は、古くは伏見一帯の産土神として崇敬を集めた古社で、人びとから安産、諸病平癒の神として信仰されている。
初めは御諸(みもろ)神社と称していたが、平安時代初期の貞観4年(862)に境内から香りのよい霊水が湧き、この水を飲んだ人たちの病気が治ったことから、時の清和天皇から「御香宮」の名を賜ったと言う。今は日本名水百選にも選ばれている。
 一時、この水が涸れたが、昭和57年(1982)地下150mまで掘り下げて復活、病気平癒や茶道、書道などためにこの水をいただきに訪れる人が毎日後を絶たず、特に元日の若水汲みには長い列ができる。

御香水

(写真は 御香水)

表門

 豊臣秀吉は伏見城を築城する際、御香宮神社を城の鬼門除けの神とするため深草大亀谷に移した。関ヶ原の戦後、徳川の天下になった慶長10年(1605)徳川家康が、本殿(国・重文)を現在の旧地に造営した。その本殿正面の蟇股(かえるまた)には雲竜、獅子、虎の豪壮な彫刻が施されている。
 家康が伏見城に滞在中に尾張徳川家の祖・徳川義直、水戸徳川家の祖・徳川頼房、紀州徳川家の祖・徳川頼宣、孫で2代将軍・秀忠の娘・千姫が誕生した。こうしたこととから家康は、御香宮神社を徳川家の産土神としての扱いをするようになり、本殿の棟瓦に徳川の「三ツ葉葵」の紋が配されていることがそれを裏付けている。

(写真は 表門)

 こうした縁で水戸藩主・頼房は伏見城の大手門を移して表門(国・重文)を造っており、どっしりした豪壮な構えはかつての大手門の貫録を示している。正面の4個の蟇股には、中国の古今の孝子と言われる二十四孝が刻まれている。紀州藩主・頼宣も拝殿と石鳥居を寄進しており、この拝殿も伏見城の御車寄と移したとの伝えがある。
 秀吉が朝鮮の役の戦勝を祈願した時に奉納した、金熨斗(きんのし)付糸巻太刀(国・重文)は、権勢を誇っていた時に作らせたものだけに桃山時代の逸品とされている。小堀遠州が伏見奉行時代に奉行所に作った庭が、明治維新後に取り壊された。
その後、残っていた庭石が御香宮神社へ寄贈され、本殿横に「小堀遠州ゆかりの石庭」として庭が作られた。

小堀遠州ゆかりの石庭

(写真は 小堀遠州ゆかりの石庭)


 
芳醇の香り 放送 3月23日(火)
 伏見は昔から桃山からの良質の伏流水に恵まれ「伏水(ふしみ)」と呼ばれ、それが伏見の地名の由来とも言われている。御香宮(ごこうのみや)神社の霊水もこの伏流水のひとつであり、こうした良質の水が豊富に湧き出たことから伏見に酒造りが興った。今も30を超える蔵元があり、濠川(ごうがわ)沿いの柳並木と酒蔵が伏見独特の景観を形成している。
 1リットルの酒を造るのに8リットルの水がいると言われるほど、酒造りには良質で豊富な地下水が必要だった。伏見の地下水はカリウム、カルシウムなどをバランスよく含んだ中硬水で酒造りには最適とされ、これが「灘の辛口・男酒」に対して「伏見の甘口・女酒」を造る決め手となっている。

酒蔵

(写真は 酒蔵)

月桂冠 大蔵記念館

 伏見の酒造りは豊臣秀吉が伏見城を築き、城下町が形成されて酒の需要が高まり盛んになった。更に淀川の水運を利用した京、大坂への港町を拠点に、東海道、奈良へ通じる交通の要所だったことが、酒造りを一層盛んにした。江戸時代初期の明暦・万治・寛文年間(1655〜73)には、約80軒余りの蔵元があった。
 その中で江戸時代初期の寛永14年(1637)創業の蔵元・月桂冠が、明治42年(1909)建築の酒蔵を改装、創業以来約370年の酒造りの歩みを紹介しているのが、昭和62年(1987)オープンした「月桂冠大倉記念館」。古めかしい玄関の格子戸をくぐると明治時代の帳場が復元されており、月桂冠印入りの大火鉢や大福帳、錢箱などが当時を様子をしのばせる。

(写真は 月桂冠 大倉記念館)

 館内の展示室には酒造りの各工程で使われる酒造用具を見ながら、米が清酒に生まれ変わるまでの工程をたどることができる。酒造用具の中にはその形から、狐とか狸などと呼ばれていたユニークな名前の桶がある。記念館に保存されている酒造用具約6120点は、京都市の有形民俗文化財に指定されており、このうち約400点を常時展示している。明治時代末期に当時の国鉄(現JR)の駅売店で発売したコップ付小びん入りの酒があり、アウトドア向け商品の先駆けとも言える。
 昔のままの手法で酒造りをしている様子が、別棟の内蔵の「酒香房」で見学(要予約)することができる。また記念館ロビーの売店では、吟醸酒やプラムワインのきき酒を楽しむことができる。

月桂冠 酒香房

(写真は 月桂冠 酒香房)


 
伏見桃山陵  放送 3月24日(水)
 伏見の町を西に見渡す丘陵地、伏見桃山陵は明治天皇(1852〜1912)の御陵である。東西127m、南北155mの広大な上円下方墳で、天智天皇陵を模して造られた。
 この御陵の周囲は玉垣に囲まれ、墳墓の外装はすべて光沢のある小豆島のさざれ石で覆われている。その東隣には明治天皇の皇后・昭憲皇太后の御陵があるが、規模はやや小さい。この2つの御陵内は樹木が茂る大きな森になっている。

明治天皇伏見桃山陵

(写真は 明治天皇伏見桃山陵)

石段

 桃山御陵の参道から御陵前にいたる見あげるばかりの高さの石段は全部で230段。23段ずつの石段が10階に区切られ、それぞれの境は平らになっている。23段の石段は明治23年を意味し、10階の区切りは10月を示し、さらに最後の23段と御陵の前にある7段の石段を加えた30段は30日を指す。これは明治23年10月30日の教育勅語発布の日を意味していると言う。
 この長い石段を登った所にある御陵は、豊臣秀吉の旧伏見城の本丸跡にあたり、ここからはるか大和、河内の山々が一望できる見晴らしのよい所。春には新緑が目に鮮やかで、夏は樹間を吹き抜ける涼風、秋は中秋の名月を楽しむ絶好のポイントである。

(写真は 石段)

 明治10年ごろ、若き日の明治天皇がこの伏見城跡に立ち寄られ「ここはよい。この森を買っておくとよいぞ」と言われ、大層お気に召された場所とされている。
 明治天皇は明治45年(1912)7月30日に崩御されたが、御陵の候補地が宮内庁で協議された時に、この伏見城跡地にすんなりと決まったと言う。御陵造営は昼夜兼行で行われ、約1ヶ月で完成した。9月13日東京・青山斎場で御大葬が行われ、翌14日夕方、天皇の柩が桃山陵に着いたと言う。
 伏見桃山陵に代わった旧伏見城は、3代・徳川家光の時にすべて取り壊され、建造物は京都の社寺などに寄進された。取り壊された城跡の周囲に土地の人たちが桃の木を植え、春には全山が桃の花で覆われ、いつしか「桃山」と呼ばれるようになった。

旧・伏見桃山キャッスルランド

(写真は 旧・伏見桃山キャッスルランド)


 
港の街  放送 3月25日(木)
 桃山、江戸時代から明治時代までは、淀川の船運が京〜大坂の物資輸送の重要手段であり、その輸送基地である伏見は港町として大変にぎわった。宇治川右岸の観月橋〜三栖の間の築堤工事により、伏見港と宇治川との舟の通航が不可能となった。
宇治川と濠川(ごうがわ)の間を船が通航できるようにするため三栖閘門(みすこうもん)が、伏見港のあったところに建設され昭和4年(1929)に完成した。
 建設後約70年が過ぎた三栖閘門が老朽化したため、平成12年(2000)に行われた保存対策工事と合わせて、当時の船着場周辺が「伏見港公園」として整備され市民らの憩いの場となった。

三栖閘門

(写真は 三栖閘門)

濠州

 公園内には「伏見みなと広場」が設けられ、三栖閘門が淀川船運のシンボルとして保存された。濠川側と宇治川側の閘門の間には船着場が再現されており、春と秋に濠川遊覧のために運航される十石船の船着場となる。広場には三栖閘門を操作していた建物を復元した三栖閘門資料館が建設され、三栖閘門の仕組みや動く閘門の模型、伏見港町の歴史などを紹介している。三栖閘門の塔を活用した「宇治川展望スポット」に登ると、宇治川の景観や伏見の町並みが望める。
 近くには濠川の水を宇治川に排水すると同時、洪水時に宇治川からの逆流を防ぐ施設の三栖洗堰や、宇治川派流(旧平戸川)から宇治川への流れを調整する役目を果す平戸樋門など、宇治川の治水施設がある。

(写真は 濠川)

 濠川沿いにぶらりと歩いて行くと「伏見夢百衆」がある。この建物は大正8年(1919)建築の月桂冠旧本店を活用したもので、伏見の清酒22銘柄が顔をそろえており、くつろぎながら伏見の酒を味わうことができる。また酒を使ったカクテルもあり、甘党にはぜんざいやケーキも用意されており、伏見の伏流水を使ったコーヒーも味わえる。
 この付近は淀川の船着場の宿場町として栄えた所で、江戸時代には本陣4軒、脇本陣2軒、旅籠が39軒もあった。坂本龍馬が襲撃されたり、薩摩藩士が斬り合いをした寺田屋騒動で有名な旅籠・寺田屋は、史跡として保存されており観光客に人気がある。

伏見夢百衆(月桂冠旧本店)

(写真は 伏見夢百衆(月桂冠旧本店))


 
長建寺  放送 3月26日(金)
 伏見・中書島の濠川(ごうかわ)に影を映す酒蔵を間近に望む所に、竜宮造りの山門と深紅色の土塀が何やら艶っぽい雰囲気を漂わすお寺は、地元の人たちから「島の弁天さん」と呼ばれ親しまれている長建寺。
 伏見奉行・建部内匠頭が元禄12年(1699)中書島を開拓するにあたって、深草大亀谷の旧伏見城内の即成院の塔頭・多門院を現在地に移して建立、自分の姓の一字を取って長建寺と命名した。その際、即成院に祀られていた八臂(はっぴ)弁財天像も移して長建寺の本尊(秘仏)とした。「都名所図絵」に描かれている建立当時の山門は平門で、現在の竜宮造りの山門はその後に造り替えられたか、他所から移築されたと見られる。

八臂辨財天(秘仏)

(写真は 八臂辨財天(秘仏))

良源大良僧正(元三大師)

 即成院は平安時代中期の歌人・橘俊綱の山荘を寺にしたもので、後に豊臣秀吉が伏見城築城の際に大亀谷に移したと寺伝にある。この即成院に祀られていた八臂弁財天像はかなり古い像で、福々しい顔、繊細な衣紋などから平安時代後期の作と見られる。
 この弁天さんは江戸時代には花柳界の女性たちの信仰を集め、伏見宿の遊女たちが現世利益を求めて朝夕に参詣する姿が絶えなかったと伝えられ、このころが長建寺の寺運が最も栄えたころである。境内には桜の名木が多く、春には桜見物の参詣客でもにぎわう。

(写真は 良源大良僧正(元三大師))

 古銭と貝を表裏に象った宝貝御守は、他の社寺には見られないもので、種銭(たねぜに)としてこのお守りを財布に入れておくとお金が貯まると言われる。おみくじの元祖・天台宗の元三大師・良源を祀っている長建寺のおみくじは、元三大師が考案したおみくじを現代風の和歌にアレンジした文学的なもので、若者たちにもなかなかの人気だと言う。
 「洛南の三大奇祭」と言われ7月22〜23日に繰り広げられていた長建寺の弁天祭は、宇治川を舟渡御する勇壮な祭だったが、昭和30年(1955)ごろに舟渡御が姿を消した。今は弁天囃子が奏でられ中で弁天祭大護摩祈祷が境内で行われている。

おみくじの元本

(写真は おみくじの元本)


◇あ    し◇
御香宮神社近鉄京都線桃山御陵前駅下車徒歩徒歩3分。 
京阪電鉄伏見桃山駅下車徒歩5分。
月桂冠大蔵記念館京阪電鉄中書島駅下車徒歩5分。 
近鉄京都線桃山御陵前駅下車徒歩徒歩10分。
伏見桃山陵JR奈良線桃山駅下車徒歩15分。 
近鉄京都線桃山御陵前駅、京阪電鉄伏見桃山駅下車
徒歩20分。
伏見港公園、
三栖閘門、三栖閘門資料館
京阪電鉄中書島駅下車徒歩10分。
伏見夢百衆京阪電鉄中書島駅下車徒歩5分。 
長建寺京阪電鉄中書島駅下車徒歩8分。 
◇問い合わせ先◇
伏見観光協会075−622−8750 
御香宮神社075−611−0559 
月桂冠大蔵記念館075−623−2056 
伏見桃山陵
(宮内庁桃山陵墓監区事務所)
075−601−1863
伏見港公園(三栖閘門資料館)075−605−5478 
伏見夢百衆075−623−1030 
長建寺075−611−1039 

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

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