月〜金曜日 18時54分〜19時00分


奈良・室生寺とその霊域 

 周囲を山々に囲まれ、室生川など山あいを流れる清流の瀬音が耳に心地よい、山峡渓谷の静寂境の地が室生村。その室生村を代表するのが室生寺で、五重塔に代表される美しい堂塔伽藍(がらん)や衆生救済の面持ちで参詣者を迎えてくれる仏様の姿がある。周囲の渓谷には龍穴信仰にちなむ洞窟や淵が多く、雨乞い神事の神秘性を漂わせている。こうした静かな山峡の寺・室生寺を訪ね参詣した。


 
伽藍の美 放送 3月29日(月)
 室生の山々に抱かれるように堂塔がたたずむ真言宗室生寺派大本山・室生寺の創建には2つの説がある。奈良時代後期の宝亀年間(770〜781)奈良・興福寺の僧・賢憬(けんきょう)らが、この霊山で山部皇子(後の桓武天皇)の病気平癒を祈願した。病が治ったので室生寺を創建、弟子の修円がその基礎を固めたとの説がある。ほかに役行者(えんのぎょうじゃ)が創建、後に弘法大師・空海が真言宗の三大道場のひとつとしたとの異説もある。
 長く法相宗・興福寺の支配下にあったが、江戸時代の元禄年間(1688〜1704)に興福寺から分離独立して真言宗豊山派に属し、後に真言宗室生寺派を立て大本山となった。

弘法大師空海

(写真は 弘法大師空海)

鎧坂

 戒律の厳しい高野山が女人禁制であったのに対して、室生寺は古くから女性に開放していたため、女性の参詣者が多く「女人高野」の名で知られている。特に徳川5代将軍・綱吉の母・桂昌院が帰依してから、女性の参詣者が増えた。室生川にかかる朱塗りの欄干の太鼓橋を渡り、境内に入ると「女人高野室生寺」と刻まれた大きな石柱が目に飛び込み、現在も女性の参詣者が圧倒的に多い。
 室生寺の伽藍(がらん)は定まった伽藍配置を取っておらず、自然の山の地形をそのまま利用して堂塔が建立されている。この伽藍配置が自然とうまく調和して、室生寺ならではの境内の雰囲気を醸し出しており、仏に手を合わせることで心が癒される。

(写真は 鎧坂)

 太鼓橋を渡り表門から境内に入ると寺務所の本坊や庫裏。そこから右に進み仁王門をくぐり、左に折れて鎧(よろい)坂の石段を登ると国宝の金堂や弥勒堂があり、その上に本堂の潅頂堂(国宝)が建っている。
 潅頂堂の上には平成10年(1998)の台風7号で、倒れてきた杉の大木の直撃で大きな被害を受け、平成12年(2000)に元の姿によみがえった五重塔(国宝)がそびえている。屋外の五重塔としてはわが国で最小のもので、その気品に満ちた優美な姿が参詣者の心を奪っている。五重塔からさらに長い石段を登ると奥の院があり、弘法大師の御影堂(国・重文)がある。このほか室生寺の堂塔には国宝や重要文化財に指定されている美しい姿の仏像が安置されており、その美しい堂塔と仏様が人びとを包み込むように迎えてくれる。

宝瓶

(写真は 宝瓶)


 
金堂の仏たち  放送 3月30日(火)
 室生寺は仏教美術の宝庫と言われ、境内の堂塔には均整のとれた美しい姿の仏像が安置されている。特に金堂(国宝=平安時代初期)内陣須弥壇の5体の堂々たる仏像、その前の仏を守護して生き生きとした動きを示す十二神将像(国・重文=鎌倉時代)には、ただただ圧倒されてしまう。
 その中でひときわ威容を示す中央の本尊・釈迦如来像(国宝=平安時代初期)は、像高234.8cmのカヤの一木造り。量感あふれる荘重な像で、体は漆で黒く衣は朱色に彩色されている。このような仏の前に立つと思わず願いを口にしてしまいそうである。それを表すかのように釈迦如来像の手には多くの人びとが救いを求め、すがるような気持ちでさすった跡が見られる。

釈迦如来立像

(写真は 釈迦如来立像)

十一面観音立像

 中央の本尊の向かって右に薬師如来像(国・重文=平安時代)地蔵菩薩像(国・重文=平安時代)、向かって左に文殊菩薩像(国・重文=平安時代初期)、十一面観音菩薩像(国宝=平安時代初期)が並んでいる。いずれも本尊の釈迦如来像よりはやや小さいが、それでも像高は最も大きい文殊菩薩像の205.3cmから一番小さい地蔵菩薩像でも160cmもあり、これら5体の像がずらりと並ぶ前に立つと霊力のようなものを感じる。
 左端の十一面観音菩薩立像は、ふっくらとした豊満な顔だちとバランスの取れた女性的な優美な立ち姿のうえに、彩色がよく残った華やかな仏様として特に女性の人気が高い。これら諸像の後ろには国宝の伝帝釈天曼荼羅図(でんたいしゃくてんまんだらず))が描かれている。

(写真は 十一面観音立像)

 この5尊像の前にずらりと並ぶ十二神将像が圧巻である。この神将像は薬師如来の眷族(けんぞく)で、12の方角を護る武将像が、頭に十二支をいただき甲冑(かっちゅう)をつけて岩座に立っている。それぞれが躍動的で異なったポーズを取っており、頬杖をつくユーモラスな姿の未神(ひつじしん)もある。
 金堂は江戸時代に正面に1間通り庇(ひさし)の礼堂がつけ加えられ、堂内へは左横から入る。この建物は元は薬師堂と呼ばれ、本尊も薬師如来像であったことが古い記録からわかっており、現在の本尊の釈迦如来像は薬師如来像であったとされている。
これを示すひとつの事例として礼堂側面の蟇股(かえるまた)に薬師如来像の持ち物である薬壺が刻まれている。

十二神将立像(申)

(写真は 十二神将立像(申))


 
仏のみこころ  放送 3月31日(水)
 潅頂(かんじょう)堂(国宝=鎌倉時代)は、仏弟子の頭に大阿闍梨(だいあじゃり)が香水を濯(そそ)いで、仏の位の継承を示す密教の重要な法義である潅頂を行う堂で本堂とも言う。
 灌頂堂の本尊・如意輪観音菩薩座像(国・重文=平安時代)は、6本の手を持ち右膝を立てている六臂半跏(ろっぴはんか)の思惟(しい)像で、5本の手はさまざまな法具を持っているが、1本の手だけは頬に掌をあていかに衆生を救うかを考えている。堂内正面の黒漆塗りの春日厨子内に安置されており、この厨子は鎌倉時代の名作とされている。この如意輪観音菩薩座像は、河内長野市の観心寺、西宮市の神呪寺(かんのうじ)の如意輪観音像と共に日本三大如意輪像のひとつとされている。

如意輪観音坐像

(写真は 如意輪観音坐像)

弥勒菩薩立像

 灌頂堂内は前方の2間が外陣、後方の3間が内陣になっており、その境は板扉や連子窓で厳重に仕切られている。奥の内陣は真っ暗で、正面の本尊・如意輪観音菩薩座像の両脇の板壁には大日如来の知恵を表す金剛界曼荼羅(こんごうかいまんだら)と、慈悲と真理を表す胎蔵界曼荼羅(たいぞうかいまんだら)を掲げ、この前で灌頂の法義を行い新たな仏弟子が誕生する。
 金堂の左にある小堂が弥勒堂(国・重文=鎌倉時代)で、室生寺の基礎を築いた修円が、創建時に奈良・興福寺の伝法院を移築したと伝えられている。当時のまま残っているのは1間四方の内陣だけで、鎌倉時代の純和様の特色をよく残している。

(写真は 弥勒菩薩立像)

 弥勒堂須弥壇の厨子内に安置されているのが本尊・弥勒菩薩立像(国・重文=平安時代初期)。カヤ一木造りの檀像(だんぞう)風で像高94.4cの白木の小像。
唇の朱の彩色、珠玉や貴金属に糸を通して作る装身具の華やかな瓔珞(ようらく)が胸から足に垂れるように彫られ、穏やかな表情の童顔、上半身のくびれなどが特徴的な仏像である。
 脇壇の厨子内には客仏として釈迦如来座像(国宝=平安時代初期)が安置されている。平安時代初期の彫刻をを代表する像で、美男の誉れが高く、螺髪(らほつ)のない小さめの頭とどっしりした安定感のある姿勢で、手にはもれなく衆生を救うため縵網相(まんもうそう)と言う水かきがついている。大波小波が繰り返す翻波(ほんぱ)式と言う彫り方をしたリズミカルな衣のひだの線が特徴的とされている。

縵網相(釈迦如来坐像)

(写真は 縵網相(釈迦如来坐像))


 
籾塔  放送 4月1日(木)
 室生寺の門前町にある一刀彫りの一夜堂の店内には、店主の奥本正信さんの優れた技で彫られた、仏像や五重塔、工芸品などが並んでおり、その中に宝篋印塔(ほうきょういんとう)の形をした籾塔(もみとう)と呼ばれる小さな木製の塔がある。ほかでは目にしない木彫品に、室生寺の参詣を終えた参詣者たちが珍しそうにながめたり、その由来をたずねたりしている。
 昭和28年(1953)室生寺弥勒堂の修理が行われた際に、堂内の須弥壇の下や天井裏からこの籾塔が多数発見され、一躍有名になった。

一刀彫・彫刻 一夜堂

(写真は 一刀彫・彫刻 一夜堂)

籾搭

 この時発見された籾塔は全部で3万7387基、高さは6〜9cmで室生寺で保管されている。籾塔とは、宝篋印塔(ほうきょういんとう)を形取り、底に穴をえぐりその中に一粒の籾粒を舎利になぞらえて、陀羅尼を刷った紙に包んで納めたもので、庶民の五穀豊饒、災難除けの祈願が込められたものらしい。
 籾塔は杉、桧、柳、桐などの材料を使い、ひとつずつ願いを込めて手彫りされている。構造的には相輪を含めて一材から彫り出したものと、相輪部を別材の木もしくは竹で作り挿し込んだものがある。外見的には彩色のあるものと素地のものがあり、彩色籾塔の大部分は桧製で朱、群青、緑青、黄土、白土の5色で彩色されている。

(写真は 籾搭)

 室生寺弥勒堂から発見された籾塔は、縦横5基ずつ25基を1組にして蔓紐(つるひも)でしばり、これを重ねて俵に詰め須弥壇下や屋根裏に納めたと考えられる。
この籾塔を彫って奉納したのは鎌倉時代後期から室町時代と見られる。
 籾塔はインド・アショカ王(阿育王)の8万4000塔供養に由来するもので、室生寺に奉納された籾塔も8万4000塔の造塔を計画していたのではないかと見られる。室生は龍穴信仰から雨乞いの祈願が平安時代から盛んに行われた霊域で、この龍穴信仰から雨に恵まれる五穀豊穰を祈願して籾塔が奉納されたと考えられる。室生寺の籾塔の素朴な彫りの技法に庶民や農民の切なる願いが表れている。

陀羅尼の経文

(写真は 陀羅尼の経文)


 
龍神伝説  放送 4月2日(金)
 室生は山あいの室生川に清流が岩走り「九穴八海」と言われる9カ所の洞穴や岩屋、8つの深い淵や池が形作られている。奈良や飛鳥の東に位置することから古くから龍王の棲む神聖な所とされ、奈良・猿沢池に棲んでいた龍神が、室生の里を終の棲家としたとの龍神伝説がある。
 室生寺から室生川に沿って1kmほどさかのぼると、雨乞いの神事が行われてきた室生龍穴神社が、杉の巨樹に囲まれ神秘的で静寂な中に鎮座している。祭神は龍王にゆかりのタカオカミノカミで、室生寺はその神宮寺として建てられたとの説もある。明治維新の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で神仏が分離されるまでは神仏一体で、室生寺は龍王寺、龍穴神社は龍王社と呼ばれていた。

龍穴神社

(写真は 龍穴神社)

吉祥龍穴

 龍穴神社の創建時期は定かでないが、平安時代の日本後紀や他の記録に龍穴神社で雨乞いの祈願をした記録があるほか、延喜式内にも記された古社である。
 祭神の龍王はインド神話の蛇を神格したナーガや中国の四神のひとつ青龍に由来し、大地に水をもたらす水の神とされてきた。これらが仏教と結びつき、密教の雨乞いの修法として空海が日本にもたらしたと伝えられている。弘法大師・空海と関わりの強い室生の龍穴神社では、平安時代から雨乞いの祈願が盛んに行われ、記録に残っているものだけでも弘仁8年(817)から嘉応2年(1170)までの352年間に39回も行われている。

(写真は 吉祥龍穴)

 龍穴神社の背後の山腹に不気味に口を開けているのが「吉祥龍穴」。その穴の奥深くに龍神が棲むと伝えられており、静寂の中に霊気が漂う感じが伝わってくる。平安時代からの雨乞い神事がこの龍穴の前で行われ、今も龍穴から清水がほとばしり出ている。このあたりは夏でも肌寒い冷気が漂っており神秘な雰囲気に包まれている。
 近くには天照大神が隠れたと言われる神話で有名な天の岩戸がある。この付近は闇加利谷(くらがりたに)と言い、天照大神が岩戸から出て暗やみを照らしたとされる霊地と伝わる。こうした自然に包まれた中にたたずむと、都市の喧騒をひとときでも忘れることができるのがうれしい。

天の岩戸

(写真は 天の岩戸)


◇あ    し◇
室生寺近鉄大阪線室生口大野駅からバスで室生寺下車。 
室生龍穴神社近鉄大阪線室生口大野駅からバスで龍穴神社前下車。 
◇問い合わせ先◇
室生村役場産業観光課0745−92−2001 
室生寺0745−93−2003 
一夜堂(一刀彫)0745−93−2421 

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(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
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(7)・・・高野・熊野詣ルート         
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