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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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京都市・嵐山〜嵯峨野 |
嵐山、小倉山の麓に抱かれた洛西・嵐山、嵯峨野の地は、京都の中でも自然が豊かな景勝地として観光客の人気が高い。この一帯には名刹、古刹のほかに、史跡、名勝も多く、これらを訪ね歩きながらのんびりとした散策の一日を過ごす人も多い。桜が爛漫の嵐山、嵯峨野に遊んでみた。 |
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天龍寺建立には6年の歳月が費やされ、康永2年(1343)にほぼ七堂伽藍が整い、貞和元年(1345)落慶法要が営まれた。その後、広大な境内に150余の塔頭、子院を数えるになった。創建以来、天龍寺は延文元年(1356)を最初に、元治元年(1864)の禁門の変まで、8回の兵火などに見舞われ堂塔を焼失した。その度に諸堂は再建され、現在の建物の多くは明治時代に再建されたものである。 |
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(写真は 多宝殿) |
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大方丈の東に建つ法堂(はっとう)は、昔の選仏場(座禅堂)を移築したもので、正面に掲げられている「選佛場」の額がその名残を示している。法堂は禅寺では住職が修行僧に説法する所で、一般寺院の講堂にあたる。 |
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(写真は 雲龍図) |
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天龍寺の北、JR山陰線近くにある野宮神社は、天皇の代理として伊勢神宮に仕える斎王に選ばれた皇女が、身を清める潔斎のためにこもった神社だった。樹木に囲まれた小さな社殿や黒木の鳥居(現在は樹脂製)、小柴垣、石の井戸、苔の庭園などが閑寂な趣を創り出している。特にじゅうたんを敷き詰めたような豊かな庭の苔は、雨あがりの美しさ、紅葉の季節に紅と苔の緑が織りなす景観は、京都随一とも言われてる。 |
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(写真は 野宮神社) |
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この釈迦如来像は全身黒漆塗りで一部に朱漆塗り、納衣(のうえ)の一部が彩色され、両眼に黒水晶、耳には水晶が入れられ、髪形、手の形、衣の衣文などに特徴がある。この像は清涼寺式と呼ばれ、この像をモデルに多くの釈迦如来像が造仏され、わが国の仏像製作に大きな影響を与えた。 |
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(写真は 絹製 五臓六腑模型) |
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大空のように果てしなく大きな宝蔵を持ち、限りない智恵と福徳を納め、人びとにご利益を授けてくださる虚空蔵菩薩から智恵を授かる「十三まいり」は法輪寺の年中行事。数え年13歳になった男女の子供たちが、厄除けと虚空蔵菩薩から智恵を授かるためのお参りをする。成人式のルーツでもあり、男児は元服、女児は肩上げを取った着物を着飾り、この日から大人の仲間入りをする。また、参詣後は渡月橋を渡り切るまで、後ろを振り向くと授かった智恵が逃げてしまうと言われ、真剣な表情で渡月橋を渡る子供たちの微笑ましい姿が目に入る。 |
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(写真は 十三まいり) |
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