月〜金曜日 18時54分〜19時00分


滋賀・信楽町 

 滋賀県の最南端に位置し、京都府、三重県に接する信楽町は、日本でも有数の良質陶土産出地で、古くから陶器作りが盛んな日本六古窯のひつである。聖武天皇が紫香楽宮の造営を始めた地でもあり、山あいの静かな町に入ると、さまざまな表情の陶製の狸が「いらっしゃい」と出迎えてくれる。今回はこんな焼物の里を訪ねた。


 
窯元散策  放送 4月12日(月)
 美しい自然と山並みに囲まれた標高約300mの高原地帯にある信楽町は、愛嬌たっぷりの狸の置物でおなじみの信楽焼で知られる焼物の里で、日本六古窯(信楽、瀬戸、常滑、備前、丹波、越前)のひとつである。町内のいたる所に焼物に関する見どころや窯元がたくさんあり、訪れた人たちは窯元散策路をたどって名工たちの仕事にふれることができる。
 信楽焼の原点は天平14年(742)聖武天皇が紫香楽宮造営に際して、瓦や什器用の須恵器作りをこの地で始めたことにある。鎌倉時代中期に本格的な焼物が再興されて以来、茶人に好まれた茶陶のほかに、素朴な肌合いの日用の器や置物類を中心におびただしい数の信楽焼が焼かれてきた。

狸庵

(写真は 狸庵)

楽斎窯

 信楽焼のトレードマークとも言える狸の置物はいつごろから作られたのだろうか。明治9年(1876)生まれの初代狸庵(りあん)主・藤原銕造氏が、京都の清水焼の窯元で修業中の10歳の時、音羽川の河原で腹鼓に興じる狸を見て、狸の焼物作りがひらめいた言う。修業を終えて郷里の信楽に帰ってから、等身大の狸を作り始めたと言われており、信楽で狸の置物が本格的に作り始められたのは昭和時代初めとされている。
 狸の置物は商売繁盛、福徳円満、無病息災の運が開けると言われ信楽焼の主製品となった。信楽町の店先に並んでいる狸の置物は愛らしい表情をしているが、狸庵の初代庵主が作った狸は眼光鋭く野性的な表情をしている。現代はゴルフクラブを持った狸、ちょんまげを結った力士狸、本を片手に薪を背負った二宮金次郎狸など、さまざまのスタイルの狸が登場している。

(写真は 楽斎窯)

 現代の焼物は電気窯、ガス窯などが主流になっているが、火加減によって焼き上がりが異なり「炎の芸術」と言われる薪を燃料にした窯も健在だ。大型の壺や甕などを焼いたり、大量の製品を焼くのに使われるのが登り窯。滋賀県の無形文化財技術保持者に指定されている四代目楽斎窯元・高橋楽斎氏は、登り窯での作品制作に打ち込んでいる一人。その作品には茶人に好まれる「わび」「さび」の雰囲気が強い。
 信楽町内の料理旅館・小川亭では有名陶芸作家の食器に料理を盛りつけて出し、その中に気に入った器があれば販売もする。旅の疲れを癒す旅館の風呂場には信楽焼のタイルが張られ、狸の口から湯が出る陶製の湯ぶねにつかると焼物の里への旅情がさらに深まる。

有名作家の器料理(小川亭)

(写真は 有名作家の器料理(小川亭))


 
焼物の明日  放送 4月13日(火)
 信楽町の中心部にある信楽伝統産業会館には、遠く天平時代の昔から近世までの焼物と資料が展示され、その歩みをひと目で知ることができる。あわせて現代の作品も常時展示され、会館の建物の外壁、内壁、床に信楽焼のタイルが使用されているように、現代の陶工たちは信楽焼の古い枠の中にとどまらず、その温かみと陶器の特質を生かした新しい試みに常に挑戦している。
 信楽の里には古来からの登り窯から立ち登る煙がたなびいている一方で、現代建築やモニュメントに使われる大型陶板が最新の技術を駆使して焼成され、大都会の一角や近代的な高層ビルなどを飾っている。

信楽伝統産業会館

(写真は 信楽伝統産業会館)

丸十製陶

 陶器の範疇もどんどん広がっている。貯蔵用の壺、甕、瓶類から「わび」「さび」を重んじた茶陶、茶碗などの日用食器、火鉢や狸の置物に代表される日常用品、装飾・インテリア品、タイルなどの建築用品までとどまるところがないように広がっている。
 最近は若い陶芸家が陶器の持つ素朴さに、新しい感覚のデザインや用途を考案し、陶製のオーディオスピーカーや幽玄な趣を醸し出す陶製照明器具など、アイデア商品をつぎつぎと生み出している。信楽高原鉄道が陶製の記念乗車券を発売して人気を呼んだこともあり、陶芸教室でオリジナルな食器などを作るアマチュア陶芸家も増えている。

(写真は 丸十製陶)

 テクノロジーの進歩は陶業の世界にも革新をもたらし、優れた陶の耐久性を生かした陶板が大きくクローズアップされてきた。繊細な部分や色彩を忠実に再現できる技術が開発され、絵はもちろん写真も陶板に焼き付けることができる。
 こうした先進技術を駆使して大型陶板を信楽で制作しているのが大塚オーミ陶業。
釈迦が弟子たちに説法する平山郁夫画伯の「祇園精舎」の絵が、陶板に仕上げられ京都市の竜谷大学講堂の正面に掲げられており、見る人の目を引きつけている。このほかホールやビル、駅舎、会館などの壁や広場のモニュメントなど、今やいたる所に陶板を目にする。また永遠に変色しない特性を生かし陶板製肖像写真にも人気が出ている。

風神雷神図(陶板画・大塚オーミ陶業)

(写真は 風神雷神図(陶板画・大塚オーミ陶業))


 
陶芸の森  放送 4月14日(水)
 信楽の里を見渡す小高い丘陵地帯に広がる「滋賀県立陶芸の森」は、信楽焼を中心に産業と生活、芸術を結び、陶芸を通じて国際交流と情報収集をするために平成2年(1990)にオープンした文化公園施設。豊かな自然に囲まれた400haの公園内は、大規模な開発をせずに自然の地形をそのまま生かした形で施設が分散している。信楽の町のたたずまいや周囲の山並を眺めながら、陶芸作品と出会いながらフ散策を楽しむことができる。
 主な施設としては信楽焼だけでなく世界の焼物が展示されている陶芸館。内外の若手の陶芸家の教育、研修の場である創作研修館。総合展示場やホール、レストラン、陶器販売店を持つ信楽産業展示館がある。

陶芸館

(写真は 陶芸館)

創作研修館

 陶芸館は陶芸に関する資料の収集、保存、展示を行う陶芸専門の美術館で、新しい陶芸の未来を展望する国際性と現代性を備えた個性的な美術館を目指している。
 近代以降の陶芸史の中で優れ、かつ新たな創造性と造形力を備えた芸術的価値の高い作品、戦後の昭和20年(1945)以降の現代陶芸確立のキーポイントとなった作家の作品で、日本の陶芸の流れを展望できるものを集める「日本の現代陶芸」。国際的な評価を得た作品を中心に、当面は戦後に発展したアメリカとヨーロッパの陶芸作品を集める「世界の現代陶芸」。古信楽焼、湖東焼など滋賀県内の焼物の歴史が展望できる優れた作品を集める「滋賀ゆかりの陶芸」の3つのテーマに沿って収集活動をしている。

(写真は 創作研修館)

 創作研修館は国の内外から陶芸家を志す研修作家を受け入れ、将来の陶芸家を育成する創作の場を提供する。特別なカリキュラムはなく、自由な創作環境の中で著名な陶芸家や芸術家、評論家らを招いて指導してもらったり、研修作家がお互いの芸術性を刺激しながら切磋琢磨するのがこの施設の方針。窯場にはガス窯、電気窯がそれぞれ3基、登り窯、穴窯が備えられているほか、陶芸活動に必要な施設は備わっている。
 400人収容のホールを備えた信楽産業展示館は、信楽焼産業製品の展示、ホールでのイベント開催、異業種交流の場を提供する。展示室では信楽焼の産業製品である建築陶器、食卓用品、花器、園芸陶器、植木鉢などを展示している。

信楽産業展示館

(写真は 信楽産業展示館)


 
紫香楽宮  放送 4月15日(木)
 聖武天皇は天平12年(740)太宰府で挙兵した藤原広嗣の乱で混乱に陥った平城京を出て、恭仁宮(くにのみや=現京都府加茂町)を造営して遷都した。2年後の天平14年には、恭仁宮の離宮として紫香楽宮の造営に着手し、その翌年には金銅の大仏造立の詔を発してこの地に甲賀寺の建立を進めようとした。
 甲賀寺寺域を開き、大仏の骨柱を建てるあたりまで工事は進んでいたが、争いごとや災害が続いたため2年後の天平16年に計画は中止され、都は平城京へ戻された。
恭仁宮はわずか4年間の都で、紫香楽宮は完成を見ないで放置され幻の宮とされていた。

紫香楽宮跡

(写真は 紫香楽宮跡)

五重塔跡

 近年の発掘調査で紫香楽宮跡とされていた所は甲賀寺跡で、2km離れた宮町遺跡が紫香楽宮の宮殿跡であることが判明した。発掘現場からは宮殿が建設中であったことを裏付ける多数の土器や木簡などが出土している。
 甲賀寺跡は東西90m、南北110mで金堂、講堂、僧坊、鐘堂、経楼、中門などの礎石335個が残っている。この礎石から東大寺式伽藍配置の寺を建立する予定だったことがわかり、それぞれの建物跡には石碑が立てられ、堂塔の復元想像図が描かれている。甲賀寺跡の東北400mの所で溶解炉や鋳込み作業の遺構などが発掘され、信楽で計画されていた大仏鋳造工房の存在を示している。

(写真は 五重塔跡)

 平城京へ戻った聖武天皇は再び東大寺で大仏造立を進め、現在の大仏を完成させた。また、全国に国分寺建立の詔を発するなど大事業を成し遂げたほか、興福寺の堂塔建立にも光明皇后と共に尽力した。天皇の遺品は正倉院に保存され、貴重な文化財として高い評価を受けている。
 聖武天皇が平城京を出て恭仁宮、紫香楽宮造営、大仏造立、そして難波宮へ移り、最終的に平城京へ戻った4年間は混乱の時代であった。聖武天皇のこの4年間の行動は不可思議で、謎の時代とする歴史家も多い。恭仁宮、紫香楽宮の造営に費やした費用、動員された人夫たち、天皇に従って都を転々とした宮廷人たちの苦労は計り知れないものであったようだ。

藤原豊成邸復元模型

(写真は 藤原豊成邸復元模型)


 
飯道神社・玉桂寺  放送 4月16日(金)
 信楽、水口、甲西三町の境界にある標高664mの飯道(はんどう)山は、修験道の開祖・役小角(えんのおずぬ)が大峰山に入る前に修行したと伝えられる山。その山頂にある飯道神社は奈良時代に創建され神仏習合の寺として栄えた古社。兵火にあって焼失した後、江戸時代初期の慶安3年(1650)になって、桧皮葺き、入母屋造の桃山様式の豪華な本殿(国・重文)が再建された。
 千鳥破風、軒唐破風が付けられた本殿は昭和50年(1975)からの本格的な解体修理で再建当時の姿がよみがえった。明治維新の神仏分離令が出るまでは、飯道寺もこの地にあり、現在の社務所が寺の本堂跡である。

飯道神社

(写真は 飯道神社)

飯道山惣絵図(江戸中期・宮町区所蔵)

 飯道寺には本尊の薬師如来像や日光菩薩、月光菩薩、十二神将、阿弥陀如来、不動明王、役行者の諸像が安置されていたが、排仏毀釈(はいぶつきしゃく)で処分され、薬師如来、日光菩薩、月光菩薩、十二神将の像は、麓の宮町にある大日堂に移されて安置されている。
 飯道神社の解体修理の時、本殿の床下から寺の柱や梁につり下げる懸仏(かけぼとけ)が約500個見つかった。懸仏は銅などの円板に仏像・神像の半肉彫の鋳像などをつけ、柱や壁にかけて礼拝したものである。平安時代後期に本地垂迹(ほんちすいじゃくせつ)の思想から生まれ,鎌倉、室町時代に盛んになった。見つかった懸仏の円板の裏には、鎌倉時代の「正元」、南北朝時代の「延文」、豊臣時代の「天正」の年号が記されたものもあった。

(写真は 飯道山惣絵図
    (江戸中期・宮町区所蔵))

 信楽町の中心部に近いところにある玉桂寺は、奈良時代末の淳仁天皇の離宮・保良宮(ほらのみや)跡に空海が開いたと伝えられている。現在は玉樹本堂と山門などが残っており、地元の人たちから「弘法さま」と呼ばれ篤い信仰を集めている。
 本堂の阿弥陀如来像(国・重文)の胎内から「結縁交名」と「源智」の名が記された造立願文が発見された。結縁交名は死後に極楽浄土へ行けるように願いを込めて名を書いたもので、源頼朝、頼家、実朝の鎌倉三代将軍の名前をはじめ藤原氏、和気氏ら名のほかに5万人以上の名前が記されいた。この結縁交名は質、量ともにわが国では最大級のものとされている。

阿弥陀如来立像(重文・玉桂寺)

(写真は 阿弥陀如来立像(重文・玉桂寺))


◇あ    し◇
信楽伝統産業会館信楽高原鉄道信楽駅下車徒歩5分。 
狸庵信楽高原鉄道信楽駅からバスで江田口下車。 
楽斎(窯元)信楽高原鉄道信楽駅からバスで二本丸
下車徒歩10分。 
大塚オーミ陶業信楽高原鉄道信楽駅からバスで小原下車徒歩10分。 
小川亭(料理旅館)信楽高原鉄道信楽駅下車徒歩10分。 
滋賀県立陶芸の森信楽高原鉄道信楽駅下車徒歩20分。 
紫香楽宮跡信楽高原鉄道紫香楽宮跡駅下車徒歩10分。 
飯道神社信楽高原鉄道紫香楽宮跡駅下車徒歩1時間30分。 
玉桂寺信楽高原鉄道玉桂寺駅下車徒歩5分。 
◇問い合わせ先◇
信楽町役場商工観光課0748−82−8072 
信楽町観光協会・信楽伝統産業会館0748−82−2345
狸庵0748−82−0214 
楽斎(窯元)0748−82−0323 
小川亭(料理旅館)0748−82−0008 
大塚オーミ陶業0748−82−3001 
滋賀県立陶芸の森0748−83−0909 
玉桂寺0748−83−0716 

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

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                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

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歴史街道推進協議会