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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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京都市・南禅寺 |
平成16年(2004)は、京都東山の禅刹・南禅寺を開創した亀山法皇700年御忌を迎え、一山をあげての大法要が営まれた。また700年御忌記念特別展「南禅寺」が2004年5月16日まで京都国立博物館で開催され、書画などの名宝が鑑賞できる。この期間中、通常は有料の南禅寺の方丈、三門、南禅院を展覧会鑑賞者には無料公開し、同時に非公開の三門楼上内陣を特別公開する。こうした南禅寺の諸堂を紹介する。 |
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南禅寺は南禅寺山を背にした12万平方mの広大な境内に、勅使門(国・重文)、三門(国・重文)、法堂(はっとう)、方丈(国宝)が一直線に並び、その両側に塔頭12院が建ち並んでいる。 |
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(写真は 大方丈) |
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楼上内陣には宝冠釈迦像と脇侍2像、十六羅漢像を安置しているほか、徳川家康、藤堂高虎と一門の重臣の位牌が安置されている。天井には狩野探幽、土佐徳悦の筆による鳳凰や天女の極彩色画が描かれ、柱や梁にも華やかな装飾紋が描かれている。多くの寺院の釈迦像と違ってきらびやかな宝冠をかぶった宝冠釈迦像は、鎌倉時代に中国・宋から伝えられたもので、禅宗寺院の三門の本尊としてまつられるようになった。 |
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(写真は 鳳凰・天人の図 |
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南禅寺山を背後にした庭園は、京都に残る鎌倉時代の代表的な池泉回遊式庭園で、亀山法皇自らの作庭とも言われる。周囲を深い樹林で包まれた静かな庭園は、国の史跡・名勝に指定されていて、新緑と紅葉の時期はことに趣が深い。 |
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(写真は 曹源池) |
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大方丈南側の広縁に面する禅院式枯山水の庭園は、慶長年間(1596〜1615)に小堀遠州が作庭したと言われている。石組みを一カ所にまとめて箒(ほうき)目の白砂面を広く残した名園で、その巨石の姿が虎が子供の虎を従えて川を渡る姿に似ていることから、俗に「虎の児渡しの庭」と呼ばれ、京都では龍安寺の石庭と共に有名な庭である。 |
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(写真は 群虎図(狩野探幽筆)) |
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明治維新で都が東京へ遷都し、京都は沈滞ムードが漂っていた。京都市民の長年の夢だった琵琶湖の水を引くことを実現させ、工場を興し沈み切った京都に活力を取り戻そうと北垣国道・京都府知事が、琵琶湖疏水の大事業を計画し着工した。この難工事には東京大学を卒業ばかりの新進気鋭の技術者・田辺朔郎を技師として採用し、工事に当たらせた。外国の技術者の手を一切借りず、日本人だけでこの大事業を完成させてことでも注目された。 |
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(写真は 田辺朔郎) |
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