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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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大阪の熊野古道 |
平安時代に始まった熊野詣は、上皇、天皇、皇族や公家らの貴族から武士、庶民まで身分を問わず、善男善女が熊野の聖地を目指した。その様子を「蟻(あり)の熊野詣」と言った。京の都からの熊野詣は船で淀川を下り、現在の大阪・天満橋付近の渡辺の津に上陸、泉州から和歌山、田辺にいたり、ここから山中の中辺路を通って熊野本宮大社への道がメインルートで、これを「御幸道」と呼んでいた。この沿道の要所には休憩所を兼ねた九十九王子が祀られていた。今もその王子跡が残っている。今回は大阪市内と大阪府下の熊野街道をたどり王子跡を訪ねた。 |
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八軒家からの熊野街道(現・御祓筋)のスタート地点に、大阪市が建てた石にはめられた銅板の「熊野かいどう」の案内板の碑があり、熊野街道の紹介文と大和川までの地図が鋳込まれている。 |
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(写真は 榎木大明神) |
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聖徳太子が四天王寺建立と同時期に、叔父の崇峻天皇をしのんで四天王寺の南西に創建したと言う堀越神社の境内に、八軒家の渡辺の津にあった第一王子の窪津王子が祀られている。ここでは八咫烏(やたがらす)の御朱印が授かれる。八咫烏は神武天皇の東征の道案内をしたとされる三本足のカラスで、日本サッカー協会のシンボルマークにもなっている。 |
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(写真は 熊野第一王子之宮(堀越神社)) |
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阿倍王子神社をあとに熊野街道をさらに南下して現在の住吉区にはいる。住吉大社を過ぎ、さらに進んで長居公園通を横断したところにある墨江小学校の南に、津守王子跡があったと言われているが今は何もない。 |
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(写真は 止止呂支比売命神社) |
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大鳥大社を後にして熊野街道は和泉市に入る。和泉市での最初の王子は篠田王子。 |
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(写真は 泉井上神社) |
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吉祥園寺付近に近木王子があったのではないかとの説の根拠にされているのは、白河法皇、後鳥羽上皇が熊野詣の折に、吉祥園寺で昼食をとったとの記録があるからだ。 |
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(写真は 吉祥園寺) |
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