月〜金曜日 18時54分〜19時00分


和歌山・熊野古道(田辺〜中辺路〜熊野三山) 

 熊野の山々を越えた果てにある熊野三山を目指し、自らの足を頼りに歩き続ける熊野詣。京都からだと往復1ヵ月の旅だった。今週は熊野三山もほど近い、熊野古道の代表的なルートとも言える中辺路、熊野古道の中で最難関の大雲取越えなどの熊野古道を紹介する。


 
口熊野(田辺市、上富田町)  放送 7月5日(月)
 大阪・天満橋に発した熊野街道は、泉州から紀州路を南下、海と山が織りなす風光明媚な紀伊田辺に入る。ここから熊野街道は山間部を通って熊野本宮大社に向かう中辺路、海岸沿いに熊野那智大社に向かう大辺路の二つのルートに分かれる。
 田辺市とその隣の上富田町は熊野への玄関口と言う意味から「口熊野」と呼ばれ、田辺市には5つ、上富田町には3つの王子社があった。いよいよ熊野詣のクライマックスと言える熊野の聖地へはいる前に、心を新たにするため身を清め、決心を固める地点でもあった。

芳養王子

(写真は 芳養王子)

出立王子

 熊野街道が田辺市にはいって最初の王子社・芳養(はや)王子跡のあるのが大神社。この神社は昔、神のお告げで芳養川河口沖の海中から得た神鏡を、天照大神として祀ったのがこの神社の始まり。神のお告げによって御神体を得たことから「寄言(よりこと)の宮」とも称されている。
 芳養王子へ参拝した熊野詣の巡礼者たちは、険しい熊野の山中へ向かう心の準備をする潮垢離(しおこり)をする出立(でたち)王子へと向かう。熊野詣では常に心身を清浄に保つため、冷水や海水で身を清める垢離(こり)を道中でよく行う。

(写真は 出立王子)

 いよいよ熊野へ入る前の出立王子では、塩垢離をするのが習わしとなっていた。
崇峻天皇が熊野御幸の際、ここで潮浴びをしたのがその始まりと言われる。潮垢離の浜は埋め立てられて江川枡潟町になり今は無い。崇峻天皇が潮垢離の時に腰をおろした腰掛け石は、町内の児童公園に移され潮垢離浜跡の石碑が立っている。
 この石碑から北東へ約300m、田辺第三小学校の南に出立王子社がある。出立王子は何度も場所を変え、明治40年(1907)に八王子社、稲荷神社の三社が合祀され八立稲神社となったが、地元民の強い要望で現在地に出立王子が分霊された。出立王子を後に田辺市内の秋津、万呂、三栖王子跡を経て、いよいよ中辺路へと進む。

三栖王子

(写真は 三栖王子)


 
中辺路(中辺路町)  放送 7月6日(火)
 大阪・天満橋から熊野三山までの九十九王子のうちで、とりわけ格式の高いのが藤白、切目、稲葉根、滝尻、発心門の各王子で、これを五体王子と言う。いよいよここから熊野の霊域であると言う位置にある滝尻王子はそのひとつ。現世と熊野の神々が籠もる黄泉の国の境とされた。上皇たちは滝尻王子のそばを流れる富田川で水垢離(こり)をして身を清め、歌会や神楽、奉納相撲を催したりした。
 後鳥羽上皇は3回目と4回目の熊野御幸の時、ここで歌会を催しその時の歌を記録した和歌の懐紙が熊野懐紙として残っており、滝尻王子社境内には歌碑が立っている。

滝尻王子

(写真は 滝尻王子)

後鳥羽上皇の熊野懐紙

 滝尻王子社前の熊野古道館は、中辺路の観光案内と熊野詣にまつわる歴史を紹介する施設として平成6年(1994)にオープンした。熊野古道ブームが起こってからは熊野古道散策の拠点となっている。館内は熊野古道の歩き方などを紹介した観光案内コーナー、熊野懐紙の複製や滝尻王子の所蔵品などを展示した歴史コーナーのほかにビデオコーナー、グッズ販売コーナーなどがある。
 滝尻王子の近くに乳岩と呼ばれる岩屋がある。奥州の藤原秀衡夫妻が子種を授かったお礼に熊野詣をしたが、この地で出産、岩屋に赤子を預けて熊野本宮大社に参拝、戻って見ると赤子は狼に守られ、岩からしたたり落ちる乳を飲んで育っていたと言う伝えが残っている。

(写真は 後鳥羽上皇の熊野懐紙)

 滝尻王子から中辺路町の中心地を過ぎ、さらに熊野本宮大社へ向かって東へ進むと同町近露に箸折峠がある。平安時代、花山法皇が熊野詣の途中、ここで昼食と取った。忘れてきた箸の代わりに供の者が萱を折って法皇に指し出したことから峠の名がついた。また、萱の茎が赤く染まっていたので「血か露か」と法皇が尋ねられたころから、眼下の里を近露と呼ぶようになったとの伝えもある。
 箸折峠に花山法皇の旅姿と言われる高さ50cmほどの可憐な牛馬童子像があり、この像が最近、熊野古道を行く人たちの人気を集め、熊野古道のシンボル的存在となっている。牛馬童子像の横には役行者(えんのぎょうじゃ)像、すぐそばには「花山院経塚」がある。

牛馬王子

(写真は 牛馬王子)


 
熊野の神々(那智勝浦町、熊野川町、本宮町)  放送 7月7日(水)
 中辺路の熊野街道から熊野本宮大社へ参詣した巡礼者たちは、熊野川を舟で下って新宮の熊野速玉大社、さらに熊野那智大社、青岸渡寺への参拝を済ませると、再び本宮へと戻って行く。那智から本宮へのルートは大雲取越え(約16km)から小雲取越え(約13km)の山道を取った。中でも大雲取越えは熊野古道最大の難所である。
 厳しい山坂、所によっては腰のあたりまでのカヤやクマザサをの中を進むなど難所の連続。力尽きて行き倒れになった巡礼者もおり、沿道には無縁仏を供養した石仏が点在している。人気ひとつない深閑とした山道には、亡者の霊魂がたどっているとも言われ、つい足取りも早くなる。

無縁仏

(写真は 無縁仏)

大雲取越え

 大雲取越は那智の青岸渡寺の鐘楼横から原生林の那智山へ入って行く。原生林の中の苔むした石段や石畳を登り続けると妙法高原に出る。スタートしてから約2時間で標高888mの舟見峠に着く。熊野灘を往く帆掛け舟が見えたことからこの名がついた。
 舟見峠から地蔵茶屋跡まで800m級の峰が続く山中は、死んだ肉親や知人が現れる「亡者との出会い」と言われる場所である。疲労と樹木がうっそうと茂る深山の雰囲気に惑わされ、幻覚に襲われたのであろう。大雲取越え最大の難所・標高871mの越前峠を越えると小口の里まで下りが続くが、この下りが険しく胴切坂と呼ばれている。小口の里で1泊、小雲取越えを経て熊野本宮大社に着く。

(写真は 大雲取越え)

 越前峠から下る胴切坂の途中に熊野の神々が座り、談笑したり相談ごとをしたと言う巨石「円座石(わろうだいし)」がある。「わろうだ」とは昔の丸い座ぶとんのような敷き物のことを言う。苔むした岩の正面の修験者が刻んだと見られる三つの梵字は、熊野三山の本宮、速玉、那智大社の本地仏の阿弥陀如来、薬師如来、千手観音菩薩を表している。今や大雲取越えの名物となった円座石の上で、熊野の神々は何を語らっていたのだろうか。
 大雲取越えは自然の脅威と厳しさ、その美しさを教えてくれる熊野古道の中でも最も印象に残るルートと言える。体力に自信のある人は挑戦して見て欲しい。

円座石

(写真は 円座石)


 
高野坂(本宮町、新宮市、那智勝浦町)  放送 7月8日(木)
 京都を発って熊野詣に向かった上皇、天皇や公家、女院らの朝廷人や貴族らは、淀川の船旅と陸路の長い旅の末、やっと熊野本宮大社にたどり着く。ここから熊野川を舟で下り新宮の熊野速玉大社、そして最終の熊野那智大社への順に巡って行く。
 速玉大社から那智大社へ向かうルートは、樹木がうっそう茂り、苔むした石畳の続く山間の道とは対照的に、紺碧の海原の熊野灘と太陽がさんさんと降り注ぐ明るい空が広がる街道だった。この南紀州の美しい眺めに巡礼者たちも長旅の疲れを癒したことであろう。

浜王子

(写真は 浜王子)

御手洗海岸

 熊野速玉大社の参詣をすませると、熊野川河口の南に広がる王子ヶ浜にある浜王子へ。現在の浜王子神社が浜王子跡で、明治時代に阿須賀神社に合祀されたが、大正15年(1926)土地の社として浜王子の旧地に再建された。
 砂浜の美しい王子ヶ浜を南に進むと荒磯に黒潮が打ち寄せる御手洗海岸に出る。この上を通る熊野古道・高野坂は美しい海岸美が見おろせる眺望のよいところ。新宮から那智にかけての熊野古道は姿を消しているが、この高野坂の約1.5kmには、石畳の道や沿道の石地蔵など古道の面影がよく残っている唯一の場所である。

(写真は 御手洗海岸)

 いよいよ熊野詣の最終目的地、熊野那智大社へ。当時は那智の浜の浜の宮王子で潮垢離(しおこり)をして最終目的地へ向かった。
 熊野那智大社は第1殿に那智の大滝を御神体とする飛滝権現を祀っているように、生命の根源である水が勢いよく流れ落ちる大滝を那知信仰の中心としている。高さ133mの那智の大滝は古代から神とした崇められ、滝の前には飛滝神社がある。熊野詣の上皇、天皇はもとより、多くの巡礼者たちは、那知に到着するとまずこの那智の大滝に参拝した。この滝は僧侶や修験者らの修験の場でもあり、ここで悟りを開いた人たちが多い。熊野那智大社の隣の西国三十三ヵ所第1番札所の青岸渡寺には、観音霊場巡礼の人たちの参拝が続いている。

飛能神社

(写真は 飛能神社)


 
自然崇拝(新宮市)  放送 7月9日(金)
 新宮市の西端に熊野権現が降臨した山として崇められてきた神倉山(かんのくらやま)がある。この山の高さ60m近い断崖絶壁に神倉神社が鎮座している。神倉神社の御神体は「ゴトビキ岩」と呼ばれる巨岩。神の磐座(いわくら)のこの巨岩の形が、ヒキガエルによく似ていることからゴトビキと呼ばれた。
 日本書紀には東征の神武天皇が「天磐盾(あまのいわたて)に登る」とあり、これが岩倉山のゴトビキ岩とされており、熊野信仰の原点である原始信仰の起こりのひとつと考えられる。神倉神社の周辺からは古代祭具、銅鐸の破片、懸仏、仏具、経塚遺物など、熊野信仰にまつわ遺物が出土している。

神倉神社

(写真は 神倉神社)

ゴトビキ岩

 神倉神社へ登る参道は源頼朝が寄進した538段の急な石段。毎年2月6日の夜に行われるお灯まつりは、白装束に荒縄の帯、わらじばきの上り子と呼ばれる男たちが、松明を手にこの石段を一気に駆け降りる。この様子は「お灯まつりは男のまつり 山は火の海 下り竜」と新宮節に歌われているように、山腹が火の滝、火の竜となって流れ落ちるスリル満点の祭である。
 お灯まつりは南紀・新宮に春の訪れを告げる祭でもあり、新宮の男たちはこの祭に参加することに男意気を感じており、正月過ぎからお灯祭の準備に忙しい。

(写真は ゴトビキ岩)

 水の動きを神格化した速玉大神を主祭神とする熊野速玉大社は、神倉山に降臨した熊野権現を現社地に遷して「新宮」と呼ばれるようになり、これが地名の起こりともなった。
 熊野速玉大社は熊野三山の社務を統括する熊野別当の本拠地にあったことから、特別の地位を占めるようになった。熊野別当は熊野水軍の統率者でもあり、時の権力者を左右するほどの力を持っていた。社格の高かった速玉大社には多くの宝物が奉納された。境内の熊野神宝館には国宝、国の重要文化財に指定されている多くの神宝が展示されている。また、10月15、16日に熊野川で繰り広げられる御船祭は、熊野水軍を思い起こさせる勇壮な祭である。

熊野速玉大社

(写真は 熊野速玉大社)


◇あ    し◇
芳養王子跡(大神社)JR紀勢線芳養駅下車徒歩5分。 
出立王子、潮垢離浜跡JR紀勢線紀伊田辺駅からバスで江川大橋下車徒歩5分。
滝尻王子、熊野古道館JR紀勢線紀伊田辺駅からバスで滝尻下車。 
箸折峠、牛馬童子JR紀勢線紀伊田辺駅からバスで牛馬童子口下車徒歩20分。
熊野本宮大社JR紀勢線新宮駅からバスで熊野本宮大社下車。 
熊野速玉大社JR紀勢線新宮駅からバスで権現前下車徒歩5分。 
浜王子跡JR紀勢線新宮駅からバスで大浜海岸下車徒歩3分。 
高野坂JR紀勢線新宮駅からバスで高森下車徒歩20分。 
浜の宮王子跡JR紀勢線那智駅下車徒歩5分。 
熊野那智大社JR紀勢線那智駅からバス那智山下車徒歩10分。 
岩倉神社JR紀勢線新宮駅からバスで裁判所前下車徒歩30分。
◇問い合わせ先◇
田辺市観光協会0739−26−9929 
田辺市役所経済課0739−22−5300 
中辺路町観光協会0739−64−1470 
中辺路町役場産業振興課0739−64−0500 
熊野古道館0739−64−1470 
本宮町観光協会0735−42−0735 
本宮町役場産業観光課0735−42−0022 
熊野本宮大社0735−42−0009 
熊野川町役場産業建設課0735−44−0301 
那智勝浦町観光協会0735−52−5311 
那智勝浦町役場観光課0735−52−0555 
熊野那智大社0735−55−0321 
新宮市観光協会0735−22−2840 
新宮市役所商工観光課0735−23−3333 
熊野速玉大社0735−22−2533 

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
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◆歴史街道テレフォンガイド

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