月〜金曜日 18時54分〜19時00分


奈良市・奈良町あたり 

 奈良市の猿沢池の南、約2km四方に広がる奈良町は、元興寺の寺域に広がった古い町家が軒を連ねる商家の町。奈良町は正式の町名ではなく、この地域一帯を指す通称名。地域住民や商店主らが一体となって、古い町家を残す町づくりに取り組み、奈良観光の新スポットとなり、奈良町散策を楽しむ人が多い。こんな奈良町を訪ねてみた。


 
元興寺  放送 7月12日(月)
 平成10年(1998)12月「古都奈良の文化財」のひとつとしてユネスコの世界遺産に登録された元興寺は、飛鳥時代に日本で初めて建立された仏教寺院・法興寺(飛鳥寺)がその起源である。
 6世紀中ごろ日本に仏教が伝来、崇仏派の蘇我馬子が対立していた排仏派の物部守屋を破って、仏教受け入れへの道を開いた。その翌年の崇峻天皇元年(588)馬子は、崇峻天皇の即位を機に飛鳥に建立したのが法興寺。和銅3年(710)の平城遷都の8年後の養老2年(718)現在地の奈良町に移され、寺名も元興寺と改称された古刹である。

阿弥陀如来像

(写真は 阿弥陀如来像)

如意輪観音像

 当時は南都七大寺のひとつで、広大な寺域に金堂、講堂、五重塔、僧坊などの伽藍(がらん)が建ち並び隆盛を誇っていた。平安時代後期以降衰退の道をたどっていたが、室町時代の宝徳3年(1451)大和の土一揆で、堂塔が焼失、極楽坊と五重塔、観音堂、僧坊の一部が残った。さらに、江戸時代の安政6年(1859)再び火災に見舞われ、五重塔、観音堂も焼失した。
 室町時代の火災後、堂塔は再建されることなく、寺域には民家が建ち並ぶようになり、元興寺は町の中に埋もれるようになった。奈良町は元興寺の寺域に形成されたと言える。

(写真は 如意輪観音像)

 極楽坊は創建当時の僧坊のひとつ。奈良時代に浄土教を研究していた僧・智光が感得した浄土曼荼羅(智光曼荼羅=国・重文)を本尊とする極楽坊本堂(国宝)で、極楽堂、曼荼羅堂とも呼ばれていた。念仏道場だった禅室(国宝)も僧坊のひとつで、鎌倉時代の僧坊の遺構を良く残している貴重な建物。極楽坊、禅室の屋根の一部には、飛鳥の法興寺から移した瓦が創建時のまま乗っており、丸瓦を重ねて葺く行基葺きが残っている。
 元興寺境内に約2500基もの石塔、石仏類が集まった浮図田(ふとでん)がある。
元興寺や興福寺、近在の人びとが浄土往生を願って造立した仏塔である。毎年8月23、24日の地蔵会に万灯供養が行われる。

極楽坊禅堂

(写真は 極楽坊禅堂)


 
格子の町並み 放送 7月13日(火)
 猿沢池の南、2km四方ほどの地域がいわゆる「奈良町」で、その大半が元興寺の寺域に発展した町と言える。江戸時代から明治時代にかけての面影を残す町並みが残り、表が格子造りになった町家が随所に見られ、奈良町ならではの情緒を醸し出し、古都奈良を訪れる観光客の人気を集めている。
 その町家の軒先には赤い縫いぐるみの猿がぶらさがっている。これを身代わり猿と言い、庚申(こうしん)信仰から生まれた風習。毛繕いをする猿の姿が悪病や災難をもたらす三尸(さんし)の虫を取っているように見えることから、お守りとして家族の数だけ軒先につるされるようになった。現在は観光客用にお守りとしても売られている。

庚申堂

(写真は 庚申堂)

みせの間(ならまち格子の家)

 奈良町は商人の町であり、狭い通りには老舗の地場産業の店や伝統工芸品の製造、販売をする店が多い。都が平城京から平安京へ遷都し、元興寺も衰微したが門前町・奈良町の町衆たちは、その才覚で伝統商業を守り続けてきた。当時の町衆たちの心意気が現代にも伝わり、古い町家をそのまま使い、今日へ伝え、残してくれたと言える。
 奈良町の町家は間口が狭く、奥行きが深いいわゆる「ウナギの寝床」が特徴である。
これは全国各地の町家に見られることで、間口の広さによって税金がかけられたための税金対策によるところが強い。また、商人の「表に面したい」との願望が「間口は狭くとも表通りに面した家」へとつながったとも言える。

(写真は みせの間(ならまち格子の家))

 こうした伝統的な奈良町の町家を再現したのが「ならまち格子の家」。玄関を入ると「みせの間」「中の間」「奥の間」「中庭」「離れ」「蔵」が一直線に並んでいる。二階に上がる階段は空間を無駄なく利用した箱階段、通り庭には明かり取りの窓、ひさしの下には通風をよくする虫籠窓(むしこまど)、屋根の煙り抜きなど、生活の知恵がいっぱいある。
 通りに面した部分には奈良格子がはめられている。この格子は外からは中が見えない目隠しの役目を果たす。反対に中からは外がよく見えるハーフミラーのようで、音や風をよく通し外で遊ぶ子供を家の中から見守ることができる。見学用に再現された「ならまち格子の家」には、こうした町家づくりの智恵がいっぱい詰まっている。

中の間(ならまち格子の家)

(写真は 中の間(ならまち格子の家))


 
わらべうたと仏様  放送 7月14日(水)
 奈良町の一角に瓦葺き、白壁の瀟洒な建物の奈良市音声館(おんじょうかん)が平成6年(1994)にオープンし、古い町並みから子供たちやお年寄りたちの歌声が聴こえてくる。
 歌声による人づくり、街づくりを目指して奈良市が設立、ならまち振興財団が管理運営している。ここを拠点にわらべ歌教室、コンサート、ミュージカル、講演会など、多彩な音楽活動を繰り広げている。音声館で1歳から90歳に近いシルバーエイジの人たちが、歌を通じて交流を重ね、日本のわらべ歌、ふるさとのわらべ歌、大和のわらべ歌を、次の世代へと歌い継いでいる。

奈良市音声館

(写真は 奈良市音声館)

誕生寺

 音声館の名称は東大寺大仏殿前の国宝・金銅八角灯籠の火袋四面に描かれている音声菩薩に由来する。音声菩薩の多くは楽器を携えている音楽の仏様で、古都奈良にふさわしい名称と言える。
 音声館の活動のひとつである「ならまちわらべ歌教室」は、幼児クラス、小学生クラス、おかあさんといっしょクラス、シルバーコーラスクラスに分かれている。音声館からは「奈良の 奈良の 大仏さんは 天日にやけて アリャドンドンドン コリャドンドンドン 正面どなた うしろにだれがいる (○○ちゃん) 違いました舟の影」と、子供たちが元気に歌う大和のわらべ歌「奈良の大仏さん」が聴こえる。

(写真は 誕生寺)

 わらべ歌の継承、普及に努めている「まつぼっくりならまち少年少女合唱団」は、奈良県内はもとより県外にも出かけ、わらべ歌による交流を深めている。国連ユニセフ活動の一環としてアメリカ演奏旅行も行い、ニューヨークの国連本部でわらべ歌を合唱した。劇団「良弁杉」はオリジナルミュージカル「二月堂良弁杉」を平成7年(1995)の初演以来、26回の公演を重ねている。
 當麻曼荼羅を織った中将姫の誕生の地が寺名の由来になっている、音声館近くの誕生寺の25人の菩薩の石像は、それぞれ楽器を携えた音楽の仏様である。この菩薩石仏も音声館から聴こえくる、可愛らしい子供たちの歌声に耳を傾けているころであろう。

音声二十五菩薩

(写真は 音声二十五菩薩)


 
奈良町の夏  放送 7月15日(木)
 奈良町には季節の風情を織りなす特産品の蚊帳(かや)や奈良団扇(うちわ)を作り続けている老舗が健在だ。昔ながらの伝統技法を受け継ぎ、丹精を込めた手作りの品には匠の技と愛情が込められている。
 軒に「蚊帳」の看板を掲げる格子の家は、大正10年(1921)創業の蚊帳の専門店・吉田蚊帳会社。蚊帳はかつては奈良県の特産品で60%以上の全国シェアを占めていた。蚊帳は古くは貴人たちのもので、庶民にまで普及したのは江戸時代初め。
当時、奈良ではまだ蚊帳の生産はしておらず、明治初め奈良で綿蚊帳の生産が始まり、明治30年(1897)ごろから奈良の蚊帳が全国で主流になり、日本の夏の必需品となった。

吉田蚊帳

(写真は 吉田蚊帳)

奈良団扇

 近年、生活様式の転換で見向きもされなくなっていた蚊帳だが、健康と快適さを大切にしたり、蚊帳の風情を見直し、蚊帳のある夏の生活を取り戻している人たちがいる。「昭和30年代に全盛だった蚊帳が最近売れ始めたが、主力商品にまではまだまだ」と吉田社長。同社では蚊帳の生地を使ったのれんやタペストリー、コースター、ランチョンマット、テーブルクロス、ならまちふきんなどを売り出し、奈良町らしい土産品として人気を集めている。
 もうひとつ、夏の風物詩で奈良ではのものが奈良団扇。団扇の起源は古く、紀元前3世紀以前の中国・周の時代に存在していた。涼を取るだけでなく、祭礼などの儀式用や貴人や女性が顔を隠すための道具でもあり、高松塚古墳の壁画にも描かれている。日本には奈良時代に伝わり、奈良・正倉院の御物などに見られる。

(写真は 奈良団扇)

 奈良団扇の起源は春日大社の神職が内職で作った渋団扇。透かし彫りが入った奈良団扇が登場したのは江戸時代に入ってからと言われ、現在、奈良団扇を作っている唯一の専門店が「池田含香堂」。
 きれいに染め抜いた和紙を20枚重ね、正倉院宝物の天平模様や鹿が遊ぶ模様を型写しして、細い小刀で模様を切り抜く。この和紙を竹の骨に貼り合わせると透かし彫りが浮き出した団扇になる。「すべての工程が細心の神経を使う手作業で気が抜けない」と4代目当主・池田繁さんは言う。こうしてでき上がった奈良団扇は、実用品でありながら優雅な趣が漂う芸術品でもあり、こちらも奈良観光の土産品として人気が高い。

池田含香堂

(写真は 池田含香堂)


 
饅頭の神様  放送 7月16日(金)
 奈良町の北西、近鉄奈良駅に近い、やすらぎの道の西にある漢国(かんごう)神社は、飛鳥時代の推古天皇元年(593)の創建と伝えられる古社。神社名から渡来神をイメージするが、祭神は日本古来の大物主命(おおものぬしのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)の三神で、現在の本殿は桃山時代のもの。神社のある町名も漢国町となっているが、神社名は「韓国」「勘興」「漢郷」と記されて例もあった。
 この神社には大坂冬の陣へ出陣途中の徳川家康が「茶糸威胴丸具足(ちゃいとおどしどうまるぐそく)」を奉納しており、奈良国立博物館が保管している。

漢国神社

(写真は 漢国神社)

饅頭塚

 漢国神社本殿右の境内社・林(りん)神社は、饅頭の神様として知られている。
室町時代に中国から来日し、わが国で初めて饅頭を作り、その製法を人びとに教えたと言われた林浄因を祭神としている。
 子孫が漢国神社の向かいで饅頭屋を開業、大繁盛したと言う。神社の南の林小路町の町名は浄因の住まいに由来すると言われる。大きな石に饅頭の形を彫り出した境内の饅頭塚は、林家の繁栄を祈って紅白の饅頭を埋めたとの伝えがある。浄因の命日の4月19日には、毎年、全国の製菓業者が集まって饅頭祭が盛大に行われる。漢国神社前に店を出していた饅頭屋は江戸に店を出し、その子孫が現在、東京・中央区明石町で菓子業・塩瀬総本家を経営している。

(写真は 饅頭塚)

 奈良町で饅頭発祥の地に恥じない菓子作りに取り組んでいる菓子職人がいる。大正5年(1916)創業の菓子店・なかにしの4代目当主・中西克之さんで、奈良町のまちづくりグループ「奈良町座」の事務局長も務めている。
 従来の菓子店から脱皮、菓子作りにも工夫を凝らしている。奈良町散策の時、歩きながら食べられるようにと、笹の葉でくるんだ三色団子の「奈良町だんご」は、笹の葉が皿代わりになる。他に庚申信仰から生まれた猿の縫いぐるみの「身代わり猿」を形取った「庚申さん」は、鮮やかな紅白の色がきれいな生菓子。このほか奈良町小路、奈良町のわらび餅、鹿格子など、奈良町に因んだ創作菓子を数多く創り出している。

竹筒羹(御菓子司なかにし)

(写真は 竹筒羹(御菓子司なかにし))


◇あ    し◇
元興寺、奈良町近鉄奈良線奈良駅、JR関西線奈良駅下車徒歩20分。 
◇問い合わせ先◇
奈良市役所観光課0742−34−1111 
奈良市観光センター0742−22−3900 
元興寺0742−23−1376 
ならまち格子の家0742−23−4820 
奈良市音声館0742−27−7700 
誕生寺0742−22−5333 
吉田蚊帳株式会社0742−23−3381 
池田含香堂(奈良団扇、奈良扇子)0742−22−3690
漢国神社、林神社0742−22−0612 
なかにし(菓子舗)0742−24−3048 

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

    あなたも「関西の歴史や文化を楽しみながら探求する」歴史街道倶楽部に参加しませんか?
    歴史街道倶楽部では、関西各地の様々な情報のご提供や、ウォーキング、歴史講演会など楽しいイベントを企画しています。
   倶楽部入会の資料をご希望の方は、
 ハガキにあなたのご住所、お名前を明記の上、
          郵便番号 530−6691
          大阪市北区中之島センタービル内郵便局私書箱19号
                  「テレホンサービス係」
へお送り下さい。
   歴史街道倶楽部の概要を解説したパンフレットと申込み用紙をご送付いたします。
       FAXでも受け付けております。FAX番号:06−6448−8698   

歴史街道推進協議会