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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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滋賀・奥琵琶湖 |
琵琶湖は東西南北でそれぞれ異なった顔を持っている。また、その湖岸で生活する人びとも、 |
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この美しい神秘的な余呉湖には、天女伝説が残っており、天女が羽衣を掛けたと言う衣掛柳の大木がある。水のきれいな湖で8人の天女が水遊びをしていたところ、里の男に羽衣を取られた天女がいた。7人の天女は天に帰ったが、羽衣を取られた天女は天に帰ることができなかった。天女は、羽衣を返してくれるよう頼んだが聞き入れられず、仕方なくこの男と夫婦になって子供をもうけた。そのうちに隠されていた羽衣を見つけ、子供たちのことを心に残しながら天に帰った。一説には天女が生んだ男の子が菅原道真だとの伝えもある。 |
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(写真は 銅鐘(北野神社)) |
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北国街道と北国脇街道の宿場町として栄えた木之本は、江戸時代には本陣と脇本陣が置かれ、行き交う旅人と浄信寺の地藏さんへの参拝客でにぎわった。今も木之本町の旧街道筋には、往時の面影をそこかしこに見ることができる。 |
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(写真は 湖産地畑会席(想古亭源内)) |
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奥琵琶湖のほとりで生み出された高級和楽器糸は、一流演奏家に愛用されているが、値段が高いためテトロン糸など化学繊維の糸が幅を利かすようになってきた。同時に和楽器用の糸にする生糸の生産も少なくなり、原材料の確保も難しくなりつつある。こうした状況から琴糸はほとんど化繊糸になっている。最近、テレビなどでよく見かける津軽三味線の速弾きは、化繊糸でなければ耐久力の弱い絹糸では持たないとも言う。 |
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(写真は 駒撚り作業) |
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塩津海道で最大の難所が深坂峠。越前の国司に任じられた父・藤原為時と一緒に深坂峠を越えた紫式部や奈良時代の歌人・笠金村は、その険しさを歌に詠んでいる。 |
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(写真は 深坂地蔵) |
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菅浦地区の住民の先祖は平安時代以前に天皇の食料を納めていた贄人(にえびと)たちで、琵琶湖の漁労と水運に従事し、平安時代には供御人として自立したようだ。中世には全国に先駆けて「惣」と呼ばれる住民による自治組織を作っていた。 |
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(写真は 西四足門) |
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