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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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福井・あわら市、三国町 |
芦原町と金津町が平成16年3月に合併して新しいあわら市が誕生した。新市・あわら市は、合併後も名湯・芦原温泉を核に、北陸観光の拠点としての新たな町づくりをしようとしている。あわら市に隣接する三国町は、海岸美を売り物にする東尋坊、越前松島で知られている。今回は越前の名湯と海岸美を訪ねた。 |
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芦原温泉は戦後間もない昭和23年(1948)の福井大地震で大きな被害を受けた。さらに昭和31年(1956)には、町の半分が焼ける芦原大火に見舞われた。 |
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(写真は 越前おろしそば(そば処福乃家)) |
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創業100年の開花亭は天皇をはじめ皇族や多くの文人、墨客、俳優らに愛された宿。玄関を入ると奥には銘石や石灯籠が点在し、築山あり、滝あり、池ありの広さ1万平方mの回遊式大庭園があり、この庭を囲むように各部屋が配されている。 |
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(写真は 開花亭・料理) |
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藤野は幼少のころから父に漢文、漢学を学び、中国5000年の悠久の歴史に目を開かせた。こうした中国への思いが、仙台医専での魯迅に対する師弟愛に結びつく遠因ともなった。 |
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(写真は 福円寺) |
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雄島の南東部にこの地域の漁民の信仰を集めている大湊神社がある。大湊神社の鳥居がちょうど島の入口のようになっており、鳥居をくぐり78段の急な石段を登りきると社殿がある。現在の社殿は江戸時代初めの元和7年(1621)福井藩2代藩主・松平忠直が寄進したもので、桐材の一間社流造で一部に極彩色や金蒔絵が施されている。 |
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(写真は 大湊神社) |
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現在の勝山市にあった平泉寺は、数千の寺坊を持つ大寺で数多くの僧兵を抱えていた。僧兵の一部は非道の限りをつくし、近郷の民、百姓を苦しめる悪僧兵たちだった。その悪僧兵の旗頭とも言えるのが東尋坊と言う名の僧兵で、手を焼いていた寺は何とか追い出そうと策をめぐらし、これも強力で知られる寺侍の真柄覚念に頼んだ。 |
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(写真は 東尋坊観光遊覧船) |
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