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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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八幡市・石清水八幡宮 |
京都市の南に位置する八幡市は、北西で木津川、宇治川、桂川の三川が合流し、対岸には天下分け目の戦いが行われ天王山があり、古くから交通、政治、戦略上の要衝の地とされてきた。この要衝の地で天王山と相対峙する八幡市の男山に鎮座する石清水八幡宮は、まさに国家鎮護の神であり、古くから朝廷、武門から篤い崇敬を受けてきた。 |
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参詣には山麓からケーブルカーの利用が便利だが、うっそうと茂るクスノキ、アラカシ、シイ、ツバキなどの樹林の中に続く、九十九折の参道を一歩一歩登ってゆくのもすがすがしい気分にさせられる。本殿に続く石畳の参道の両側には、寄進された石灯籠がびっしりと並んでいる。鎌倉時代の永仁3年(1295)の銘がある石灯籠と鎌倉時代後期のものと見られる高さ6mの石造五輪塔は、いずれも国の重要文化財に指定されている。 |
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(写真は 若宮社(左)、若宮殿社(右)) | ||||
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本殿や楼門などの細部を飾る花鳥などの巧緻な透かし彫りは152点にのぼり、建立時はその極彩色と相まって多くの人びとの目を奪ったことかと想像される。西門上にある蟇股(かえるまた)の「目貫き猿」の彫り物には、猿が夜に抜け出していたずらをするので、右目に細い釘を刺して封じたとの伝承がある。 |
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(写真は 八幡宮縁起絵巻(石清水八幡宮文書)) | ||||
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寛永時代の文化人が集まった茶室「松花堂」は、明治維新の神仏分離の際に男山の麓に遷され、さらに明治24年(1891)男山の南東、八幡市女郎花の地に移転させられた。現在は八幡市立松花堂庭園として整備され、茶室と泉坊書院、泉坊庭園が復元され、ありし日の昭乗をしのぶことができる。復元された茶室「松花堂」は茅葺きの宝形造りで一見すると仏堂のようで、天井には極彩色の日輪と |
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(写真は 松花堂弁当(吉兆)) | ||||
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石清水祭は京都の賀茂祭、奈良の春日祭とともに三大勅祭のひとつに数えられ、平安時代の王朝絵巻を見るような優美典雅な祭の形式を現代に伝える正統祭祀と言える。 |
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(写真は 絹屋殿著御の儀) | ||||
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この放生会は宇佐神宮の放生会にならって、八幡大神がこの地に遷座した4年後の貞観5年 |
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(写真は 胡蝶の舞) | ||||
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