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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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奈良・JR桜井線沿いの史跡 |
桜井市から天理市にかけての東側山麓は、山辺の道としてハイカーたちの人気を集めている。この山辺の道の西側には、巨大な前方後円墳から陪塚と見られる円墳などが数多くある。この一帯は古代大和王朝があった所とされ、邪馬台国の女王・卑弥呼とのかかわりがあると見られる遺跡もあり、古代への夢をふくらませながら歩くことができる。 |
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平等寺は大神神社の神宮寺として堂塔、塔頭が建ち並ぶ大寺として栄えたが、明治維新の排仏毀釈(はいぶつきしゃく)で、伽藍はことごとく壊され仏像も各地に移された。 |
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(写真は 十一面観世音菩薩(秘仏)) |
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箸墓古墳から東へJR桜井線を越え、畑の間の坂を登って行くと桧原神社に突き当たる。桧原神社は皇居に祀っていた皇祖神・天照大神を崇神天皇の時にこの地・倭笠縫邑(やまとかさぬいむら)に移して祀り、崇神天皇の皇女・豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)が斎宮として仕えた。垂仁天皇の時代に天皇の皇女・倭姫命(やまとひめのみこと)が、天照大神の鎮座地を求めて各地を巡行し、伊勢国の五十鈴川のほとりに祭ったのが現在の伊勢神宮で、桧原神社を「元伊勢」と地元の人たちは呼んで崇敬している。 |
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(写真は 三輪鳥居(桧原神社)) |
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崇神天皇陵の前方にある陪塚の天神山古墳の発掘調査で鉄剣、鉄鏃(てつやじり)、鉄鎌などの副葬品のほか、当時としては貴重な水銀朱41kgや23面の鏡が出土した。 |
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(写真は 伊射奈岐神社) |
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黒塚古墳は中世に後円部の墳丘に城郭が築かれたため、墳丘面が著しく損傷しており、築造当時の墳丘面の確認はできない。石室は墳丘主軸に直角に交わる形で南北に設けられ、長さ約8.3m、幅は最も広いところで1.3m、高さ1.7m。石室壁面は下部が人頭大の川原石を用い、上部は板石を積み上げて天井部をふさぐ合掌式となったいた。 |
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(写真は 竪穴式石室(復元)) |
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大和神社の最大の例祭は、毎年4月1日に行われる豊作祈願の「チャンチャン祭」。御神体を乗せた御輿(みこし)が、約1km離れた中山町の大塚山の御旅所へ渡御する行列が「チャン、チャン」と鉦(かね)を鳴らして進むところから「チャンチャン祭」と呼ばれるようになった。 |
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(写真は 御旅所坐神社) |
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