|
月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
|
兵庫・丹波、但馬の里 |
兵庫県の中央東部に位置する丹波は山紫水明の地で名刹、古刹も多い。地理的に山陰と京都、大阪を結ぶ交通の要衝にあって山城や砦が多く、戦国時代の戦乱に巻き込まれた。 |
|
|
||||
|
||||
|
||||
篠山城の城下町として栄えた篠山の町の外堀の周囲には今も武家屋敷が残っており、市の文化財に指定されている安間家住宅は、市立安間家資料館として一般公開され、当時の武士の暮らしぶりがわかる。 |
||||
(写真は ユニトピア ささやま) |
||||
|
||||
|
|
||||
|
||||
|
||||
現代の丹波焼は赤土部(あかどべ)と呼ばれる釉薬や灰釉、鉄釉などの釉薬を使った素朴で野趣あふれる湯呑み、皿、鉢、花瓶、徳利などの生活用器を主製品としている。釉薬の掛け合わせによる多彩な文様や登り窯の「灰被り」と呼ばれる窯変による色や模様が魅力的でもある。 |
||||
(写真は 丹波焼 陶幸窯) |
||||
|
||||
|
|
||||
|
||||
|
||||
黒井城は鎌倉時代末期の建武3年(1336)春日部荘を支配していた赤松貞範(赤松則村の次男)が、標高356mの猪ノ口山に築いた山城。天文23年(1554)この城の城主となった荻野直正が城郭の全面的改築を行い、戦国時代の山城にふさわしい堅固な構えにした。織田信長の丹波攻めで、明智光秀の2度にわたる猛攻にあい天正7年(1579)落城、落城後の城は光秀の家臣・斎藤利三が管理することになった。 |
||||
(写真は 銘菓 春日局(竹田屋)) |
||||
|
||||
|
|
||||
|
||||
|
||||
落差20mの独鈷の滝には、弘法大師が仏具の独鈷を滝壷に投げ込み、大蛇を退治した言う伝説から名づけられた。周囲の自然ともよく調和した景観はすばらしく、兵庫県観光百選にも選ばれている。滝のそばにある洞窟には、弘法大師一夜の作と伝わる石造不動明王像が祀れている。霊験あらたかな不動明王像のそばで修行した伊賀の剣豪・浅山三五郎が、徳川家光の前での御前試合に勝ち、一伝流の祖となった。 |
||||
(写真は 精進料理) |
||||
|
||||
|
|
||||
|
||||
|
||||
竹田城の最後の城主となった赤松広秀は、戦国の世に翻弄された非運の城主だった。 |
||||
(写真は 赤松廣秀供養塔(法樹寺)) |
||||
|
||||
|
◆歴史街道とは
|
|||
歴史街道計画では、これらのルートを舞台に ◆歴史街道テレフォンガイド
|
|||
◆歴史街道倶楽部のご紹介 歴史街道推進協議会
|