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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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奈良・高取町 |
古代の都があった飛鳥の南西に隣接する高取町は、古代国家・飛鳥とのかかわりがそこかしこに残る。飛鳥時代の後、都が置かれた奈良、京都と吉野を結ぶ要衝の位置を占め、軍事上の拠点として城が築かれ、江戸時代以降は城下町、そして「大和の薬売り」に代表されるくすりの町として発展してきた。その名残が色濃い高取町を訪ねた。 |
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高取城の石垣には、飛鳥地方の古社寺の礎石や石造仏が運び込まれたと言われ、石垣のあちこちにそれらしき石が見受けられる。今も本丸、二の丸跡などに延々と連なる石垣は往時の城の威容をしのばせる。高取町中心部から下子島を通って、高取城跡へ通じる道路脇に猿を刻んだ猿石が一体立っている。飛鳥から運んだものだが、城に通じる途中にどうして置かれたかは不明で、郭内と城内の境目を示す結界石とした説もある。同類の猿石が明日香村の欽明天皇陵脇の吉備姫王墓のそばにある。 |
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(写真は ありし日の高取城(明治時代)) |
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この両界曼荼羅図は紺紫色の綾地に金銀泥のみで諸尊像を描いたもので、京都・神護寺の高雄曼荼羅図と並んで両界曼荼羅図の代表作と言われている。一説には空海が中国・唐からもたらし、一条天皇に献上したとも言われている。この両界曼荼羅図は本尊・十一面観音立像(国・重文)ともに奈良国立博物館に寄託されており、4分の1の銅板製両界曼荼羅図のレプリカが寺にある。 |
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(写真は 紺綾地金銀泥絵両界曼荼羅図) |
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城下町の雰囲気が色濃く残るこんな町筋に、元は呉服商を営んでいた紅殻格子の町家を改修した「夢創館(むそうかん)」が、高取町の観光発信基地として平成12年(2000)にオープンした。高取町を訪れた人たちが気軽に出入りできる観光案内所。お茶のサービスのもてなしがある無料休憩所であり、地元の物産展示場でもある。 |
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(写真は 観光案内所 夢創館) |
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高取町内の大和歴史研修センター内の「くすり民俗資料室」には、薬産業の歴史と製薬器具などが展示されており、庶民の健康を守ってきた大和の薬の変遷がよくわかる。 |
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(写真は 薬研(歴史研修センター)) |
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壺阪寺は創建後、平安時代には大伽藍を擁し全盛を極めていたが、火災で堂塔を焼失し、現在は室町時代から江戸時代にかけて再建された本堂の八角堂、礼堂、三重塔(いずれも国・重文)や阿弥陀堂、因幡堂などがある。 |
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(写真は 多宝塔) |
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