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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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大阪城とその周辺 |
大阪城は大阪のシンボルで、なにわっ子の心のよりどころでもある。新年、大阪城内を散策し、天守閣の展望台に登り、大阪の街を見渡し心を新たにするのも、正月のひとときの過ごし方のひとつでは。 |
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大阪城内の西の丸庭園(有料)は昭和40年(1965)に開園した芝生庭園で、本丸の石垣、その上にそびえる天守閣が最も美しく、堂々とした姿が望める絶好のポイントである。この庭園は徳川時代の西の丸跡地やその南側の城代屋敷跡などをまてめて庭園にしたもので、総面積は6万4000平方m(約2万坪)、周囲を樹木に囲まれた静かな庭で、春は桜の名所として知られている。 |
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(写真は 茶室豊松庵) |
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大阪城のある場所は、はもともと浄土真宗の蓮如上人の石山御坊があった所で、織田信長との長期にわたる戦いの石山合戦の場でもあった。この石山本願寺の跡に大坂城を築いた豊臣秀吉の「秀」と石山の「石」を取って、秀石庭と命名された庭が豊国神社境内にある。秀吉ゆかりの千成瓢箪の形を庭の地割模様とし、巨石を組み合わせた日本庭園で、大阪の発展は海に面したことが原動力となっていたことから、一木一草を用いずに海洋を表現している。 |
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(写真は 大阪城弓道場) |
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当時の高麗橋は、大坂から諸国への街道の起点であり、京へは大坂城北の寝屋川に架かる京橋を渡って行った。明治時代には橋の東南詰めに里程元標があったが、今は里程標跡の碑が建てられている。 |
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(写真は 滑稽浪花名所天満市場 |
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2階北西の部屋には特徴的な楕円形の暖炉があり、暖炉のまわりには輸入タイルが使われている。床の市松模様は、一見するとタイル貼りのように見えるが、床板にペンキで描いたもので、当時、高価なタイルを床全面に敷き詰めることはできなかったようだ。2階北東の部屋は玉座の間に当てられ、現在の部屋の内装は明治41年(1908)の行幸の時に施されたものが、そのまま残されている。 |
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(写真は ヴェランダ) |
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