月〜金曜日 18時54分〜19時00分


和歌山・白浜町〜すさみ町 

 白浜温泉は日本書紀にも登場する温泉地で、有馬(兵庫県)、道後(愛媛県)と並んで日本三古湯で、「関西の奥座敷」とも言われている。白浜町から串本町にかけての熊野灘は枯木灘とも呼ばれ、その海岸美が素晴らしい。その海岸沿いにユネスコの世界遺産に登録された熊野参詣道がある。今回は湯の街と熊野参詣道を訪れた。


 
大自然の芸術(白浜町)  放送 1月10日(月)
 南紀・白浜の地名は雪のように白く、明るい石英砂の砂浜・白良浜(しららはま)に由来する。白浜温泉地区と湯崎温泉地区をつなぐ約600mのゆるやかな弧を描いた砂浜が白良浜である。さらに太平洋に突き出した地形の海岸が、風と波によって浸食され大自然が造り出した岩壁の名勝地が多い。
 その岩壁の造形美のひとつが、湯崎温泉の南約1kmのところにある千畳敷。その名の通り岩の畳を思わせる砂岩の大岩盤で、波の高い時には千畳敷の岩に砕け散る勇壮な波の光景が見られ、落日の美しさもまた格別である。

千畳敷

(写真は 千畳敷)

三段壁

 もうひとつの岩壁の名勝が、千畳敷の南の海岸にそそり立つ高さ50〜60m、最も高いところで67mもある断崖が2kmにわたって続いている三段壁。黒潮が岩肌に激しくぶつかる光景は迫力満点で、断崖の上から下を眺めると足がすくむほどの高さだ。約270万年前の地殻変動でできた岩脈が、波の浸食作用によって今日の三段壁を創り出した。
昔、沖の魚や船を見張る「見壇=みだん」が、いつしか「三段=さんだん」になった。
 エレベーターで地下36mの三段壁洞窟へ降り、洞窟内の遊歩道に沿って進むとミニ水族館や源平合戦で勇名を馳せた熊野水軍の舟隠し場の番所小屋が再現されている。洞窟の奥まったところに、左右に十六童子を従えた牟婁弁財天が祀られている。

(写真は 三段壁)

 熊野灘から洞窟内に押し寄せる波が、四方に砕け散る光景の迫力に圧倒される。この波が気の遠くなるような年月をかけて岩を浸食し、三段壁洞窟を造り出したもので、自然の威力と創造性に感服させられる。洞窟内の潮吹き岩は押し寄せる波の圧力で、鯨のように海水を勢いよく吹きあげる。
 島の中央に丸い海蝕洞が空いている円月島は、東西35m、南北130m、高さ25mの小島。白い岩肌の島の頂上部には松が茂っており、本来の島名は「高島」だが、中央にぽっかり空いた円月形の穴から円月島と呼ばれ、白浜温泉を代表する名勝地として知られ、日没時には美しいシルエットを見せる。

円月島

(写真は 円月島)


 
白浜温泉発祥の地(白浜町)  放送 1月11日(火)
 白良浜(しららはま)の南、湯崎は白浜温泉発祥の地で、奈良時代に牟婁温湯(むろうのゆ)、紀温湯(きのゆ)などと呼ばれ、斉明、天智、持統、文武の四帝が、この地に遊んだことが日本書紀に記されている。このほか多くの公家や歌人、文人墨客が、温泉と海岸の景勝地を楽しむために訪れている。
 白浜温泉は悲劇の皇子、有間皇子が湯治に訪れたことで歴史の舞台に登場した。有間皇子は斉明3年(657)白浜を訪れ、その素晴らしさを時の斉明天皇に説き、翌年、天皇が白浜温泉に行幸、この温泉が世に出た。謀反の罪を着せられ刑死した有間皇子の碑が町内にある。

山神社

(写真は 山神社)

温泉神社

 湯崎の西端、太平洋に突き出た天然の岩風呂「崎の湯」は、この地域で最も古い温泉で、昔、湯崎七湯と言われた共同浴場のひとつ。眺めの素晴らしさに加えて入湯無料とあって観光客の人気が高い。
 白浜の温泉街を眼下にする奥大山の中腹にある山(さん)神社境内に摂社の温泉神社がある。温泉の恵みに感謝して造営された神社で、毎年6月1日に献湯祭が行われる。烏帽子(えぼし)と白装束姿の氏子たちが、町内7カ所の泉源から一番湯を汲み、白木の樽に入れて温泉神社まで巡行する。神殿に献湯して温泉の恵みに感謝、白浜温泉の発展を祈願する。温泉祭は古くから行われていたが、昭和63年(1988)から今日のような形式の献湯祭になった。

(写真は 温泉神社)

 温泉神社が祀られている山神社の創建は定かでない。元は旧鉛山村湯崎浜鑪鞴(たたら)町の地(現白浜温泉郵便局付近)にあり、弘治元年(1555)に大火で焼失、同じ場所に再建されたとの記録がある。温泉神社は明治時代にはすでに脇宮として山神社に祀られており、昭和2年(1927)現在地に山神社が移された時に一緒に移された。
 紀州名物の梅を漬ける梅樽を風呂桶にした梅樽温泉がホテル・シーモアにあり、こうした趣向の露天風呂温泉もまた楽しい。そして熊野灘の海の幸が豊富な食卓は、湯の街気分をさらにハイにしてくれる。

ホテルシーモア(梅樽温泉)

(写真は ホテルシーモア(梅樽温泉))


 
大辺路富田坂(白浜町)  放送 1月12日(水)
 「紀伊山地の霊場と参詣道」が2004年、ユネスコの世界遺産に登録されたが、その参詣道のひとつが白浜町から紀伊半島の海岸線沿いに開かれた熊野参詣道・大辺路。
 白浜町富田はかつての富田の宿として栄えたところ。大辺路の難所・富田坂が背後にひかえていたので、多くの旅人がこの宿場で一泊する重要な拠点となっていた。富田の禅寺・草堂寺の境内には「くまのみち」の文字と指をさす手の形が彫られた石碑があり、この寺の脇の石畳の道から富田坂は始まる。

日神社

(写真は 日神社)

石臼(峠の茶屋)

 草堂寺から安居(あご)辻松峠まで約5kmの坂道が富田坂。その中でも細い道がくねくねと蛇行する険しい難所が「七曲がり」である。眺望のよいところへ来ると白浜半島や富田平野も見渡せ、淡路島、四国も望める時がある。
 急峻な坂を登りきるとなだらかな道となり峠の茶屋跡に出る。いつごろから茶屋があったのかはわからないが、江戸時代初期の寛文8年(1668)には茶屋の存在を示す記録があり、大正8年(1919)まで営業して旅人たちの疲れを癒してくれていた。茶屋跡の傍らには石臼や石仏残されており、明治時代には後に外務大臣になった陸奥宗光が、猪狩りの際にこの茶屋で休憩したとの記録が残っている。

(写真は 石臼(峠の茶屋))

 茶屋跡から約1kmで白浜町富田と日置川町安居の境にある安居辻松峠に着く。峠の道端には石仏がポツンと安置されており、参詣道の風情を残している。この峠を日置川町へ下ると日置川の安居の渡しに出る。
 富田坂の出発地にある草堂寺は、別名・芦雪(ろせつ)寺と呼ばれ、長沢芦雪の絵を多く所蔵していることで有名だ。芦雪は円山応挙の高弟で江戸時代後期の絵師。天明6年(1786)から翌年にかけて草堂寺に滞在して、約70点を超える障壁画の傑作を残した。
芦雪のほか円山応挙、伊藤若冲らの水墨画も多く所蔵しており、障壁画71点や群猿図などが国の重要文化財に指定されている。

安居辻松峠

(写真は 安居辻松峠)


 
貝寺(白浜町)  放送 1月13日(木)
 本覚寺は京都・知恩院の直末寺で、貝寺の通称で広く知られている。海辺の寺として昔から漁民たちから貝殻の寄進を受け、そのコレクションは数万点、珍奇なものだけでも約1000点もあり、学術的に貴重な品種も所蔵している。
 その中のひとつ「ホンカクジヒガイ」は、寺名から名付けられた世界の珍種と言われている。ヒガイはウミウサギガイ科の巻貝で、卵形の形が機織の横糸を通す梭(ひ)ににているところからヒガイと呼ばれた。ホンカクジヒガイは雄、雌2体がそろっているなど、希少価値の高いもので寺宝的存在と言える。

ホンカクジヒガイ

(写真は ホンカクジヒガイ)

本尊阿弥陀如来坐像

 本覚寺は紀州藩祖・徳川頼宣以来、2代藩主・光貞、3代藩主・綱教、4代藩主・頼職、5代藩主・頼方(8代将軍吉宗)らが参詣するなど、紀州徳川家との関わりが深く、藩祖・頼宣ほか歴代藩主の位牌を祀っている。また天明元年(1781)に8代藩主・重倫の母・清信院のはからいで、田辺の寺の末寺から知恩院直轄の末寺に昇格した。
 その報恩のために住職が毎年春秋の2回、藩主のご機嫌伺いに和歌山の吹上御殿へ参上し、珍しい貝があれば献上するのを例としたと言う。

(写真は 本尊阿弥陀如来坐像)

 本覚寺の開創は応仁年間(1467〜69)との一説もあるが不明で、元は白良浜(白浜町)奥寺谷にあった。江戸時代初期に深誉玄茂が現在地に移して中興開山し、この時に真言宗から浄土宗に改めた。寺の過去帳によれば寛永10年(1633)から始まり、元禄8年(1695)に本尊の開眼供養を行っている。
 本尊・阿弥陀如来座像と脇侍の3体の仏像は、元禄時代(1688〜1704)に京都から江戸・芝の増上寺へ船で運ぶ途中、嵐に遭って船が難破し、仏像が崎の浜(現白浜町臨海浦)に漂着した。これを本覚寺へ移し安置したとの伝えが残っており、本覚寺縁起絵巻にも仏像を海から引き上げる様子が描かれている。

本覚寺緑起絵巻物

(写真は 本覚寺緑起絵巻物)


 
海を望む古道(すさみ町)  放送 1月14日(金)
 長井坂のあるすさみ町内の熊野古道大辺路は、素晴らしい海の景観と往時のたたずまいを楽しませてくれる熊野古道である。JR紀勢線周参見駅から国道42号沿いに約45分ほど南東に歩を進め、西浜からコースを左に取り谷に入る。緩やかな坂道が続き約45分で長井坂西登り口に着く。西浜までバスを利用する方法もある。
 急な長井坂を約20分で登りきると尾根づたいの平坦な道となり、木々の間からは雄大な枯木灘海岸が望める所が随所にあり、大辺路の中でも素晴らしい景観が楽しめる随一のスポットである。尾根筋の古道には、尾根を利用して土手状に土を固めて平にした、段築と言う独特の土木技術が用いられた道がある。

長井坂

(写真は 長井坂)

段築

 古道沿いにはほとんど手つかずの自然林が残り、最も熊野らしい自然の風景が満喫できる。備長炭の原料になるウバメガシやシイ、ヤマモモなどの照葉樹林が茂る木々のトンネルをくぐり、柔らかな腐葉土の上に積もった落葉を踏みしめながら歩く感触は、固い舗装道路ばかりを歩いている現代人には、ふかふかのじゅうたんの上を歩いているようだ。
 枯木灘とは白浜町から串本町にかけての海岸を指し、強風で樹木も枯れるほどの荒海と言うところからきた名だが、その由来とは裏腹に穏やかな日が多い。波静かな枯木灘には大小の島々が浮かび、美しい海岸風景を創り出している。

(写真は 段築)

 長井坂の茶屋の壇からJR見老津駅へ降ると、その近くに江住海岸公園があり、童謡にちなんだ彫像や歌碑を集めた日本童謡の園や展望台、休憩所などが設けられている。公園の南の江須崎は周囲4kmの陸繋島で、橋で結ばれている。島には春日神社があって神域となっており、樹木の伐採が禁じられていることから原生林がよく残り、暖地性の常緑樹を主にした暖地性植物群は国の天然記念物に指定されている。
 JR周参見駅近くの周参見湾に浮かぶ稲積島(いなづみしま)は周囲約1kmの島で、神武天皇の東征の際に兵糧にする稲を積んだとの言い伝えからこの名がついた。島に弁財天が祀られこちらも神域で全島に原生林が残っており、これらの暖地性植物群落は国の天然記念物に指定されている。

枯木灘海岸

(写真は 枯木灘海岸)


◇あ    し◇
千畳敷JR紀勢線白浜駅からバスで三段壁下車。 
三段壁JR紀勢線白浜駅からバスで千畳口下車。 
円月島JR紀勢線白浜駅からバスで臨海円月島前下車。 
崎の湯露天風呂、
梅樽温泉(ホテルシーモア)
JR紀勢線白浜駅からバスで新湯崎下車徒歩5分。
温泉神社JR紀勢線白浜駅からバスで湯崎下車徒歩15分。 
富田坂登り口JR紀勢線白浜駅からバスで富田橋下車徒歩40分。
草堂寺JR紀勢線白浜駅からバスで富田橋下車徒歩10分 
貝寺(本覚寺)JR紀勢線白浜駅からバスで瀬戸の浦下車。 
長井坂西登り口JR紀勢線周参見駅からバスで西浜下車徒歩45。 
◇問い合わせ先◇
白浜町役場企画観光課0739−43−5555 
白浜町観光協会0739−43−5511 
三段壁洞窟0739−42−4495 
崎の湯露天風呂0739−42−3016 
梅樽温泉(ホテルシーモア)0739−43−1000 
草堂寺0739−45−0004
本覚寺(貝寺)0739−42−3771 
すさみ町役場産業経済課0739−55−4806 
すさみ町観光協会0739−55−2004 

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

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          郵便番号 530−6691
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歴史街道推進協議会