月〜金曜日 18時54分〜19時00分


神戸市 

 2005年1月17日、阪神淡路大震災からちょうど10年を迎えた。被災地は表面的には復興したかに見えるが、まだあちこちに震災の傷痕が残っている。心の傷痕がまだ癒されない人も多く、すべてが元通りになることはないのではないだろう。そんな折、中越地震やスマトラ沖大地震・津波が発生し、甚大な被害をもたらし、阪神淡路大震災の被災者たちは、10年前の悪夢を思い起こしたのではなかろうか。今週は被災10年を迎えた神戸の街を歩いた。


 
人と防災未来センター  放送 1月17日(月)
 ある日突然襲い、甚大な被害をもたらす自然災害に対して、われわれは何をしなければならないのか。そのひとつの答えを平成14年(2002)4月に開設された「人と防災未来センター」が教えてくれる。
 「人と防災未来センター」は、阪神淡路大震災の経験と教訓を後世に継承するために、防災対策を考える「防災未来館」と、命の尊さ、生きることの素晴らしさを、特に子供たちに伝えることを主眼にした「ひと未来館」の二館からなっており、正面の水盤内には、地震発生の5時46分の時計の針の角度をガラスと御影石で表した「鎮魂の碑」がある。
防災に対する人材育成、調査研究、災害対策専門家派遣、資料の収集と保存、その展示などを行い、防災の重要性と命の大切さを世界へ、そして未来へ発信している。

防災未来館

(写真は 防災未来館)

慰霊のモニュメント

 「人と防災未来センター」は、中越地震や想像を絶する被害をもたらした、スマトラ沖大地震・津波被災地へも専門家を派遣して、被災状況を調査している。両被災地への今後の復興、防災に対する適切なアドバイスが期待されると同時に、津波のデータを分析してその恐ろしさを日本国民にも教える。
 「防災未来館」には、地震で倒壊していくビル、家屋、高速道路、鉄道などの様子を迫力ある大型映像と音響で伝え、地震の破壊力をまざまざと見せてくれる「1・17シアター」がある。破壊された震災直後の街を見せるジオラマ模型。苦難を乗り越え、復旧、復興へ取り組む人たちの姿をドキュメンタリー映像で見せる大震災ホールが4階にある。

(写真は 慰霊のモニュメント)

 2階、3階には震災にかかわった人たちのビデオや体験を伝える「震災を語り継ぐコーナー」。多様なデータにセンターの研究者が解説を加えて展示した「震災から学ぶコーナー」。防災の実践的な知識を身につける「防災ワークショップ」などがある。
 「ひと未来館」は、ジオラマやレプリカで森の生きものたちを紹介したり、倒れたブナの木から新芽が芽生えて生命力が力強く再生される様子の紹介。1本のユリノキに生まれた葉っぱの「フレディ」が、命の大切さと生きる勇気を、大型立体ハイビジョン映像で伝える「こころのシアター」。これらの癒しの空間での体感で「いのちの尊さ」と「共に生きることの素晴らしさ」を教えている。

震災直後のまち

(写真は 震災直後のまち)


 
くつのまち・ながた  放送 1月18日(火)
 震災時にビル、家屋の倒壊と火災の被害がとりわけ大きかったのが、木造住宅が密集していた長田区だった。神戸市内の死者約4570人のうち20%、ビル、家屋の全半壊約11万2925棟のうち19%、家屋の全半焼7315棟のうち66%を長田区が占めた。
 長田はケミカルシューズが地場産業の“くつのまち 。明治時代から大正時代までの長田は、神戸特産のマッチの生産が盛んで、全国一の生産高を誇っていた。このマッチ工場の工業基盤を引き継いだのがゴム工業で、次第にゴム生産に転換して長田区内に小規模なゴム工場が続々と誕生した。工場数は600を数えゴム工場の密集地となり、生産量は全国の80%を占め、全国一のゴム生産地となった。

株式会社 エレーヌ

(写真は 株式会社 エレーヌ)

ポルタ・ディ・スカルペ=くつの扉

 太平洋戦争中は原料のゴム不足で激減したが、戦後、長田のゴム工場は塩化ビニールの登場でよみがえり、ケミカルシューズの製造が始まった。長田のケミカルシューズは国内ばかりでなく、輸出品として外貨を稼ぎ、日本の経済復興にも貢献した。
 震災でケミカルシューズ工場は、壊滅的な被害をこうむり、追い撃ちをかけるように不況の波が押し寄せたが、職人さん、業者たちは負けなかった。震災からの復興とケミカルシューズ業界の復興を願う碑(いしぶみ)「ポルタ・ディ・スカルペ=くつの扉」が、JR、地下鉄の新長田駅前の広場にある。震災から4年後の平成11年(1999)に設置されたこのモニュメントは、街の復興へ向かって開く扉をイメージしたもので、扉状の金属板の上に靴のレリーフ24個を並べ、一歩ずつ復興へ向かう願いが込められている。

(写真は ポルタ・ディ・スカルペ=くつの扉)

 スポーツ選手たちからも元気をもらおうと、新長田駅前北側から水笠通公園までのアジア通り約200mの歩道のブロックに、一流選手のスポーツシューズの実物大の写真を焼き付けた“シューズ・ロード がある。アテネ五輪女子マラソンの金メダリスト野口みずき選手、シドニー五輪女子マラソン金メダリスト高橋尚子選手、アテネ五輪サッカー女子代表で兵庫県出身の川上直子選手、アテネ五輪野球日本代表でオリックスの谷佳知選手たちのシューズの表、裏の写真、選手のサインが焼き付けられている。
 今、新長田駅前の「シューズプラザ」には、ケミカルシューズ産業の復興、町の再生を目指す関係者たちの活気があふれている。プラザ前の赤いハイヒールのモニュメントが、元気を取り戻した“くつのまち・ながた を象徴している。

シューズプラザ

(写真は シューズプラザ)


 
長田神社  放送 1月19日(水)
 長田神社は神戸市民から生田神社の「生田はん」湊川神社の「楠公はん」と並んで「長田はん」と呼び親しまれている神戸の代表的な神社で、震災による損壊は大きく報じられた。
 神功(じんぐう)皇后が新羅からの帰還の途中、神託を受け立ち寄り、事代主命(ことしろぬしのみこと)を祀ったのが創始と言う古社で、生田神社、広田神社(西宮市)、住吉神社(大阪市)の三社と起源を共にする。古来から皇室の守護・国家鎮護の神として朝廷の崇敬が篤く、一般には航海、漁業のほか、あらゆる産業の守護神、開運招福、厄除けの神として、ミナト神戸発展の精神的なバックボーンともなってきた。

八雲橋

(写真は 八雲橋)

鳥居

 阪神淡路大震災の被害を後世に伝えるため、鳥居前には倒壊記念碑が立っている。本殿の床には震災で生じたひび割れの跡が残っており、花鳥の絵90枚が飾られている拝殿格天井の奉納絵画などにも、震災の傷痕を残している。
 今年の干支「にわとり」は長田神社の神の使いとされてきた。祭神の事代主命が「にわとりの声の聞こえる里は、わが有縁の地なり」と言って、この地に鎮座したとの伝えによる。戦前までは境内に多数のにわとりが放たれており、氏子や市民からは「にわとりの宮」として親しまれていた。

(写真は 鳥居)

 震災後10年を迎えた今年の正月3カ日の初詣客は約100万人を数え、平穏な年を祈念する参拝者の姿が見られた。毎月の1日の「おついたち詣り」は、今も多くの参詣者でにぎわう。また2月の節分の日の「追儺式(ついなしき)」は有名で、室町時代に起こったこの神事は兵庫県の重要無形民俗資料に指定されている。神の使いの7人の鬼役が、松明を振りかざし災厄を焼きつくし祓う踊りをする。この鬼たちの踊りで災厄を払いのけてもらおうと願う大勢の参拝者たちでにぎわう。
 長田神社には、源頼朝が奉納したと伝えられる黒漆金銅装御輿(国・重文)や、太刀など、多くの社宝が保存されている。

拝殿

(写真は 拝殿)


 
そばめし発祥の地  放送 1月20日(木)
 関西名物の「たこ焼き」「お好み焼き」は庶民の味の定番だが、長田ではそこへ「そばめし」が加わる。神戸の味として全国的に有名になったこの「そばめし」は長田で生まれた。
 お好み焼き店の多い関西でも、長田はもともとうまいお好み焼き屋の密集する街だった。
その中で短く切った中華そばと、ご飯を混ぜて焼く「そばめし」を考案したのは、昭和30年(1955)ごろ創業のお好み焼き屋「青森」先代の主人だった。震災で大きな被害を受けた長田で被災から1ヵ月半後、いち早く店を再開したのが「青森」の現在の店主で、連日、懐かしい味を求めて被災者らが店を訪れた。

お好み焼 青森

(写真は お好み焼 青森)

新長田かいわい

 お昼ご飯を「安く、おいしくいただきたい」とのケミカルシューズ工場の女工さんたちの素朴な知恵が、長田の名物「そばめし」を誕生させた。
 くつの街として知られる長田は、ケミカルシューズ工場が軒を連ね、そこでは大勢の女工さんが働いていた。彼女らは昼食に持参した弁当のご飯をお好み焼き店に持ち込み、熱い鉄板の上で温め直してもらった。ご飯を温め直すついでに、焼きそばを混ぜたのがきっかけで、そばめしが誕生したと言う。今も新長田駅周辺に約60軒のお好み焼き店があり、それぞれ独特の味を競い合いながら長田名物のそばめし、お好み焼きを提供している。

(写真は 新長田かいわい)

 家庭でも簡単にできるのがそばめしで、そのレシピを紹介しよう。鉄板かフライパンを充分に熱し、油をなじませ豚肉に火を通す。ちいさく切った中華そばとご飯(茶碗1杯)をよく炒め、キャベツを入れ、ウスターソース、とんかつソースをかけてできあがり。好みでネギを入れてもおいしい。また、長田名物の牛すじとコンニャクを甘辛く煮込んだ「ぼっかけ」や、ホルモンを揚げてよく絞った「油かす」を入れてもおいしい。長田には銭湯が多く、風呂あがりにお好み焼きを肴に冷たいビールを飲むのが長田っ子の楽しみだった。
 お好み焼きにはつきもののソースも、長田では地ソースメーカーがひしめき、県内有数の産地として味を競っている。 

そばめし

(写真は そばめし)


 
高取山  放送 1月21日(金)
 長田区の北西端にこんもりとした標高328mの高取山(たかとりさん)は、長田神社の創始にかかわる「神祭り場」の「神奈備(かんなび)」の山であり、神功(じんぐう)皇后が大岩をなでて山となったとの伝説から「神撫(かんなで)」山とも呼ばれていた。
 この山は六甲山系の独立峰で東の再度山と並ぶ早朝登山の山として、四季を通じて市民らに親しまれている。また古くからの山岳信仰が今も引き継がれ、山頂に向って小さな祠が点々と祀られ、参道には山頂までの距離を示す丁石が残っている。

丁石

(写真は 丁石)

高取神社

 高取山の名称は「山に巣をかけていたタカを獲ったからだ」とか「海からやってきたタコの大群を捕ったからだ」など、いろいろな説がある。また、山の形から「摂津富士」とも呼ばれている。頂上からの眺めは素晴らしく、神戸の市街地から神戸港はもとより、東は摩耶、六甲から北摂、生駒の山々、西は鉢伏山、播州の山、淡路島、家島が一望できる。桜の季節には8合目から山頂にかけて桜が咲き競い「こうべ花の名所50選」に選ばれている。
 山頂に鎮座する高取神社は、山麓の人びとの自然への感謝と畏れから祀られるようになったのであろう。参道も篤志家の寄付で舗装整備され、山を登っての参拝も容易になった。

(写真は 高取神社)

 高取神社の社伝によれば神功皇后が武甕槌尊(たけみかつちのみこと)を祀ったのが始まり。この神は一般的には鹿島大神、春日大神の名で知られる勇猛な神で、国家鎮護、交通安全などの守り神として崇敬されている。下って天平年間に行基が、兵庫の築港と周辺の開拓に当たって豊受姫命(とようけひめのみこと)を祀ったと言う。豊受姫命は豊饒をもたらす神として、一般には高取稲荷大明神として篤い信仰を集めている。高取山が海上からの目印となっていたことから、航海の守護神として漁民や船乗りたちの信仰も集めた。
 風の激しい山頂にある社殿は造り替えが繰り返され、水害や空襲、そして震災の被害も受けたが、その度に氏子や信者たちの支援で復興を遂げてきた。

大灯籠

(写真は 大灯籠)


◇あ    し◇
人と防災未来センター阪神電鉄岩屋駅下車徒歩10分。 
JR東海道線灘駅下車徒歩12分。
阪急電鉄神戸線王子公園駅下車徒歩20分。
JR三宮駅前から阪神電鉄バス
「人と防災未来センター」行直通バスあり。
神戸市営バスで人と防災未来センター下車。
シューズプラザJR山陽線、地下鉄新長田駅下車徒歩3分。 
山陽電鉄西代駅下車徒歩5分。
長田神社高速神戸鉄道高速長田駅、地下鉄長田駅下車徒歩10分。 
お好み焼き・青森JR山陽線、地下鉄新長田駅下車徒歩5分。 
高取山、高取神社山陽電鉄西代駅又は板宿駅下車徒歩35分。 
神戸市バス長田小学校前又は鷹取団地前下車徒30分。
◇問い合わせ先◇
人と防災未来センター078−262−5050 
シューズプラザ078−646−5266 
長田神社078−691−0333 
お好み焼き・青森078−611−1701 
高取神社078−611−5925 

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

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