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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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羽曳野市〜葛城市・竹内街道沿いの史跡 |
飛鳥に都があったころ、難波から飛鳥へ通じるわが国最古の官道・竹内街道が大阪・奈良の府県境の二上山の南麓を通っている。大陸文化伝来の道として知られる竹内街道は、まさに歴史街道そのもので、沿道には多くの歴史遺産が残されている。今回はこの街道沿いの史跡を訪ねた。 |
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日本武尊と素戔嗚尊(すさのおのみこと)を祭神とする白鳥神社が、近鉄南大阪線古市駅東側に鎮座している。元は約1.5kmほど西の軽里地区西の伊岐谷(いきだに)に創建された「伊岐宮(いきのみや)」で、戦国時代の兵火や地震などで荒廃し、江戸時代の寛永年間(1624〜44)に現在地に移され、古市の氏神となった。白鳥神社には今も「伊岐宮」の扁額が掲げられている。 |
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(写真は 白鳥神社) |
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皇室や源氏一門の崇敬が篤かったことから貴重な宝物、文化財を多数保有している。 |
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(写真は だんじり) |
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この竹内の地は松尾芭蕉の門人・千里の郷里でもある。芭蕉もしばしば竹内を訪れており、野ざらし紀行の時も千里とともに竹内に立ち寄って滞在し、當麻寺などに参詣している。その時に「綿弓(わたゆみ)や 琵琶になぐさむ 竹の奥」の句を詠み、これを記念する綿弓塚が建立されている。綿弓とは弓状の棒に牛や鯨のひげの弦を張って、綿の木から取った綿を打って柔らかくする道具で、当時、このあたりでは綿の生産が盛んであったようだ。 |
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(写真は 綿弓塚記念館) |
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西光院は法然上人が広めた本願念仏の道場として、天正年間(1573〜92)に創建され、以後、この地方の浄土信仰の中心となった寺である。境内からは北に二上山、南に葛城山が望め、眼下には大和盆地が一望できる眺めのよい寺である。 |
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(写真は 地蔵菩薩立像) |
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石光寺は花の寺としても知られ、四季を通じ境内には何らかの花が咲き、寺を訪れる人たちの心を和ませてくれる。この中でもボタンが有名で、境内に約500種、5000本が4月下旬から5月上旬にかけて一斉に大輪の花をつけ咲き競う。 |
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(写真は 佛頭) |
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