月〜金曜日 18時54分〜19時00分


甲賀市

 平成16年(2004)10月、滋賀県南西部の甲賀郡5町が合併して甲賀市が誕生した。今回は新しい市が誕生する前の旧5町を代表する史跡や産業、観光ポイントなどを紹介した。


 
お茶の香りの宿場町(土山町) 放送 2月14日(月)
 甲賀市の東の玄関口の土山町は「坂は照る照る鈴鹿は曇る あいの土山雨が降る」の馬子唄や、歌川広重の「土山春の雨」の絵でも知られる東海道五十三次49番目の宿場町として栄えた町。
 旧家を改修して平成13年(2001)にオープンした「東海道伝馬館」は、東海道の旅と宿、伝馬制度を模型やジオラマ、映像などで分かりやすく展示、紹介しており、土山宿の歴史と文化が学べる。館内には土山町特産のお茶を煮出した汁で白布をベージュ、こげ茶、山吹、グレーなどに染めあげる「お茶染め」ができる体験工房がある。館内の特産品販売コーナーでは、お茶染めのストール、のれん、バンダナ、テーブルクロスなどを販売している。

東海道伝馬館

(写真は 東海道伝馬館)

お茶染め

 土山町特産の土山茶は、南北朝時代の文和5年(1356)南土山の常明寺の僧・純翁が京都・大徳寺から茶の種子を譲り受けて持ち帰り、寺で栽培したのが始まりと言われている。江戸時代に入り、東海道を行き交う旅人に茶を販売するようになり、土山茶が全国に知られるようになった。
 土山宿のほぼ中央にある土山本陣は、寛永11年(1634)3代将軍・徳川家光が上洛の際に設けられた。以来、参勤交代の諸大名や勅使、公家らの貴人が宿泊する宿として役目を果たした。広大な土山本陣は当時のまま残っており、15代将軍・徳川慶喜や勝海舟の名が残る宿帳、関札、家具、調度品などが数多く残っており、予約しておけば内部を見学することができる。

(写真は お茶染め)

 土山町から鈴鹿峠への登りにかかる所に鎮座する田村神社は、平安時代の征夷大将軍・坂上田村麻呂を祀っている。この当時、鈴鹿峠に鬼が住んでいて通行人を襲い恐れられていた。嵯峨天皇に鬼退治を命じられた坂上田村麻呂は、鈴鹿峠の鬼を弓で射殺し見事に退治した。田村麻呂が没した翌年の弘仁3年(812)に嵯峨天皇がこの地に田村麻呂を祀り、厄除けの神として広く信仰を集めるようになった。
 鈴鹿峠の名物は高さ5.44m、重さ38トンと言われる巨大な「万人講常夜灯」。今から270年前の江戸時代中期に建設された自然石の石灯籠は、旅人の安全を見守ってきた。
東海道を行き交う行商人の金比羅神社信者が常夜灯に灯りをともして、旅の安全を海の向こうにある四国の金比羅神社に祈った。

田村神社

(写真は 田村神社)


 
忍者の里(甲賀町) 放送 2月15日(火)
 甲賀町は6世紀末に百済の鹿深臣(かふかおみ)が理想郷づくりを目指したことが、その名の起源となっと言われている。時代劇の映画やテレビドラマ、漫画本などで活躍する忍者の姿に憧れる子供たちが多いが、甲賀忍術は鈴鹿山脈を隔てた三重県伊賀上野町の伊賀忍術とともに忍術の双璧をなしていた。
 周りを原生林に囲まれた2万5000平方メートルの広大な敷地の「甲賀の里・忍術村」は、かつての隠れ里の雰囲気があり、忍者の気分を体験しながら楽しめる施設。

からくり甲賀屋敷

(写真は からくり甲賀屋敷)

甲賀忍術博物館

 普通の家のように見えて意外なところに武器が隠してあったり、抜け道、吊り階段、隠し戸などが施されたからくり屋敷。忍者装束、手裏剣、七つ道具、兵糧や秘伝書が展示されている「忍術博物館」などを目にすると、忍術が決して絵空事でないことがわかる。
 「忍者はっとりくん」は、伊賀流忍者で実在した服部半蔵をモデルとしている。一方、甲賀忍者では、昔から親しまれている「猿飛佐助」「霧隠才蔵」が有名だが、残念ながら講談や漫画の創作人物で実在した人ではない。佐助は戦国時代の忍術家・戸沢白雲斎に忍術を学び、真田幸村に仕えて真田十勇士のひとりとなり大阪夏の陣で戦死したとされる武勇伝が講談などで有名。

(写真は 甲賀忍術博物館)

 子供たちに人気があるのが「ちびっ子忍者道場」で、塀登り、綱渡り、からくり井戸などの体験を終了すると巻物がもらえる。ほかに約1500点の忍術資料を展示している忍者博物館、忍者が常用していた薬草を集めた薬草園なども備えている。
 甲賀町は鹿深臣の精神を継承して「鹿深夢の森」「鹿深夢の庭」つくりに取り組んでいる。
「鹿深夢の森」には自然を生かし、健康で豊かな心身と健康増進を図る「鹿深創健館」や茶華道、陶芸などの伝統文化が体験できる「甲賀匠の里」の施設が建設された。「鹿深夢の庭」では緑や水を取り入れた広々とした多目的芝生広場が、明るく健康的な自然空間を提供している。

秘伝書「萬川集海」

(写真は 秘伝書「萬川集海」)


 
お城の映える宿場町(水口町) 放送 2月16日(水)
 水口町は古くから伊勢参宮街道の要所であり、室町時代には既に宿場町が形成され、足利将軍も伊勢参宮の折には宿泊したと伝えられている。関ヶ原合戦後に徳川幕府の直轄地となり、以後、270年余り東海道50番目の宿駅として栄えた。徳川家康は江戸と京を往き来するため、この東海道を度々通行していて、水口にも5回宿泊しており、その時は寺院や民家を使用したという。
 東海道の宿場町として栄えた往時の面影を残す史跡のひとつに、水口宿の西端に横田渡常夜灯がある。野洲川に面して立つ高さ約7mの巨大な石灯籠は東海道随一を誇っていた。
江戸時代後期の文政5年(1822)に建立されたもので、すぐそばの「東海道十三渡」のひとつ、横田の渡の目印ともなっていた。

横田橋常夜灯

(写真は 横田橋常夜灯)

水口城跡

 寛永11年(1634)3代将軍徳川家光の上洛に際して、宿泊施設として築かれたのが水口城、将軍家の宿所にふさわしく数奇をこらした建物で、京都二条城を小さくしたようなものといわれている。その後、天和2年(1682)石見国吉永(現島根県太田市)から、賤ヶ岳七本槍のひとり加藤嘉明の孫・加藤明友が城主として入って水口藩が誕生、水口藩の居城となった。
 野洲川の伏流水から湧き出る水を利用したきれいな水をたたえている堀は、石垣、白壁を美しく映しており、ここから「碧水(へきすい)城」の呼び名が生まれた。水口城跡はは昭和47年(1972)滋賀県史跡に指定され、昭和60年(1985)本丸東部分の二層矢倉を整備して「水口城資料館」がオープンした。

(写真は 水口城跡)

 町なかには東海道を中央に両側を2本の通りが平行している珍しい「三筋の通り」があり、その道沿いには家康に由縁の深い大徳寺がある。慶長5年(1600)関ヶ原の戦に向かう徳川家康が、幼少のころに手習を教えてもらった叡誉上人の出迎えで大徳寺に立ち寄ったことがある。家康は、松平家と家康の二字から「家松山」の山号と釣鐘を与え、徳川の定紋・葵のデザインの立葵紋を寺紋として使用することを許した。
 関ヶ原の戦に勝利した後の慶長7年(1602)には大将軍徳川から「大徳寺」の寺号をもらった。境内には家康が立ち寄った時に腰掛けたとされる「家康公の腰掛け石」があるほか、家康や徳川家にゆかりの深い品々が伝わっている。

大徳寺

(写真は 大徳寺)


 
緑のふれあい牧場(甲南町) 放送 2月17日(木)
 甲南町も甲賀町と並ぶ忍者の里で、甲賀流忍者屋敷の背後には豊かな自然が広がる町。
JR甲南駅から3kmの丘陵地帯に広がる緑の草原の成田牧場は、21ha広さの中に乳牛190頭のほか、和牛の子牛2頭、ヒツジ6頭、ヤギ1頭、ミニブタ3頭、ウサギ20羽や小鳥が飼育されている。
 ふれあい広場では乳牛や子牛、ヒツジ、ヤギ、ミニブタ、ウサギなど、おとなしい動物に触れたり抱いたりすることができ、子供たちが大喜びしている。

成田ふれあい牧場

(写真は 成田ふれあい牧場)

搾乳体験

 団体で予約しておけば、乳牛の乳搾りが体験できる。ホルスタインの大きな乳首をやさしく握って搾ると勢いよく牛乳が出る。こんな体験はなかなかできるものではなく、牧場では「子供たちにぜひ体験してもらえば、動物たちとの最高のふれあいになるでは」と言っている。
 成田牧場では幻の和牛と言われ、国の天然記念物に指定されている山口県萩市の島・見島(みしま)に生息している、見島牛とホルスタインを交配して生まれた「近江見蘭牛(けんらんぎゅう)」を飼育していた。この見蘭牛は柔らかい肉質の食肉牛だったが、見島牛の生産地から交配生産の中止を申し入れられ、現在は生産していない。

(写真は 搾乳体験)

 牧場内のバーベキューコーナーでは、2人以上で予約しておけば、近江牛のおいしいバーベキューが、さわやかな自然に囲まれた牧場内で味わえる。
 東隣りの甲賀町と共に甲賀忍者発祥の地と知られる甲南町には、江戸時代初期の元禄年間(1688〜1704)に建てられた甲賀忍者の筆頭格・望月出雲守の屋敷を保存しながら「甲賀流忍術屋敷」として公開している。外見は茅葺き平屋建ての農家のように見えるが、内部は3階に分かれており、縄梯子、通路落とし穴、忍び梯子、回転戸、地下道などのからくりが随所に施されている。甲賀忍者が実際に使用したといわれる小道具なども展示され、子供たちが興味を持ちそうだ。

バーベキュー

(写真は バーベキュー)


 
焼物と自然美の町(信楽町) 放送 2月18日(金)
 標高3000mの高原の町・信楽と言えば日本六古窯(信楽、瀬戸、常滑、備前、丹波、越前)のひとつで、明治時代初めから作れてきたタヌキの置物が陶器店の店頭にずらりと並んでおり、信楽町の人口よりタヌキの方が多いそうだ。
 信楽焼は天平14年(742)聖武天皇が紫香楽宮造営にあたり、瓦や什器用の須恵器造りをこの地で始めたのが原点とされている。鎌倉時代から穴窯で灰釉をかけた本格的な陶器が焼かれるようになり、質の良い信楽の陶土が温かみと風格のある作品を生み出した。

信楽焼のモニュメント

(写真は 信楽焼のモニュメント)

作陶体験工房 遊器陶舎

 室町時代にはいり茶道が盛んになり、茶人に好まれる茶器が焼かれるようになった。
特に焼き上がった陶器に現われる「火色」「ビロード釉」「焦げ」などは、数日間かけて火を焚き続ける窯の中で偶然にできるもので、この陶器に現われた「わび」「さび」の奥深い風格が茶人にもてはやされた。この時代から素朴な肌合いの日用雑器や置物など、おびただしい数の信楽焼が焼かれた。
 江戸時代になって登り窯が築かれ、大型陶器の壺、甕(かめ)などが焼けるようになり、現代では建築物やモニュメントに使われる大型陶板や装飾、インテリア品など、幅広い信楽焼の製品が生み出されている。

(写真は 作陶体験工房 遊器陶舎)

 信楽焼の良さを知ってもらおうと信楽伝統産業会館では、天平時代から現代までの焼物と資料が展示され、信楽焼の歩みが一目で分かる。滋賀県立陶芸の森には世界の焼物を展示したり、内外の若手の陶芸家を育成する教育や研修を行っている。町内には陶芸教室も数多くあり、陶芸の楽しみが体験できる。ろくろ体験工房・遊器陶舎でも、湯呑、茶碗などを作る手びねりコースや初心者も気軽に作陶ができる電気ろくろコースなどを用意している。
 作陶体験に疲れれば、町を流れる大戸川の上流にある鶏鳴の滝を訪れるのもよい。滝の東方にそびえる笹ヶ岳の山頂にある廃寺跡の池から元旦の朝、黄金の鶏が現われ、新年の幸を告げると言う伝説にちなんで、鶏鳴の滝と呼ばれるようになった。

鶏鳴の滝

(写真は 鶏鳴の滝)


◇あ    し◇
東海道伝馬館JR草津線三雲駅からバスで近江土山下車
徒歩。 
土山宿本陣跡JR草津線三雲駅からバスで吉川下車
徒歩5分。 
田村神社JR草津線三雲駅からバスで田村神社前下車
徒歩。 
甲賀の里・忍術村JR草津線甲賀駅から送迎バスあり。 
水口城跡、水口城資料館近江鉄道水口城南駅下車徒歩4分。
大徳寺近江鉄道水口石橋駅下車徒歩3分。 
横田渡常夜灯JR草津線三雲駅下車徒歩15分。 
成田牧場JR草津線甲南駅下車タクシーで10分。 
甲賀流忍術屋敷JR草津線甲南駅下車徒歩20分。 
信楽伝統産業会館信楽高原鉄道信楽駅下車徒歩5分。 
滋賀県立陶芸の森信楽高原鉄道玉桂寺前駅下車徒歩15分。 
ろくろ体験工房遊器陶舎(マルタカ陶器)信楽高原鉄道玉桂寺前駅下車徒歩10分。
鶏鳴の滝信楽高原鉄道信楽駅からバスで神山下車
徒歩約40分。 
◇問い合わせ先◇
土山町観光協会0748−66−1101 
東海道伝馬館0748−66−2770 
土山宿本陣跡0748−66−0007 
田村神社0748−66−0018 
甲賀町観光協会0748−88−6781 
甲賀の里・忍術村0748−88−5000 
水口町観光協会0748−63−4092 
大徳寺0748−62−0077 
水口城資料館0748−63−5577 
甲南町観光協会0748−86−4161 
成田牧場0748−86−3341 
信楽町観光協会0748−82−2345 
信楽伝統産業会館0748−82−2345 
滋賀県立陶芸の森0748−83−0909 
ろくろ体験工房遊器陶舎(マルタカ陶器)0748−83−0570

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

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歴史街道推進協議会