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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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津市 |
三重県のほぼ中央に位置する県庁所在地の津市は、古くは日本三津のひとつにあげられた港町として栄え、津城が築かれた戦国時代以降は城下町、お伊勢参りの伊勢街道の宿場町として繁栄した。そこには城下町や街道筋の宿場の名残があちこちにしのばれ、変化に富んだ探訪と散策ができる。 |
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津城跡には合戦に臨む勇ましい高虎の騎馬像が立ち、高虎を祀る高山神社が明治36年(1903)に創建され、戦後に3層の隅櫓(すみやぐら)も復元された。本丸跡は公園化され市民の憩いの場となり、二の丸、三の丸跡は官庁街となっている。 |
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(写真は 藤堂高虎墓碑) |
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江戸橋の近くにある阿部家住宅は、伊勢街道に面して店を構え、江戸時代から酒造業を営み、明治時代からは味噌、醤油も製造、販売していた商家で、典型的な大店(おおだな)の建築様式を伝えている。内部の部屋には付書院のある数寄屋造りの部屋や、糸巻きを象った彫刻のある欄間など、格式の高い造りの部屋がある。津市の有形文化財に指定され、予約制(津市教委へ)で土、日曜日のみ内部を一般公開している。 |
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(写真は はし家) |
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士清の没後、子孫が私財を投げ出し、約100年かけて93巻の「和訓栞」の刊行を続け、学者の家の美談として語り継がれている。江戸時代後期にオランダ・ライデン大学のホフマン教授が日本の言語学の参考書を幕府に求めたところ、提供された5種類の中から「和訓栞」を選び、オランダ語に訳したとのエピソードもある。 |
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(写真は 和語通音表) |
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一身田寺内町の姿が大きく変わってのは明治維新以後。維新後、専修寺は最小限の境内と墓地以外の土地はすべて没収され、僧侶らは国家の管理に移された。寺内町は専修寺の支配から離れ、町内への入口だった黒門、赤門、桜門は売りに出され、寺内町は解体された。今は新しい建物も増え、当時の面影を残すものが少なくなってきた。 |
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(写真は たけやまんじゅう) |
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親鸞上人像や堂内の装飾などを拝観したいところだが、あいにく今は創建以来と言う平成の大修理中で、すっぽりと工事用の素屋根に覆われており、修理が終わるのは平成22年(2010)。逆に修理中だけに普段は見られない御影堂の一部が見学できるチャンスともなっている。 |
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(写真は 御影堂) |
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