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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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和歌山・みなべ町 |
梅の産地として名高い和歌山県の中部に位置する南部町と南部川村が、平成16年((2004) |
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梅干のトップブランドになった「南高梅」は、どのような経過をたどって誕生したのだろうか。明治35年(1902)旧南部川村晩稲の高田貞楠が、近所の人から購入した60本の梅の苗を植えた。その中に美しい紅がかった大きな実をたくさんつける木が |
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(写真は 南高梅) |
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千里王子から北へ峠を越えると三鍋王子がある。約800年前の建仁元年(1201)後鳥羽上皇が熊野御幸の際に、絹6疋、綿150両、馬3頭を寄進したと、後鳥羽上皇熊野御幸記に記録されている。これほどの高額な品を寄進したことは、当時、三鍋王子が相当な大社であったことを物語っている。 |
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(写真は 三鍋王子) |
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江戸時代の宝永、嘉永の大地震の時、鹿島明神の存在で、南部の町だけが津波の被害を免れたと、宝永地震津波之記、嘉永地震津波之記に記されている。 |
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(写真は 要石) |
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江戸時代には田辺藩主や紀州藩初代藩主の徳川頼宣らの崇敬が篤く、頼宣は藩内巡視の度に参拝した。その後、代々の紀州藩主からも崇敬され、金品の寄進を受けており、貴族、武家から庶民まで幅広い崇敬を集めていた。 |
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(写真は 木造神馬(浅野左門佐 寄進)) |
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みなべ町は南紀ならではの黒潮の幸にも恵まれている。バラエティ豊かな魚料理の中でも、やはりクエ鍋は絶品と言えるだろう。クエは大きな魚でグロテスクな形をしているが、味は美味で捨てるところがないと言われている。ほかにもタイ、マグロ、アジ、サザエ、伊勢エビなど、海の幸が旅館やホテル、レストランなどの食卓にいっぱい並ぶ。 |
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(写真は 千里浜温泉 汐見の湯) |
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