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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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大阪市・谷町〜上町〜空堀界隈 |
かつては難波宮があった上町台地。台地の北端には大阪城、南端には聖徳太子建立の四天王寺があり、古代から中世にかけては難波の中心地だった。この上町台地の西側、地下鉄谷町6丁目駅付近の空堀界隈には、戦前に建てられた町家や長屋が残り、石畳の細い路地などが昔の情緒を伝えている。「えっ、大阪市のど真ん中にそんなところがあるの?」と、思うようなこの一帯を訪ねた。 |
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時代小説、大衆小説のほか文芸評論や随筆など、持ち前の旺盛な筆力で幅広い作品をを次々に発表した。しかし、病気と借金を抱えた破天荒な直木の生涯は、昭和9年(1934)43歳の若さで終わった。直木が亡くなった翌年、友人の菊池寛らが「直木三十五賞」を設立、新人作家の登竜門の「芥川賞」とともに、現在まで文学界の大賞として続いている。 |
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(写真は 直木三十五文学碑) |
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古代の大阪は上町台地の西まで海が迫っていた。上町筋から谷町筋までは台地で平らだが、谷町筋から松屋町筋へかけては海へ落ち込む形となっていた。このあたりには今も坂道や崖が多く、空堀商店街も西へ向かって下り坂となっており、坂道と細い石畳の路地がこのあたりの風景を特徴づけている。 |
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(写真は 坂) |
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築100年を超えている格子戸の長屋の屋根の上には洗濯物の干し場があり、今どきなかなかお目にかかれない造りである。路地には植木鉢が当然の居場所と言わんばかりに並んでいるが、誰も文句を言わない。このような状態は長屋の住人たちの暗黙の了解事項になっているのであろう。 |
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(写真は 地蔵) |
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日本の伝統文化である「しめなわ」をアートにして、一年中飾ってはいかがですかと言う「しめなわ本舗」や小さな箱にアクセサリー、ガラス工芸、陶芸など、さまざまなアーティストが作品を並べた「あーとぼっくす」のほか、カフェ・雑貨・ギャラリーの店、ヘアメーク・アンティークアクセサリーの店などが、肩を寄せ合うように入っている。 |
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(写真は あーとぼっくす) |
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竜造寺町にある宝泉寺は、このあたりの一帯の町家としっくり馴染んでいる尼寺である。推古天皇8年(600)聖徳太子の創建と伝えられ、創建当時は四天王寺の西門の外にあった。慶長年間(1596〜1615)に兵火で焼失、寛文8年(1668)この地に移され再建され、聖徳太子自らが彫ったと言われる聖観世音菩薩像が本尊として安置されている。 |
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(写真は 三尼公像) |
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